①認知リハビリ(認知)②社会リハビリ(更生センター)③職業リハビリ(職業センター)
[備忘録]23日目【高次脳機能障害のリハビリ】
2009-03-31 18:44:27
◎リハビリは早い方が軸策がのびて正しい位置に戻る
当時のメモは今でも通用する内容ばかりだ。
■記憶を補う手立てを学ぶ。
・メモを取る訓練 →メモをみて行動をする
・体で覚えたことは忘れない
・本人にメモを書かせて見えるところに貼っておく
■感情のコントロールができない
・暴言を吐く
・物を壊す
※押さえつけるのはNG →[対応]うまく避ける
・話題を変えてしまう
・お茶を飲んできたらと声かけorお茶をい
れくるわとその場を去る
▼
以上は、興奮を鎮める代替行動
注)本人は 何で腹が立つのかわからない
・「イライラする」のは後遺症である
後遺症は本人もトレーニングしても簡単には良くはならない
ゆえに介入する側の配慮が必要
↓
[対処法]
・カーっとしてきたらその場を逃げる
・自分で力瘤をつくる→ 怒りを抑える行動療法
・人間関係がまずくなる→ 仲間の中に入って受け入れられると落ち
着いて抑えられるようになる。
脳損傷後の脱抑制イライラは訳もなく起こっているわけではない
橋本圭司先生のYouTube内の発言から(4:14)の抜粋
「何度も言いますけど、脳損傷後の脱抑制イライラは、訳もなく起こっているわけではありません。必ず何かしらの理由がありますから、その理由に気づいていただくだけでもかなりトラブルが予防できるということです。」
この言葉の意味を本当に理解できている医療関係者がどれだけいることだろうか。この17年間、医療の専門家よりも家族のほうが身をもって体験している。被害と行っても過言ではない日々ゆえにだ。そのような患者や家族に寄り添うことができる医療福祉関係者は少ないだろう。ゆえに医療の知識のない一般の人々に理解を得るのは本当に困難であり理解を得る努力しようと幾度となく試みたが、もう傷つきすぎた。理解を得ようと努力する力も残っていない。
心臓のバイパス手術
2022年に心臓のバイパス手術を受けた直後から脳の機能の低下が著しい。上皇陛下も心臓のバイパス手術を受けられているが、脳を怪我した父がすべき手術ではなかった。術後、明らかにADLは落ちた。術前まで出来ていた漢字の問題が解けなくなり、筆算の計算式が理解できなくなり、切り絵も単純なものしか出来なくなった。集中力も落ちたのだ。
これほど脳の機能低下が進むのであれば手術などしなければよかった。後の祭りだが、私たち家族は全員手術には反対派だった。自然でいいと思っていたのだ。それが寿命だと受けいれる覚悟だった。本人も開胸手術などしたくないと強い意志をもっていた。しかし日赤マジックにまんまとかかってしまった。循環器内科のDr.は、みな手術を積極的に勧めてくる。なんど断っても粘ってくる。そこまで言うなら話だけでもと心臓外科の先生に話しを聞いた。ここでも断る意思表示をしたが、二度三度と説得され、とうとう手術を承諾した。チームで患者を説得する。これが八事日赤流だと知ったのは手術の一週間前だった。(ただしこれは外科にかぎる。内科ではここまで説得しない。消化器内科の医師は手術は勧めなかった)この名古屋第二日赤流!にたどり着いたのは執刀医の論文のサーベイ中のことだった。
本当に本当に今でも後悔している。術後の脳の機能低下を訴えたが執刀医は術後せん妄だと言って相手にしない。リハビリ病院に転院しても回復しなかった。父はバイパス手術以来、排泄の失敗を繰り返すようになった。これが一番つらい。認知機能の低下もあり紙パンツも危機感を感じない限り利用しない。そのたえ、今年の年明け元旦の深夜から私は布団カバーから着ていた者から3度洗濯機を回した。翌日もまた失敗した。ぐっしょり吸い込んだ会オムツが無造作に脱ぎ捨てられ本人はぐっすり眠っている姿に涙がこぼれる。肉体的にも精神的にもこちらの負担は半端なかった。
記憶力にも手術の影響は大きかった。頭がおかしくなったと自分でも感じているらしい。不安になると確認の電話が何度もかかってくるし、薬の飲み忘れが頻繁に起こるようになってきた。後始末がつらい排泄の失敗だけはなんとかしたい。これ以上ADLを悪化させないためにも、事故後3年間は毎日続けていた、漢字・計算・間違い探し・切り絵などの脳トレプリントを再会し、再び脳トレ本を取り寄せてはスキャンしプリントアウトして、毎日やってもらっている。脳トレは本人の為にも家族の為にも欠かせないものになっている。しかし、それでも寄る年波にはかなわない。脳の機能は急激に衰えてきた。長谷川式は30点満点中29点をとることができるが、このテストでは細部の変化には対応しきれていない。サクラ・ネコ・電車などは、テストの繰り返し繰り返しで本人はもうすっかり記憶してしまっているのだ。
今後の課題
今後の課題は、絶望的な選択ばかりになってきている。このままでは共倒れになってしまう。私が追い詰められているからだ。17年頑張ってきた私も50代になり、自分の体力の衰えどころか老いを感じるようになってきた。まさに5080問題に突入したのである。どう考えても、父はサ高住の生活は可能だが老人ホームでは完全に無理だ。過去に挑戦したことがあるが、スタッフがサ高住と違い質が悪すぎる。高次脳機能障害に理解もなく無知であるため、怒りのスイッチをいとも簡単に押してしまうのである。しかし悪いのは相手かわいそうな自分というスタッフが大半で困る。前述したように、脳損傷後の脱抑制イライラは、訳もなく起こっているわけでない。必ず何かしらの理由がある。しかしその理由に気づく努力をするスタッフは皆無で父が悪者扱いされてしまう。怒りの理由に気づいていただくだけでもかなりトラブルが回避できるというのに、老人ホームでは、そこまでの能力のあるスタッフにお目にかかったことはない。
となると、精神病院送りになってしまう。精神病院ではもっと酷い扱いをうけることになる。隔離病棟は人ではなく、まるでモノ扱いだった。それが辛くて苦しくて耐えられず私は父を無理矢理退院させ自宅に連れて帰った過去がある。人間なんてそんな簡単に変わらない。古今東西1000年経とうと2000年経とうと宗教戦争は無くならなっていない。むしろ昨今は世界大戦を彷彿させるような情勢になってきている。所詮これが人間なのだと諦めているだけに、精神病院送りにしては、また病棟スタッフとのトラブルに私が板挟みで苦しむことになる。それに目をつむって自分の人生を生きることができるのか…食事ひとつ楽しめない気持ちにまたなってしまう気がしてならない。臭い物には蓋をして生きていける人もいるだろう。しかし私はそこまで器用ではない。