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人を嫌いにはなりたくない



これは割と自分の人生の根幹な気がする。
こんなしょうもない話ばっかりするつもりはないんだけど、これだけは文面に残したい。


そもそも誰からも好かれるなんて無理な話で、誰かから好かれようとすれば、誰かに煙たがられたり、嫌われたりしてしまうこともある。

それでも自分は人を極力嫌いにはなりたくないし、人の愚痴も聞きたくない。



旧知の友人たちはご存知の通り、嵐くんには結構、敵というか、アンチというか、そういう存在がいます。

元々SNSでの露出に抵抗がないタイプだったし、今思えば痛かったな、と思うこともないでもない。声もでかいし。
それが理由かはわからんけど、集団で疎まれて、聞こえるように陰口言われるとか、かなり陰湿だったような覚えがある。
実は精神的に結構きてた時期もあったかも。

幸い自分の身の回りの友人には恵まれていて、今もお互いの考え方を尊敬し合えてるのは、いい仲間に出会えたな、と何度も思う。


それはそれとして、今更こんな昔話を出して何を伝えたいかというと、人の愚痴とか悪口を言って楽しむのってやっぱり気色悪い、という話。
もちろん私も人間だし、多少の愚痴をこぼすことだってゼロじゃない。それでも限度があるし、人格否定なんて以ての外である。

ただ、これだけ歳を重ねてもそれをする人はいて、愚痴をツマミに飲む酒はうめーか??と言いたくなる。

驚くことに、高校を卒業して2年、3年と経つ今でも自分(達)にけしかけてくる人間って存在していて、(最近やっと決心がついたんだけど)そういう人とその周辺にいる人は、これまで以上にはっきり嫌い、関わらないという意志を示すことにした。
そしたら、かなり気が楽になった。


こんなことを言うのにも理由があって、自分は極力人を嫌いにはなりたくない、と思ってたし、今も思ってる。
嫌いたくないし、バカにしたくもない。
なんの得にもならないし、言ってる自分が惨めになるから。
「人を嫌う」っていう行為は人格否定と一緒だと思ってるのが大きいかもしれない。

一方で、「苦手な人」という意識はあっていい、むしろあった方がいいと思う。好き嫌い関わらず、感性が合わない人間は世の中にごまんといる。

自分も苦手な人は時々いるけど、そもそもあんまり関わることがないかも。

私が嫌いなのは、私の事を嫌いな人だけです。


「嫌い」って気持ちは、世界平和に反してるんじゃないかな、とまで思うところもある。
だから俺は人の愚痴はできる限り言わないようにしてるし、愚痴を言われても「まあまあ、そうね〜」の受け流しスタンスを取るようにしてる。ここで声高に異論を唱えるのはさすがにできない。時には空気を読むのも大事だって聞いたことがある。


ちなみに嫌いとは別の話だけど、自分の大事な人を攻撃するような人は普通に許せない。まあそりゃそうだよね〜。


と、ここまでダラダラ書いてきましたが、読んでくれてる人はいるのか?と心配にもなる。ぜんぜん面白い文章は書けてない。
もし居たら、そして思うところがあったら教えてほしい。
読んでくれてるだけで結構うれしいのです。
あ、アンチの方は結構ですからねー。(考え方の違いはもちろん尊重します)

P.S.
昔から嵐くんという生物を知ってる人は、こいつ変わりすぎじゃね?と思うかもしれないけど、いろいろ経験して21になった今現状がこれです。この先どうなるかも分かりませんが、どうか優しく見守っていただけますと幸いです♡

今日もいたねこ