見出し画像

いくつになっても好きなファッションのままでいたい、って本音

どうも、あらきらです。
いやー。前回の投稿から約一年経っててなんじゃ今更、という感じですね。

現実の生活が忙しすぎて、自分がnoteやってる事すら忘れていました。(こら。)
こんなに放っておいているにも関わらず、自分が書いたものを読んでくださってる方がいらっしゃること、本当に感謝感謝です。

さて、前置きが長くなりましたが、今回はファッションについて、歳を重ねるにつれて思った本音を綴って行きたいと思います。

現実は容赦ない 

人間やってると常々思うんですが、生きるって冗談抜きで大変ですよね。子供の頃はなーんにも考えないでも毎日楽しかった(はず)、でも今は…と考えると頭痛くなってきましたね。

で、ある程度自分が確立してきたことを自覚する頃にはもう二十代半分終わってる…というのが私の現状でございます。ハイ。
あれれ、いつのまにか扱いが「女の子」から「女性」へ変わっちゃってる。

「女性」になるにつれて思うのはタイトル通り、いくつになっても自分の好きなカッコをしていたい、なのに現実がそれを許さない。

えーって感じ。

内面的な可愛げは人生終わるまでずっとアリだと思います。行動や存在感のかわいいおばあちゃんとか、ものすごく憧れる。
しかしながら、外見はいかがでしょう。歳不相応な格好をしていると周囲から変人のレッテルを貼られたり、中には「はしたない」と言われてしまったりするのでは?と思います。
実際に私自身、そういった人をもし見かけたら、「うわ、いい歳してなんちゅう格好してんだこの人…。」正直たまに思っちゃうこともある。ひでぇ偏見。

だけど、それって客観的に見て似合ってないからそう思うんですよね。その人自身は満足していても、第三者が見ると痛々しいという齟齬が生じるためにそうなっちゃう。ちくしょう。

自分の見た目年齢絶頂期で不老になれる薬、誰か開発してください。

理解してても、折り合いつけるって難しい

冗談はさておき。いつまでも可愛い少女のままでいたいけど、年齢的にキツさを感じたら次のステップに進まなきゃ。可愛いを大事にする気持ちは忘れずに。難しいですね。

年相応の格好をすれば、別に誰からも後ろ指指されることなんてありません。無難、無難が1番。


…でもそれは、私の好きな格好じゃないんだよ。

好きな格好を諦めた

少し私の話をします。
実を言うと、私あらきら、中高生時代にとてもロリィタファッションに興味がありました。甘々ファッションにとても憧れて、「自由にお金が使えるようになったら、絶対にかわいいお人形さんみたいになるんだ!」と夢見ていました。

だけど、実際どうでしょう。
アルバイトを始めてある程度自由に使えるお金ができた頃、とっくに成人を迎えていました。そして私はこう思うに至ります。

「あの格好(ロリィタファッション)は、10代だから許されるんだ。もう私は、可愛い女の子じゃない。女性らしい格好にしないと、不相応になってしまう。」

と。

なんと勿体無い、くだらない固定観念に縛られて、自分で自分のことを解放してあげられなかったのです。

自分の憧れた姿になれる他人を妬むくらいなら、自分の好きなことしてりゃ良かった。我慢したってなーんにもいいことない。結局、自分の好きな格好を他人の目を気にせずできる人たちが羨ましくてしょうがないんです。

他人の『好き』を、痛々しいと思ってしまう偏見メガネがかかってしまった私には、手遅れなんです。自分の『好き』を全面に出すと、他人に何を言われるかが怖くなってしまいました。

でも好きなものを諦めたままでいるのも、なんだか悔しかった。そこで見つけた私なりの答えが次の見出しです。


いろんな好きを持つこと

そう、好きなものは沢山あっていいんですよ。
別に好きを一本化させる必要なんてないんだ
、と気づいた時、ようやく自分のことを許す気になれました。
こだわりが強すぎて自分で自分の首を絞めてるだけだったんかい。

これじゃなきゃダメ、なんてことはないんです。自分の好きなものを沢山見つければ良い。

他人の目はまだまだ気になるけど、だからって「みんながこうしてるから」「今流行だからそうしなくちゃ」なんて囚われる必要は微塵もない!(流行を追いかけることが好きな人にはごめんなさい)ロリィタも地雷も量産もジェンダーレスも韓国系も、あれもこれも全部好きで良いんです。

(そういえばジェンダーレスで思い出しましたが、あれって性別すらファッションにしてしまうような、不思議な魅力がありますよね。)

話が少しズレましたが、いろんな好きを持って多系統のファッションを楽しめば年齢不相応なんて言われなくなるんじゃないかなあ、と。もしくはシンプルなものにほんのひと匙だけ、自分の好きを取り込む。

それが、くだらない固定観念に後ろ髪引かれながらも、私が私を許せる最善かつ最大限の解決策なんです。

もっとドカーンとした解決策を求めていた読者さまには申し訳ないのですが、未だ好きを全面に出すことに対して恥ずかしさを拭い去れないものでして。


少々投げやりかもですが、今回の結論。

好きなものは、好きなままで良し!



自分の好きを諦めたって、ろくなことないぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?