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娘の顔も分からなくなった父
[備忘録]事故から25日目(2007.4.3の記録)
お前は娘じゃない!
「家に帰ると、父が、ゴルフの帰りにかってきてくれたお土産が、まだ冷凍庫にありました。」
実に切ない一文だった。父が事故前に買ってきてくれた、お土産。もう父の健常な精神は破壊されてしまった。このお土産を買ってきてくれた父はもういない。とうとう娘の顔も判断できなくなってしまった悲しみが溢れていた。
毎日必死で事故で激しく揺さぶられた脳の損傷を、切れた軸索を回復させようと、家族の写真や父が好きなバイクの写真と当日の日付を印刷し、毎日付添に通っていた日々。体力も意欲も気力も全てあった。まだ36歳だった私。
必死だった私。ただただ必死だった。一部の看護師さんからは同情が集まる。献身的に看護していると。優しいまなざしをかけてくださった、たったひとりの看護師さん。医師から圧力をかけられ追い出されるように退院したあの日。この方、あの優しい眼差しは今でも脳裏に焼き付いている。
損保代理店の威力
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mixiからの抜粋
事故から25日目の日記 父が相手方損保の年金傷害保険に加入していた。私は恫喝すうるような相手方の対応に何度もMS火災海上に苦情申し立てをしてきた。この際の会話記録も残っている。そして、年金傷害の担当者からは謝罪があった。損保の本体はまだ正常な対応ができるのだ。しかし相手は代理店だった。
市役所職員さま向けの保険
・市職員互助会の団体扱保険
・名友会の団体扱保険
こうした保険を取り扱っているため、本社に対し圧力がかけられる力の強い代理店だ。あとから、弊社と取引がある保険会社に話を聞いた。開口一番、「ああ、あの、おやっさんのところかぁ~」と頭を抱えた。なるほど、業界でも有名代理店か。それが通用する時代だったのだ。
当時の私へ
心せよ。これから8年半 この闘いは終わらない。