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母親と対面させた日

[備忘録]事故から27日目の記録

この頃は、交通事故で切れた脳の軸索がまだ繋がる時期と信じて少しでも脳に刺激になるものをと考えていた。思いつくことは何でもやった。

そこで 施設介護中の祖母を父に面会させるべく迎えにいった。父の個室でゆっくり過ごせるようにと妹にも協力してもらって試みたが、ダメだった。最初は久々の再会に喜んでいたが、高次脳の父と認知症の祖母、会話は成り立たなかった。易度性勃発で父は祖母に罵声を浴びせ、頭ごなしに怒鳴られた祖母は怖がってしまい本当にかわいそうなことをした。

アナログ時計が理解出来なくなった父。長針、短針が何を示しているのか理解できない。何時か答えられない。計算も2桁までしかできない。小学校2年生レベルの問題が精一杯。顔も歪み、呂律もまわらず、些細なことで激高する。潰れた右側の目が半開きなため目つきも顔つきも悪かった。

今は、だいぶ回復した。見た目も悪くない。17年も経過しているから顔の手術痕は加齢によるしわが隠してくれている。機嫌がよいときの笑顔は幼子のように にこぉと笑う。これに反して易度性が起こったときの顔はキチガイだ。あの目つき顔つきは本当にぞっとする。ピック病の人の怒り方に似ていると、この後転院した精神病院の医師に言われた。

そして今現在もこの易度性に悩まされている。私が最も怒鳴られているのではないだろうか…。身内には容赦がないうえに接する時間が一番長期で一番長いのは私で最もダメージを受けているのも私だと思う。