『普通の男性』パラドックス
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Twitterを始めとするSNSでは「恋愛がしたいけど普通の男性が見つからない」という女性のつぶやきが頻繁に観測され、彼女たちはみな一様に「私はそんなに高望みしていないはずなのに・・・」と悲嘆に暮れている。
どうして彼女たちは『普通の男性』に出会えないのだろうか?
本当に『普通の男性』でいいの?
まず、『普通の男性』とはいったいなんなのだろうか。
前回の記事でも取り上げた漫画「普通の人でいいのに!」で「現代日本における普通男性」と評された『倉田さん』はこうだった。
引用『普通の人でいいのに!』/冬野梅子
これが本当の平均値かは異論はあると思われる。
例えば35歳男性の平均年収は390万円~440万円、30代男性の平均身長は171.5cmで、『倉田さん』はそれより少し低い。(※「平均年収.jp」及び「e-Stat 政府統計の総合窓口」より)
ただ、やや控えめではあるかもしれないが、作者の冬野梅子さんの非常に優れた観察力や自己客観性による現実的な視線で生み出された、『普通』というよりも「リアル」な男性像なのだろう。
では、世間一般の女性にとっての『普通』はどこにあるのか?
とあるアンケートで、以下の4タイプから「一番結婚したい男性」を女性が選ぶというものがあった。
① 高年収のブサメン
② 超高年収の性格に難ありな実業家
③ 平均的な年収の「全て平凡すぎる」公務員男性
④ 低年収の芸能人級イケメン
その結果、2位にトリプルスコアをつけて圧勝したのは③である。
出典:frankparty.com
当時Twitterでは、一部の女性がこのアンケート結果をもって「ほら、女は高望みしていないんだ」と主張していたが、男性陣から「これのどこが平凡すぎる男性なんだよ」という反応起こっていたのは記憶に新しいところだ。
これがその「平凡すぎる男性」である。
出典:frankparty.com
さきほどの『倉田さん』と比べてどうだろうか?
強いて言えば年収がほぼ同格といったところで、ルックス面では「普通体型(むしろ細身)」「肌荒れやヒゲ等の無いこざっぱりした顔」、「スーツが似合っている」などかなりの差があり、また身長差は5cmもある。
『倉田さん』の持つ、いかにも実社会にいそうなリアルさとはまったくもってかけ離れていると言えるだろう。
結局この「平凡すぎる男性」とは、 「高望みしていない自分」を補強する「普通という夢」の具現化であり、強いて言えばイケメン芸能人が地味なサラリーマンのコスプレをしているようなもので、女性に嫌われる要素をとことん排した、ナマの男は全く感じられない存在だ。
女性が求める『普通』の条件
過去に女性が『普通の男性』に求める多くの条件を挙げたnote記事が話題になった。
また、あるテレビ番組でも「女性が結婚相手として求める普通の男性の条件」のアンケート結果について取り上げられ、こちらも話題を読んでいた。
出典:pbs.twimg.com
これだけ条件を羅列する割に「自分が相手に何を与えられるか」という観点に全く欠けているのは正直どうかと思うが、「リスクを避けて安心できる結婚をしたい」という女性の偽らざる心理ではあるのだろう。
これに対しては「注文が多すぎる」「すべてを満たすのは全体の5%くらいしかいないだろう」「1つ1つの要素は普通だけど全部揃ってたらかなり上位の部類」などのツッコミがされていた。
今回、私はこれについて、ポイントはそこではなく、ほとんどの条件が主観的なふわっとした基準であることではないかと考えた。
『普通』に好きになれる
先程の「平凡すぎる公務員」をもう一度見てみよう。
出典:frankparty.com
この周りに描かれている条件群に注目してほしい。
「友達も普通に多く」「普通に信頼されている」「一緒にいて普通に落ち着く」「女性のエスコートも普通にできる」など、『普通』がやたらに連呼されているが、客観的な指標は全く提示されていない。
「普通に多く」とは何人くらいなのか?
「普通に信頼されている」「普通に落ち着く」とはどういう状況なのか?
「普通にできる」とは具体的に何なのか?
これらについては当の女性たちもはっきりした解は持っていないと思われる。まあ、ここでの普通とは『ニュアンス』なのだし当然なのだろう。
男性の特徴だが、人類の歴史において常に競争に参加してきた性別だからなのか、全体における自分の位置を無意識にでも考えながら行動する傾向がある。
例えば、ナンパ師はターゲットにする女性や自分たちのルックスを「街行く人々全体から見てどれくらい?」を基準とする『スト値』で評価するという文化を持っている。
彼らは仲間内でこの『スト値』を基準とし、それが高い女性をゲットすることを目標に奮闘しているが、これも男性は定量的な基準で物事を判断したがるという一つの証左と言える。原始には狩りや釣りで獲物の大きさを競いあっていたところから来ている性質なのかもしれない。
それ故か、この手の話題において、男性はついつい「普通」という概念を平均や中間値など全体の集合を前提としたマクロ的な基準で考えてしまうし、私も最初はそういう思考に立って「女性の『普通』は実際は上位2~3割で、平均ではなくピラミッドの中間値なんだよ」など知った顔でツイートしていた。
しかし考えてみれば、そもそも女性と男性の考え方は違うというところに立てば、女性は男性ほど定量的な基準にはこだわっていないと思われる。
たとえば、あなたは食べ物の好みについては、全体からの位置付けをいちいち考えずに「まあ食べられる」「美味しい」等のミクロな基準で判断していないだろうか?
そしてそこに「好物というほどではないがまあ美味しく食べられる」という意味で「普通に食べれる」「普通に美味しい」という感覚が出てくることはそれほど珍しくないはずだ。
そう。つまり、女性に問うたときに出てくる『普通の男』とは
理想というほどでもないがまあイケる男性
という「ニュアンス」なのだ。
まとめると、
『普通の男』とは、男性全体の平均値や中間値というマクロの基準によるものではなく、あくまで女性個人の好みというミクロの基準から「普通に好きになれる」くらいの男
を抽象的に表現したものなのである。
女性の視点では「高望みしていない」というのは偽らざるところであり、男性の定量的に図りたがるマクロ脳をもって「平均はここだ」「身の程を知れ」などと言うのが筋違いになるのだろう。
『普通』はどこに行った?
では『普通の男性』とは女性が「普通に好きになれる男」であるとして、なぜ男性の上位何%かのみを指すというミスマッチングが起きてしまうのだろうか?
これは簡単で、『普通に好きになれる』のラインが高くなりすぎたということなのだろう。
人間は「慣れる」生き物である。それは行動だけでなく価値観にも現れる。
例えば、かつては安い回転寿司で十分に満足できていた人が、その後多額のお金を手にして、今は新鮮な素材と熟練した職人技の結晶のような高級寿司を毎日のように食べられるようになったとする。
さて、この人はいま回転寿司で満足できるだろうか?
答えはノーだろう。
これは住居等の生活レベルなどにも言える話で、1990年代にヒットメーカーとして名を馳せた音楽プロデューサー小室哲哉氏は、一時期100億円を超える預金があったが、その後の音楽不況によって資金繰りは悪化していった。
しかし生活のレベルを下げることはできず、月の生活費は800万円、事務所運営費は1200万円かかっていたと言われる。やがて氏は借金十数億円を抱える生活に転落し、最後は苦し紛れに起こした詐欺事件によって逮捕された。
一度上がってしまった『幸福の基準』を元に戻すことはそれだけ難しいのだ。
それでは一体何が女性の『幸福の基準』をを押し上げているのか?
私はその理由として二つあると考えており、一つは「男性と女性の性的需要には差がある」事によるものだと思われる。
端的に言えば、男性には「積極的に多くの女性に種を撒きたい」、女性には「なるべく良い男性の種を受けたい」という生理的な欲求があることで、男性は上位下位を問わず女性に幅広くアプローチするが、女性は上位の男性しか見なくなるというものだ。
(※上記画像はシャチホコ氏の記事より引用)
また、下位の女性が上位の男性にアプローチされることで自分を上位だと考えてしまうが、しかし上位の男性も最終的には上位の女性をパートナーとして選ぶため、言わば収入が上がっていないのに生活レベルを上げてしまったような状況となるのだと。
この現象についてはすでに先達が高度な分析をされているので、詳しくはそちらをご参照願いたい。
もう一つは、女性を精神的に愛撫するコンテンツの増加だと考える。
貞淑さが女性に要求されていた時代に比べて、現代は女性の間接的な性欲を満たす「イケメンコンテンツ」にあふれている。
テレビを付ければイケメンが甘い言葉を囁き、女性誌にはイケメンのヌードが定期的に乗り、今では街中にもそれが溢れるようになった。
また、女性向けのゲームやマンガといったエンタメにおいても「権力も財力も腕力もある色男」といった理想のイケメンがツボを付きまくった言動で胸をドキドキさせてくれる。
直接的なセックスは描かれていなくても、これらは女性の精神を愛撫して悦ばせることが目的である「おだやかなポルノ」と言えるだろう。
男性の性欲は「不健全である」として、ポルノどころか普通に服を着ている女性キャラのポスターを規制しようというフェミニストは多いが、一方、女性の性欲については「美しく尊いもの」としてどんどん広まっていっているのが昨今の流れだ。
「イケメンコンテンツ」が全肯定され続ける社会に育った女性たちが、無意識のうちに『幸福の基準』をそちらに合わせてしまい、男性への要求が増えていったとしてもなんらおかしくはないと思われる。
それはまるで、かつて男性たちがやや過剰ともとれる清楚さや母性に対する期待を女性たちに抱いていたような光景なのかもしれない。
老子曰く「知足者富」だが・・・
古代中国の思想家、老子が説いた「知足者富」という言葉がある。
「足るを知る者は富む」という意味で、いわゆる「足るを知る」という言葉の元ネタである。
富む、というのは金持ちというよりも幸せになれるという意味で、無いものや不足しているものに注目するのではなく、足りているもの、つまり「すでにあるもの」に注目しよう、ということだ。
先の記事で取り上げた作品で描かれていたのは、足元にある『普通』には満足できず、酒場というコミュニティを通してあこがれの世界へアクセスしたがった女性の姿だった。
SNS時代、これまで触れることのできなかった華やかな世界にもさらに簡単にアクセスできるようになり、まるで自分もその世界の住人になったかのような気分をインスタントに味わうことができるようになった。
これはテクノロジーによってもたらされた新たな幸福である一方で、現代人が自分の足元をなかなか見られなくなっている要因のひとつなのだろう。
あくまでも表面にたどり着くパスが増えたのであり、本当にその世界に入り込むためにはそれなりの覚悟や努力が必要になるし、あるいはそもそもがいくら追い求めても辿り着かない蜃気楼のようなものだったということすらあり得る。
『普通』というのは、強く追い求めれば追い求めるほど遠ざかっていくが、諦めて足を止め、ふと足元を見ればまた違った形で転がっているものなのだろう。
しかし、その足を止めることが人間にはどうしてもなかなかできない。
この「わかっちゃいるけどやめられない」という性質があるからこそ人間は発展し続けてきたとも言えるのだが・・・。
『普通の男性』パラドックス
こうして、現代女性は『普通』を求め続けている限り『普通』には出会えないというパラドックスに陥っている。
「足るを知れ」と言うのは簡単である。しかし一度上がってしまった価値基準を戻すことはなかなかできないのが人間というものであることも事実であり、精神論を持って女性にそれをやれと要求するのは酷なのだろう。
特に現代では女性に変化や成長を要求することは半ばタブーとされてきており、最近ではパートナーの条件として「精神的に安定している」ことを勧めたツイートがたくさんの批判を招いたことが大きな話題となった。
あれだけ多くの条件を男性に楽しげに付きつける女性たちが、「配偶者として精神的に穏やかであってほしい」という男性側からの素朴な要求には「抑圧」を感じ怒りを覚えてしまうこともあるようだ。
女性の性的自由や権利拡大が為されたことによって、かつての時代より女性の幸福度は上がっていると思われる。確かにこれはフェミニストをはじめとする人々による女性の権利向上活動の成果と言っていいだろう。
しかし一方で、その副作用か、女性の自己評価や幸福の価値基準が社会の成熟度よりも上に位置してしまったがために、男性に求める『普通』は実質には高望みとなり、また、男性や社会から我慢や成長や変化を要求される「痛み」には耐えられなくなっているし、その歪みが少子化や未婚化として現れてくるのだろう。
「普通の男がいない」という女性たちの率直な嘆きは、急進的な女性解放によって生み出された鬼子とも言えるのだ。
では、この『普通の男性』パラドックスはどのように解決されるべきものなのか?
残念ながら、その答えは未だ出ていない・・・
いや、ひょっとしたらこれも、「わかっちゃいるけどやめられない」なのかもしれない。
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