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FGGを透かし見れば

EGGじゃなくてFGG。
解釈や考察ではなく私の感情の移り変わり。
オリジナルのFGGを初めて聴いた時、ああ、これは平沢さんの涙だ。あまり情緒に偏らない平沢さんの涙の歌だ。今まで苦しい事辛いこといっぱいあったもんね?泣きたいこともいっぱいあったよね?うんうん。
などと一人納得。
Switched on lotusのFGGを聴いて確信する。ほら、やっぱり。平沢さん、曲で泣いてるよ。
今なら過去のワタシにこう突っ込みます。 
「それってあなたの感想ですよね?!」
もちろん、楽曲をきいてどう感じるかなんて人の勝手、個人の自由なんすよ。平沢さんのファンになりたての私は「これはどういう意味の歌だろう」が凄く気になって何とか解釈しようとネットの海でもがいてた。ユングとかアニマとかわかんねぇよ、どんな気持ちでこの曲を作ったのか知りたいんだよ!教えてよヒラサワさん!!
で、振り出しに戻る。

現在の平沢さんの歌声でFGGをきいておもう。
ああ、これは、希望だ。希望の唄だ。起きて働いて日が落ちて家に帰る。眠りについて、また一日が始まる。たとえ悲しいこと辛いことがあっても、やるべき日々の営みを繰り返して希望に変えていく。そういう歌だ。
これが今の感想。

こういう自分の内面の移り変わりを観測して更に考えたこと。
実際に平沢さんが何を表現したくて曲を作ったのか、なんてことは平沢さん自信が語って初めて分かること。それ以外は大概自分の感想。
私がFGGを涙だと感じたということは、私の中の泣きたい気持ちが曲に呼応したというだけのこと。
やっぱり平沢さんは音楽に泣き言を入れない。言いたいことあるならちゃんと核ってくれる。ナノチップとかレッドカプセルとかね。
お涙ちょうだいな歌を聞きすぎた弊害だよ。もっともっと平P聴かなきゃ。
来年こそライブ行くぞ!!!

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