32.子供が幸せな世界

もしも元気で、何でもできるくらい丈夫な体だったら、したかったことは、安楽死の制度子供が幸せに生きられる世界を作ること。というのも、自分が不幸な子供だったから。

母は怒りっぽく、デフォルトが不機嫌な人だった。
私は幼稚園くらいの頃、臆病ですぐ泣いてしまう子供だったけど、泣いているとさらに「泣いていること」を怒られたから(「泣いてたらかわいそうだと思ってもらえると思ったら大間違いだよ!」と言われた)、どうしたらよいかわからなくなってしまった。母のことは「般若の面」のようにおそろしいと思っていた。

小学校2~3年生の頃に、「母に自分のことはできるだけ話さないようにしよう」と決意したできごとがあった。
近所に住んでいるお友達が「天空の城ラピュタ」の話を聞かせてくれた。私はまだラピュタを見たことがなかったから、「持っていると空を飛べる石があるんだよ」「すごーい!」とワクワクしながらその話を聞いた。
家に帰って、うっかりそのことを母に話してしまった。すると、母は(フンと鼻を鳴らして相手の話を馬鹿にする仕草をよくする)「そんなものがあったら人間が死ななくなってしまうから無い方が良い」ということを言った。
楽しかった気分を台無しにされてしまい、母に話したことを後悔した。そして「この人には、学校のこと、友達のこと、自分のこと、なるべく話さないようにしよう」と心に誓った。まだけっこう小さい頃だったけど、割とまじめだった私は、その後もその誓いを忘れずいたのだ。母だけでなく、学校の友達にも、あまり自分のことを話さない、話せない、心を閉ざした子になっていってしまった。

大人になってから、「お母さんと仲良しで、家に帰ったら真っ先にお母さんに今日あったことを聞いてもらう」という女性に出会った時は心底驚いた。そんな人がいるのか!!と。よっぽど聞き上手なお母さんなのだろう。実際、彼女はよく話す子で、人の悪口も多かったけど、自分の思っていることを遠慮なく人に言えるというのは、正直に生きられてうらやましいな、素直に育つと人はこんなふうになるのかと思った。

また、母は人をけなすのが好きな人だった。人を褒めるとか認めるということをせず、馬鹿にしたりケチをつけるという行動を取る人だった。
テレビに映った女優さんを父が褒めたりすると、また例の「フン!」と鼻を鳴らして文句を言っていた。
それは、単に嫉妬深いからかもしれないけど、低いレベルの自分を向上させる努力もせず、人をけなす姿なんて醜いものですよね。だから、「自分はこういう人間になってはいけない。優れた人のことはきちんと認めて、自分の駄目なところも謙虚に認められるようにならなければならない」と思った。たぶん、同じ環境で育った妹も同じことを感じていたのではないかと思う。妹は自己卑下してしまうほど謙虚だし、優れた人のことは素直に認めてほめたたえることができる良い子だ。

母の“性格悪いエピソード”は枚挙に暇がない。こんなこともあった。
母は松田聖子さんが嫌いだそうだが、その理由をこう言った。「娘をほったらかして自分は好きなことやってるから」。
いや、聖子ちゃんがプライベートでどうしてるかなんてわからないから憶測でしかないし、それ完全に嫉妬でしょ。
「自分はこんなに我慢して娘を育てているのにあいつは自由にして」という妬みですよね。遠回しに「お前がいるせいで私は我慢した人生を強いられているんだ」と言われたようなのものですが、こちらからしたら「そんなこと言われるくらいなら、最初から生んでほしくなかったんですけど」という感じですよね。昔は今より「結婚しなければならない」「子供を産まなければならない」圧力が強かったから仕方なかったのかもしれないけど。その点では、今の方が良い時代になりましたよね!!とすごく思う。結婚したくない人はしない方が良いし、子供を産みたくない人は産まない方が良い。本人も、結婚相手も、子供も、不幸にするだけだから!

会社とかでもいると思うんですが、何に対しても、否定的、ネガティブな反応を示す人っていますよね。物事の悪い面ばかり見る。あまのじゃくリアクションをとる。相手の話に対する第一声が「うんうん」「あ~」ではなく、「え~」から入る人。そのタイプの人なので、否定ばかりされて苦痛だった。

私が大人になっても忘れられない、深く傷ついた一言があった。
中学生の頃、国語のテストで98点をとった。中学校までは勉強ができる子で、90点台は当たり前だった。だから、母もそんな成績を見慣れていたのだろう、それに対してこう言った。「なんであと2点が取れないかねぇ」
たしかに私はちょっとのミスで100点を逃してしまうことが多かった。そのことは自分でも残念に思っていた。でも98点は決して悪い方ではない。よくできた方だ。それなのに、この人は98点分の努力ではなく、2点の落ち度を責める人なのだと思った。

しかも、後から考えれば、絶対に私の方が母より勉強のできる子だったのに、よくあんなことを言えたものだと思う。自分のことは棚に上げてあんなことを言うなんて、図々しいったらない。自分の行動を顧みたり、反省したりしない、図々しい人だからこそできた所業であろう。自分より劣った人間にあんなことを言われて苦しめられていたのかと思うと本当に腹が立つ。

私の心が壊れたのは中学3年生、高校受験の時だった。
勉強ができた私は難易度の高い都立高に行きたかった。若くて怖いものしらず、向上心もあったからチャレンジしたかった。
しかし母に反対された。「落ちたのどうするの!」「私立なんか行かせられないよ!」。「落ちたら都立の定時制に行きます」と頼んだけど、「馬鹿言ってんじゃない!」と取り合ってもらえなかった。

一応受ける私立のすべり止めで、親にすすめられたところの理念に「良妻賢母」なんて書かれていて、14歳の私はぞっとした。勉強して、仕事ができる人になりたいのに。専業主婦になんてなりたくないのに。母みたいになりたくないのに。
さっき「嫉妬深い」と書いたけれど、それだけでなく、人を自分と同じ低いレベルにとどまらせようと、ひきずりおろそうとする人でもある。そうやって、自分が安心したいのでしょうね。たとえて言うなら「ダイエットしようとする人をじゃまする人」と同じ。

私は「平凡」なんて望んでいなかった。むしろ高みを目指したかった。がんばってもっとすごい世界に進んでいきたかったのにじゃまされて、自分の希望とは違う母の考えを押し付けられてつらかった。
人に言うことを聞いてもらえないのは、その人が悪いんじゃなくて、あなたがその人に尊敬されていないからですよ。自分が尊敬しない、こんなふうになりたくないと思っている人の言うことなんて聞くわけないじゃないですか。今なら、駄目な大人にそう言ってやりたい。

なんとか塾の先生が、この子の成績なら合格圏だからと説得してくれて、受験させてもらえることになったけれど、ひどくけなされたり、こんな親のところに生まれたくなかったと思ったり、何があっても落ちることはできないという悲壮なプレッシャーで、私は疲れ果ててしまった
合格発表に自分の受験番号を見た時も、嬉しいという気持ちは沸いてこなかった。「あぁ、よかった、これで怒られないで済む…」「これでやっと終わった…」と思ってしまった。本当は、そこからが新しい高校生活のスタートだったのに、とてもそんなふうに考えられなかった。

当時は子供で、自分1人で病院なんて受診できなかったから、うつだか燃え尽き症候群だかわからないけれど、何を見ても楽しいと思えない感情がなくなってしまったような、何もやる気の出ない、抜け殻のような状態になってしまった。毎日、死にたいと思うようになっていた。

親が嫌いだと、自分のことも嫌いになる。こんな人の遺伝子を自分も引いているのだと、自分の存在が汚らわしいもののように思えてくる。自分が存在すること自体がいやになる。私なんて初めから存在しなければよかったのに。それが一番よかったのにと思うようになる。
でも、過去形の願いは叶わない。だから第二希望として「死にたい」になる。

だけど、臆病な私は、高いところから飛び降りることも、首を吊ることも、電車に飛び込むことも、怖くてできなかった。手首を切ることすらできなくて、リストカットできる人はすごいなぁなんて思っていた。だから死にたいと思っているのに、死ねなくて、ぼーっとただ時間をやり過ごすだけの日々になってしまった。そのため、せっかく受かった高校も楽しめず、成績もどんどん下がり、私は人生を前向きに歩めなくなっていった。

まだ就職する決意はできないけど、家を出たいがために少し離れた大学に行った。大学に行ったのは家を出る口実でしかなく、学びたいことなんてなかったから1年で中退し、フリーターになってしまった。履歴書の上では、私はここで普通の道からドロップアウトしたことになるんだろうけど、本当は中3、高校受験の時に私の心と人生は崩壊していた。それがやっとここで表面化しただけのこと。
将来の見通しなどなく、とりあえず生活費を稼ぐだけの日々。アルバイトから派遣社員になって給料上げたり、良い恋人ができたこともあった。10代の何もやる気がなくなってしまった頃と比べれば、10年以上のリハビリ期間を経て、だいぶ“普通の社会人”に近づいていくことはできた。それでも、実家が嫌なところすぎたトラウマはぬぐえず、「結婚したくない」「子供なんて産みたくない」「親になんてなりたくない」という思いは消せなかった。

そうして30を過ぎても独身一人暮らしをしていたところで、機能性ディスペプシア(FD)の悪化と上腸間膜動脈症候群(SMA)の発症。具合が悪すぎて、会社に行けなくなったり、普通の日常生活が送れなくなり、「人は一人では生きていけないんだ」ということを身をもって悟るも、時すでに遅し。具合が悪くて不安な夜も一人で泣いて過ごし、遠方の病院に行くときも付き添いはいないから「無事に戻って来られるだろうか」と悲愴な思いで出かけて行った。

人は一人では生きて行けないけど、生まれる場所は選べない。だから、生まれた場所が嫌いだったら、好きな人やいっしょに生きていきたい人を探し、自分が生きていける場所を見つけ直したり、作っていったりしなければならなかったのだとわかった。しかし、子供の頃に、親が嫌いで、自分が嫌いで、人を嫌いになって心を閉ざしてしまった自分にはそれができなかった。

親だってただの人間で、人間にはいろいろな人がいるから、当然駄目な人も駄目な親もいる。だけど上記のように、親が駄目な人だと子供にとっては致命的だから、親以外のセーフティーネットが必要だと思った。それが、子供が幸せに生きられる世界を作りたいと思った理由。
虐待とかネグレクトまでいかなくても、むしろそこまでひどい事態になる前に防げた方が良いわけだし、暴力を振るわれたり育児放棄されたわけではない私でも「死にたい」と思う程傷つけられてしまったわけだし。

病気になってヘロヘロになり、もう「我慢」なんてしない方が良いし、これまでの思いを打ち明けないままでは死んでも死にきれないと思い、上記のような、子供の頃からの思い、されていやだったことを勇気を出して母に打ち明けたことがあった。その時の母の反応は、憮然とした態度で「覚えてない怒」と言うものだった。ようやく謝ってもらえるかと思ってしまっていた私には少なからぬショックであった。そうか、謝っても、反省しても、改めてももらえないのか。そんな期待は抱いてはいけなかったか。私の傷は一生このままか。

子供の頃に「ふてくされるな!」と怒られたことがあったけど、自分が過ちを指摘された時にふてくされているというのはどういう了見か。人間って本当、自分でもできていないことが多いものですね。私も人から見るとそうなのかなぁ。
自分が悪かったことを認められない、謝れない、逆ギレする人だと、言っても無駄なんですよね。母は普段も、間違いを指摘された時「悪かったわね!怒」と逆ギレする人だったので。それって言葉の見かけと違って、まったく謝っていることにならないですよね。だって、本当に悪かったと思って反省している人がそんな態度とるわけないですもんね。

反対に、謙虚すぎるほど謙虚な上に思慮深い私の妹はよく、「私が間違っているかもしれないんですけど」とか「もう知ってたらすみません」とか、相手にとても配慮した枕詞を置いてから話し始める。本当に、人の頭の良さや人柄というのは、言葉や態度にまざまざと表れるものだと、見ていて感心する。

頭も良くない上に性格も悪いのに、なぜあんなにも自分に自信があり、自分が正しいと思い込み、人に自分の考えを押し付けられるのか、甚だ不思議である。はたまた、頭が悪いから「“自分が間違っている可能性”を考えられない」ということであろうか。
そういった性質は生まれつきのものなのか、おじいちゃんおばあちゃんの育て方が悪かったのか、今となっては2人とも死んでしまったのでわからないし、両方かもしれない。そして、そういう人との付き合い方がわからない。とりあえず「我慢する」は良くないことだと自分の人生で悟った。

親は子供によく「世の中なんてつらいことだらけなんだから我慢しろ」ということを言ってしまうし、小学校の先生なんかも「人の悪口を言ってはいけない」などと安易に指導したりすると思う。私は割とまじめな子供だったので、その「悪口を言ってはいけない」を守ろうとしてしまっていたのだけれど、後から、あれは正しいことではなかったなと思う。

良くないことや嫌なことがあれば、直せることは直した方が良くて、ただ何もせずじっと我慢するなどと言うのは、改善をしない怠慢である。そう、我慢は美徳ではなく怠慢。だいたい「我慢しろ」なんて言ってくる人こそ、人に嫌なことを強いる張本人であって、良い人は「そうだよね、いやだよね」と共感してくれたり、我慢なんてしなくて良いように改善案をいっしょに考えてくれる。

悪口もどんどん言えば良いというものではないけれど、されていやなことは嫌だと言って良いし、好き嫌いも得意不得意も、全員あって当然なのだから、そういった気持ちを否定するべきものでもない。「誰とでも仲良くしろ」なんて、自分でもできないことを子供に言うものじゃない。「されて嫌なことを嫌だと言わずに我慢しろ」だなんて、パワハラ、セクハラを助長してしまうじゃないか。そういう社会に適応しなきゃいけないんじゃなくて、そういう悪いところをこれからは変えていかなきゃいけないでしょ。

不平不満はため込むよりも、直せるところは直したり、さらっと言って発散してしまうようにした方が良い。不平不満はため込むと積もり積もって恨みつらみになるから。ここまでつらつら書いてきた私が良い例でしょ笑 そして積もり積もった恨みつらみは、行き着くところ、他罰的な人だと殺人事件に発展するでしょうし、自罰的な人だと「もう死んじゃいたい」と自殺願望につながるから、我慢なんて全然良いことじゃない。

また母の“性格悪いエピソード”になるけど、犬派・猫派という定番の話題になった時、母はこう言い放って私を震撼させた。「猫は言うこと聞かないから嫌い」。恐ろしいでしょう?言うことなんて聞かなくて当然の動物に対してさえそんなことを思い、また、そんな狭量な自分の心根を(自分では自分の心が狭いだなんてことにすら気づいてもいないのだろう)恥ずかしげもなく人前に披露してしまう厚顔無恥さ
自分の言うことを相手に聞かせなければ気が済まないなんて。私、そんな人に育てられたんですよ。かわいそうでしょ。本当に泣けてくるわ。
しかも、哀しく可笑しな程対照的に、前述の妹は猫が大好きです。相手の自由を認めてあげられるってことでしょうね。彼女に育てられる子は幸せだと幸先頼もしく思う。

母の悪口を書けて少しすっきりした。さっきも言った通り、我慢は良くない。恨みはこの世に置いていきたいしね。
直接は言えないしね。前に話した時のように、謝ってもらえるどころかまた「私が全部悪いのか!」と怒られてしまう。何言っても怒られるんだろうなぁと思われるから、できるだけ何も話したくない。
「育ててやったのに恩を仇で返すのか!」とか言われそうで恐ろしい。でも「育ててやった」って変な言葉ですよね。そりゃあ、赤ちゃんなんて何にもできない状態で生まれてくるから、ものすごく手がかかったんだろうけど、こっちは「あんたのところになんて生まれてきたくなかった」と思っているのに「育ててやった」なんて恩着せようとすること言われてもありがたくとも何ともない。感謝って本来強要するものじゃないのにね。いやな思いいっぱいさせられたから、感謝の気持ちなんて湧いてこないんだけどな…。

Twitterとか見てると、親御さんで「自分が生みたくて生んだんだから、生まれてきてくれただけでありがとう」とか「このかわいい時期にもうすべての恩返ししてもらってる」とか受け止めている人もいるみたいだけど、すごいなぁ、子育て大変なのにそんなふうに思える(思おうとできる)んだなぁと感心することもあるし、反対に「これまでかかった生活費や学費全部返せと親に言われた」みたいな、自分よりひどいエピソードを見て驚愕することもある。やっぱり良い親もいればひどい親もいるし、1人の親の中でも良い部分も悪い部分もあるだろう。「親がそんなによくできているわけはない」という現実に基づいて、子供が幸せに育っていける世の中の仕組みを作っていかなければならないと思う。

・そもそも、「子供は親の所有物ではない」「子供に親の希望を押し付けてはいけない」といった当たり前のように思える理念も、実行できていない人がいるのだから、もっと明確な形で周知徹底しなければならない。「毒親防止法」みたいなものが必要だと思う。

・親の方も、「子供の育て方」なんて教わったことがない状態でスタートするわけだから、上手にできないのも無理ないかもしれない。親への研修なんて言うと義務っぽくなってしまうから、親へのサポートが充実すれば良いんだろうなぁと。わからないことがあっても聞ける人がいなかったり、自分の親世代じゃ常識が古かったりするから、子育てに詳しい人に簡単にコンタクトがとれて相談できるシステムとか、児童心理学に精通していたり普段から子供と多く接している人の話を聞かせてもらえる場があれば良いだろうなぁと。ひとりよがりの方法や、思い込み、勘違いで進んでしまわないためにも。母も、“私が調子に乗らないようにわざと厳しくしていた”というようなことを言っていたけど、私からしたら“やるべきことをちゃんとやっているのに、なんで誰からも認めてもらえないのだろう”という満たされなさを感じていた。客観的な立場から見てアドバイスをくれるカウンセラーみたいな人がいてくれたら救われていたかもしれない。
「良かれと思って」という言葉は象徴的だなと思って。やってる方は良いと思い込んでいるけど、やられている方からしたら迷惑でしかない。
そもそも困難なんて、生きていれば自然と誰にでも何度でも降りかかってくる。わざと意地悪く与える必要なんてなかっただろう。「苦労は買ってでもしろ」などという気持ち悪い言葉は大嫌いだ。人をいじめるのが好きな人が言い訳に使っているだけだろう。

子供にもサードプレイスが必要。学校も家も居心地が悪いことはあるだろうから、せめて放課後を無料で過ごせる場所が子供にも必要だと思う。
図書館は早い時間からいる高齢者で席が埋まっていたり、「長時間勉強しないでください」なんて張り紙が貼ってあったりして、「図書館で勉強しちゃいけないなんて…」と絶望的な気持ちになったなぁ。
自分も家にいたくなくて、でも子供だからお金がなくてカフェに入り浸ったりできず、受験生の頃、冬の凍える公園で勉強していたことがあった。あれは思い出すと泣けてくる。子供の頃は親や先生くらいしか接する大人がいないことも多いけど、親も先生も良い人じゃない場合もあるから、サードプレイスで、それ以外の大人と接する機会も作れたら良いと思う。話を聞いてもらったり、「良い見本」になってくれる大人がいると良いもんね。知らない世界も教えてもらえるし。

自分の生い立ちの嘆きが長くなってしまったけど、自分が不幸な子供だったからこそ、これからの世代の人たちにはこんな思いをしてほしくないと思っている。意地悪な昭和世代のように「自分たちはこんな苦労をしたんだから、お前らも同じ苦労をしろ」なんて言わない。悪弊は継続せず、止めなければならない。
自分の望まない道を押しつけられるより、自分の進みたい道、正しいと思う道を進んでいく方が、生きがいを感じられるだろう。1人1人が生きやすい世界にしていけたら良いなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?