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もう少しふてぶてしく生きること

 前職を辞めてから、3年間経った。公認会計士という結構難しい資格の勉強を続けながらニート生活を楽しんできたのだが、昨年の試験に合格できなかったので重い腰をあげて1月から転職活動を始めた。

 幸い簿記1級を取ることはできたので、空白期間は長いと言えども書類は通る。でも面接は慣れない。そもそも私はあまり外交的な性格ではないし、ずっと会計基準や六法と睨めっこする生活を続けてきた身分からすると、きっちりと組織の中で実績を積んできた人事担当者や経理マネージャーとの面接はこちらのコミュニケーション力不足を一方的に露呈させるので辛い。おまけに特に誇ることができるような実績もない。何を話しても、「別に怠けて生きてきたわけではありませんが、必死に生きてきたわけでもありません」という旨を水増しするような内容の問答で終わる。

 私は自分に自信がない。「何かがやれる」という気がしない。この自信のなさは、おそらく実際の能力不足以上のものも含んでいるだろう。しかし問題はそこではなく、これまで自分が何に対しても「半身」で取り組んできたことが大きく作用しているのだろうと思う。例えばAをやっている時にBの事を考えている。それでBに方針を転換すると、今度はこれまで見向きもしなかったようなCに意識がいってしまう。これが最後、と思ってCに向き合った瞬間、Aのことが惜しくなる。こんな感じに、頭の中がいつも放浪している。
 生き方を改めよう、一度でいいからひとつのことに一直線に取り組んでみようと決意した次の日には、何か人生が浪費されていくような気がして、それが口惜しくて、もう一度スタート地点に戻っている。

 先日あるベンチャー企業の面接を受けた時、担当してくれた人事担当者の人にそんな私の脳内放浪癖を見事に言い当ててられてしまい、採用面接というよりも半ば人生相談のような様相になった。

 その人は私がかれこれ四半世紀もおぼつかない足取りで生きていることを、「全てがあなたの所為ではない」とフォローしつつも、自分の見聞きした話を踏まえて私にいくつかの可能な道筋を示してくれた。なかなか上達しなくてもダンスを辞めずに全国大会まで行った友人の話、小屋暮らししながら恋人を見つけて子供まで作っちゃっている人たちの話、(私が映画好きという点から)映画の話。

 その人は、いくつかの例を踏まえて、つまるところ「自分の心が動くものが分からない時にとりあえず与えられた環境で期間を決めてやり切るのもいいし、もし心が動くものがあったら他の人の意見は気にしないで飛び込んでみるのがいい。いずれにせよ正解を選ぶんじゃなくて、選んだ道を正解だったと思えるように頑張りなよ」ということを私に伝えてくれたのだった。

 自分が何に心を動かされるか、というのが私には正直よく分からない。私はよく、他人の願っていることを自分の欲求だと勘違いしたり、自分が願っていることを他人に押し付けられたものだと混同してしまうし、その欲望や情熱が本物かどうかを確かめることを怠ってきた人間なので、どうしても自信が持てないのだ。

 それでも最近、インターネットでたまたま見つけた面白そうな会社に問い合わせフォームからメールと履歴書を送って電話で想いを伝えてみたら、面接しましょうと言ってもらえたのは嬉しかった。HPを見る限り採用募集はしていない会社だったけれど、ダメ元で送ってみた言葉が思わぬ収穫をもたらしてくれたのだった。そういう姿勢って、やっぱり大切なんだなとしみじみ感じた。

 まあ、どちらにせよ今はとりあえず行き着いた場所で頑張ってみようかなと思っている。面接もたくさん入って、勉強することもたくさんあって大忙しの年始だけど、気分は上向きだ。ちなみに大須観音で引いた今年のおみくじは「凶」だった。


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