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「女が女を孕ませる」時代は来るのか?

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 先日「代理出産」についての話題がTwitterを賑わせていました。

 経緯としては、30代〜40代の女性をメインターゲットにした雑誌「VERY」のWebサイトにおいて、アーティスト「スプツニ子!」さんと、VERY専属モデルでミダスエンターテイメント代表取締役社長の「申 真衣」さんがこの代理出産を肯定的に語る対談が掲載されたことがきっかけとなりました。

 これに対してネットの反応はおしなべて否定的であり、炎上の危険が出てきたためか早々と記事は削除されました。ちなみにこの両者はどちらもフェミニストとして知られています。
(※詳細は以下から確認できるようです。)



生殖は競争だ

 現代に生きる私達はセックスを快楽を得るために行っていますが、生物的にはセックスとは生殖行動であり、自分の遺伝子を残すためのものです。

 人間以外のすべての生き物はその生命の殆どを生殖競争に費やしていることも珍しくありません。生物界においてはその種における性淘汰に勝ってその遺伝子を残せたものこそが「強者」なのです。

 この観点においては、たとえ権力や財力を有して人間社会のピラミッドの上位に立ったとしても、子孫を残せてなければそれは強者とは言えず、権力も財力も、自身の遺伝子を残しより優れた子孫を残すための過程や条件に過ぎないと考えることもできるでしょう。

”人間の最も大きな喜びは、敵を打ち負かし、これを眼前よりはらい、その持てるものを奪い、その身よりの者の顔を涙にぬらし、その馬に乗り、その妻や娘をおのれの腕に抱くことである。”

 これは人類史上最大規模の世界帝国『モンゴル帝国』の基盤を築き上げたチンギス・ハーンの言葉ですが、彼は実際に幾多の敵を打ち倒し多くの女性に自分の遺伝子を残しました。

 彼には30人以上の妻と数多くの愛人がいたと考えられており、産ませた子どもの数は100人を超え、現在でもその直系の子孫は統計上1,600万人以上存在していると云われ、紛れもない強者と言えるでしょう。

 ヒトの女性には他の動物にはあまり見られない「閉経」という機能があり、妊娠適齢期間がある程度定まっています。

 ヒトが非常に長い時間をかけて育つ生き物であるゆえに、子育てを母一人で行うのが大変なため祖母も孫の面倒をみるように適応してきたためだとも言われますが、これは人間の女性には「若くて体力があるうちに子供を作ることが生物としての正解」という厳然たる事実があることも示しています。

 しかし、社会で強者になることを望むフェミニスト達にとってこの事実は望ましいことではありません。

 自分の遺伝子は残したい。強者である自分の遺伝子が残るべきである。だが妊娠・出産によってリスクを負ったり社会の競争から切り離されてしまうことは認めたくない。

 ヒトの男性は妊娠・出産が無いので、状況さえ許せばチンギス・ハーンのように自分の遺伝子を受け継ぐ子を数多く残せます。

 一方、ヒトの女性は一生のうち何度かしか子を生めず、また、ヒトの子供は長い長い時間をかけて成長するため、他の動物に比べて子育てに多大なリソースを費やします。それゆえに女性が多くの子を残すのは難しかったと言えるでしょう。

 これは肉体的な差であり、人間が人間である限りどうしようもない部分と言えます。しかしフェミニストはこうした性差を「非常に不公平」なものだとします。

 「強者女である自分が生殖のリスクを負うのは不公平だ。それならば女に自分の子供を産ませ、育てさせればよい。」
 「強者男だってそうしているでしょ?」

 性差を不公平なものであると考えるフェミニストがそのような発想に至るのはなんら不思議なものではないのです。



代理出産の現状

 哺乳類の生殖は基本的にオスがメスを孕ませるという形式です。

 ただこの「孕む」とはあくまで「胎内に子供ができる」ことであってセックスや受精そのものではありません。他人の遺伝子であっても受精卵さえあれば胎内に子供はできます。それは間違いなく「孕んでいる」のであり、代理母とはそういった人体のシステムを利用しています。

 「不妊だがパートナーとの子供を持ちたい」という切実な想いを考えれば、これ自体は決して悪と断ずるべきではないのだろうし、代理出産が行われるのは主に不妊夫婦の願いを叶えるためです。

 しかしそういった目的においても、これは富裕層が貧困層を搾取するものであるという疑念は拭えず、2002年に商業的代理出産を認められて以来、貧困女性のアルバイトとして非常に盛んに行われてきたインドでも「人体搾取である」という批判の声が高まり、2015年には外国人への代理出産を禁止するなど、徐々に規制は強まっています。

 しかし一方で「規制は貧しい女性達の経済的な機会を奪っている」との声もあるようです。

 いずれにせよ、代理出産をする女性は好きでやっているわけではなく(当たり前ですが)経済的な事情が強いため、それゆえに女性を搾取するものであるという声が支配的なようです。



アウトソーシングされる妊娠・出産

 欧米やシンガポールには「オペア(au pair)」という、住み込みのベビーシッターと家政婦を合わせたような仕事があります。

オペア(オーペア、仏: au pair)は外国にホームステイして現地の子供の保育や家事をする見返りに滞在先の家族から報酬をもらって生活する留学制度のことである。オーペア、マザーズヘルプとも言われる。滞在先の家族は人を雇う金銭的余裕が必要なので、オペア受け入れの制度は先進国で浸透しているケースが多い。
<Wikipedia 「オペア」より>

 これは表向きは異文化交流を目的としていますが、実態は後進国の女性を安く使うものだとして疑問が持たれています。たとえばデンマークの外国人・総合政策大臣はこれを問題視し、この制度を廃止すべきだという意見を表明しました。

実態が明らかになるにつれ、この制度は異文化交流としてではなく、多忙を極める子持ち家庭が、オペアを家事と育児補助を担う安い労働力として、メイドのような形で利用しているということが明らかになった。そこで統合政策大臣は、この現状は元来の目的にかなっていないため、制度を見直すか廃止するのが妥当だと判断したのだ。

 しかしデンマークの大手新聞社の女性編集長はこの提案に強い不快感を示し、自身の編集する新聞に「廃止するなら代わりの制度をすぐに準備して欲しい」という大きな意見記事を載せました。

彼女の主張はこうだ。デンマークは他の北欧諸国、欧州諸国と比較しても、まだまだ管理職レベルでの男女平等が進んでいない。自分のような立場の女性が仕事に集中し、なおかつ家庭で子どもと過ごす時間を確保するためには、家事と育児をしっかり担ってくれる人材が不可欠である。また子どもの世話はいつも同じ人であることが子どもの福祉を考えても最適であり、急な発熱などにも同じ家庭に暮らすオペアはすぐ対応ができる。オペア制度はデンマークのキャリア女性の権利を支える要であり、この制度を廃止することは、女性の社会進出を阻むことにもつながるのだと。


 これははっきりと言ってしまえば「私達の社会進出のために後進国の女性に家事育児を安くアウトソーシングさせろ」ということでしょう。

 「個人的なことは政治的なこと」「フェミニストは一人一派」という言葉が示すように、フェミニズムとは一つの統一されたイデオロギーではなく女性のミーイズムの集合です。

 「男女平等」や「女性解放」も常に「女性は社会に奉仕するのではなく、社会が女性に奉仕すべきである」という考えのもとに進められてきていますし、出産や子育ては社会のためではなく女性が自分のためにするものです。

・ミーイズム
自分の幸福や満足を求めるだけで他には関心を払わない考え方。 自己中心主義。<デジタル大辞泉>


 男性を相手取るときはまだそれでも良かったのでしょう。フェミニズムにおいては常に男性とは強者で女性とは弱者であり、強者が弱者に配慮するのは当然だからです。

 東大名誉教授で日本の最も有名なフェミニストの一人である上野千鶴子氏は2019年の東大入学式の祝辞で
 「フェミニズムは弱者が強者になりたいという思想ではなく、弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想」
 だと述べました。

 この発言には多くの否定的な反応がありましたが、これはフェミニズムとしてはまったくもって「正しい」ものです。

 この「社会は男性が女性を搾取するために作られている」というのはフェミニズムの基本的な世界観であり、それゆえに女性が被る不利益は社会的な構造が生み出した不当なものであるとされます。ただ、この世界観は女性同士の上下関係になるとあっという間に破綻を招きます。

 先のデンマークの女性編集長も自分達を「不利益を被る弱者」としてのポジションに置き発言していますが。「低賃金の出稼ぎで酷使される後進国の女性」と「先進国でやりたい仕事をやりながら高収入を得ている女性」、現代の一般的な人権や平等の基準に照らすのであれば、どちらが『弱者』でどちらが『強者』かは明確でしょう。

 フェミニズムとは女性を解放し自由を追求するものです。そこに異議はありません。しかしその解放や自由の正体とは「自制や社会的責任は存在せず、只々欲求のままに生きることが正しい」というものです。

 以下のNemuro氏の「女性解放とは野獣化」は私も全く同じ見解ですのでぜひご一読ください。


 自制なき自由、つまり何でもありであるなら強い者が弱いものを制するのは当たり前です。そのため女性同士の権益がかち合ったときには強者女性による弱者女性の搾取が正当化される。フェミニズムの本質が平等ではなく権利拡大を目指す「女権拡大主義」であることを踏まえれば当然の帰結なのでしょう。

 家事や育児という「肉体労働」をしたくないから後進国や貧困層の女性に低賃金でアウトソーシングすることが許されるのであれば、妊娠や出産といった「肉体労働」もアウトソーシングすることで、自分達は「もっと自由に生きる」ことができるのでは?

 「自由」のために権利を求める女性であるフェミニスト達がそう考えることは決して不自然ではないと思います。



性的対象化と性の自己決定権

 「性的対象化」というフェミニズムの言葉があります。

 「女性は自らの容姿に対する見解を周囲の視線に応じて決定する」、「女性は実際に経験したものと合理的に予測されるものとを含めた周囲の視線に迎合して、自らを観賞対象として社会化してしまう」というもので、後者は「自発的性対象化」と呼ばれます。

 これは性的モノ化とも言われ、フェミニズムでは「女性が自らジェンダーロールに染まり性の不平等を生み出している一因」だとしています。

 それ故にミス・コンテストやポルノは女性をモノ化して性の不平等を促進する悪しきもので、だからこそフェミニストはそういった「男性受けする性的表現」は女性のモノ化を促進するものだとして規制しようとします。

 しかしこれは逆に考えれば「女性の意思決定には社会の視線や風潮が強く影響する」とフェミニズムは考えているということです。

 また、「性の自己決定権」という言葉があります。

 これは性に関して自身の意思をもって行動できる権利のことであり、誰と子供を作るか、あるいは子供を作るか作らないかも女性自身の選択が最も優先されるというものです。ただし「生活のために仕方なく」という妥協による選択は真の自己決定とはみなされないため、フェミニズムでは女性が男性に経済的に依存することは性の自己決定権に反することだとします。

 フェミニズムにおける「女性の自立や社会進出」とはすべてこの「性の自己決定権」のためにあります。社会進出することはあくまで手段で、男性に経済的に依存しなくてすむことが目的なのです。

 フェミニズムが「アンチ家父長制」思想である理由はここに集結しています。「扶養することで妻を娶り家庭を持つ」というのは言い換えれば「女性を経済的に支配している」ことに繋がるからです。



女が女を孕ませる時代は来るのか?

 さて、現在の代理母の問題点は、大半のそれには経済的な動機が存在し「あくまで生活のためにやっている」ところにあるでしょう。

 これはフェミニズムの性の自己決定権に沿っているとは言えず、そのため代理母というビジネスにはフェミニストからも非難の声が上がっています。

 今回、このVeryの対談記事が問題とされたのもそういった人体搾取的なイメージに基づく批判が多かったからでしょう。しかしそれは「あくまで今の価値観では歓迎されなかった」という事実に過ぎないとも言えます。

 私が思うに、今回の記事はあくまで「観測気球」であって「まだ世間(特に読者層の女性達)から支持を得られるものではなかったから取り下げた」ものの、代理母という制度が「進歩的な女性」にとって自由を広げる良いことだから推し進めるべきであるという本人たちの意識は全く変わっていない

 しかし「経済的な代償を払えば良い」では現代の代理母ビジネスにある問題点は何一つ解決されておらず、フェミニズム的にも全肯定されるものではない以上、このまま話を進めることは難しい。

 さきほど「性的対象化」について説明をしましたが、あの理屈によれば「女性は社会の影響を強く受けて自らを性的対象化」してしまいます。つまりフェミニストが社会に対して影響を強く持てば女性の性的対象化を好きに誘導できるということにもなります。

 また女性には「他の女性に自慢できる」ことを重視して物事への意思決定を行う人が多く特に配偶者の地位への拘りにその傾向が強く出るとも言われます。

 SNSで「内科医の妻」と配偶者のステータスを自身のステータスだとして名乗るような女性も見受けられますが、「生殖出産能力による配偶者獲得によってコミュニティ内の地位を高めることができる」のが女性の特徴とも言えるでしょう。


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<pbs.twimg.comより引用>

 ただしこれは現在男性が女性を孕ませるという肉体的な前提があるからこそ男性には上位層であることが強く求められると言うだけであり、その前提を除けばひょっとしたら男女は問わないのかもしれません。


 さて、ここからは想像のお話ですが、もし遠くない未来に、

「いま代理出産が若い女性に人気」
「強い女性の子供を生むと綺麗になれる」
「憧れの女性の子供を孕むのはステータス」


 といった情報がメディアに溢れ、女性誌の表紙にはエリート女性の受精卵による子供を宿した女性がニッコリ自慢気に笑っている姿が映るようなことになったらどうなっていくのでしょう?

 ひょっとしたらその風潮を強く受けた女性達は、強者女性からの代理出産の誘いに我先にと手を上げたり、列を成して病院に並び強者女性の受精卵を自分の子宮に宿し、大きくなったお腹をSNSで自慢気に見せているのかもしれません。


 女性が経済的な事情ではなく、自ら望んで肉体をモノ(外部子宮)化し、他の女性の遺伝子の子供を孕むという「女が女を孕ませる」時代の到来です!


 さて、もしこうなった場合に「憧れの女性の子供を生む代理母」になる女性達の選択とは果たして「性の自己決定権」なのでしょうか? それともメディアによる「性的対象化」の犠牲者なのでしょうか?



新しい生殖競争の様式

 あくまで想像の域を出ないお話でしたが、現代の社会はかつてないほどに女性の権利や発言力が高まりを見せ、古代の社会との共通点を見つけることは難しくなっています。それゆえに人間社会が今後どの様になっていくかは予想ができません。

 たとえば、現在の日本では、赤ちゃんの希望性別についてのアンケートで女の子が男の子の2倍以上望まれていたというデータがあります。また「男女産み分け」についても需要は年々高まっており、日本人の依頼者は殆どが女児を希望するようです。

5.赤ちゃんの性別、出産前の希望は?
「特に希望はない」という方が最も多く、47%でした。「女の子を希望」の方が36%、「男の子を希望」が17%でした。
<ベビカムリサーチ「VOL.210 赤ちゃんの性別について」より>
https://www.babycome.ne.jp/online/research/detail.php?vol=210
意外なことに、タイで着床前診断を利用した日本人夫婦の9割以上が女の子を希望。多くの夫婦がすでに男の子がおり、次は必ず女の子、との願いを実現するためにタイを訪れたという。女の子ばかり生まれるケースも同じ確率で起きるはずで、「跡取り息子を」という需要もあるはずだが、実際には「女の子が欲しい」ケースばかりなのである。


 この流れが進んでいけば将来は女性ばかりの国になる未来が待っているのでしょうが、そんな「女余り」の未来社会における生殖競争とは、

 「ハーレム的な一夫多妻」ではなく、「強者女性が他の多くの女性に自分の受精卵を産ませる」

 というものになっていくのかもしれません。



おわりに

 ミツバチの社会には女王バチの子供をせっせと育てる働きバチ達がいますが、この働きバチは実は皆メスです。自身の遺伝子は残さず女王バチのために「肉体労働」をこなし続けて死んでゆきます。

 フェミニズムが極まった社会では人間もハチのような社会形態をとっていくのかもしれませんね。


 え?
 「オスのハチはどうしてるの」って?

オス蜂の役目はただ交尾のためだけに存在すると言っても過言ではありません。それほど巣の中では何もしません。
オス蜂は女王蜂の自ら持つ性ホルモンの一種に誘われ、彼女の後ろを大挙して彼女を追い掛け回します。
運良く女王蜂に馬乗りになったオス蜂は交尾器を女王蜂の刺針室へ差し込み交尾をします。
交尾器の一部を女王蜂の体に残し、オス蜂は地面に落ちて死んでしまいます。

 生殖競争のためだけにいる「ただの子種」ですが何か?


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