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フラペチーノは涙の味

(「noteのcakes」アカウントにて、2019年5月25日に書いたものを画像を削除して転載)

ダイエットがはかどってしゃあない

犬の毛並みが冬は長く、夏は短くなるように、人間も冬には体温の保持のために脂肪をつけるが、それらは夏には削ぎ落とされてしまう。異様に暖かかった昨日、体重計に乗ってみると何と60kgを切って59kg台に突入していたのには驚いた。自分の身長は181cmと日本人にしては高い方なのだが、仄聞するところによると(って一応書いてみるが、本当はちょっと洒落た言葉を使いたかっただけで、実は調べた)この身長における理想体重は72kgなのだそうだ。今の自分には12kg以上足りない。そこまで少食というわけでもないのだけれど、なぜか僕はもともと痩せっぽちだった。身長の伸びが止まった19歳以降、体重は多い時(つまり寒い季節)で63kgぐらい。夏になるとさらに落ちる。それでも大抵61kg台、少ない時でも60kg台で留まっていた。なのに、今年、ついに自分は50kg台の人間になってしまった。もうちょっとでライト級からスーパーフェザー級への大落下だ。由々しき事態。嗚呼、神様。けれど、ひょっとする心当たりがないわけでもない。


1食100円でお腹いっぱいの生活

僕はこの頃、極端に貧相な食生活を送っている。肉も野菜も無い食事だ。具体的にはパックごはん200gに、「わかめ」か「しじみ」の味噌汁。ごはんには「バター醤油」ふりかけか「のりたま」をかけて食べる。「一汁一菜」ってやつだ。これを3食続けている。

「ごはん」と「味噌汁」の組み合わせって世界的に見ても「飽きのこない食べ物」ランキングTop3ぐらいに入るのではと思うのだが、さすがに数ヶ月続けていると猛烈に飽きる。飽き飽きしながら頬張っている。しかし頬張るとすぐに食べ終わってしまう。変わり映えしないと言っても、一日にたった3度の食事なので、一昨日ぐらいから頬張ることをやめて、一口につき30回は咀嚼することを心がけながら食べるようになった。食に対する真面目さがおじいちゃん並みになった。

ちなみに、この「一汁一菜」生活、1食あたりの食費をざっくり計算してみると、

・ ごはん 約88円
・ 味噌汁 約11円
・ ふりかけ 約7円      計106円

ということになる。なかなか興奮する数字だ。一杯の牛丼を5日かけて食べるというオードリー・春日に言わせればまだまだかもしれないが、昼時の吉野家で牛丼を貪っている野郎どもに対してなら「お前らが300円払って家畜みたいにドンブリに顔突っ込んでる間、俺はたった100円で悠々と飯食っているぜ! どうだ腐れ外道ども!……畜生」と自慢(?)できなくもない。

なぜこういう食生活を続けているのかと言えば、早い話が「金がねえから」なのだが、それは何も僕が奨学金という名の借金を抱えながら勉学に励む涙ぐましい苦学生だからというわけでも、中学生の時に一家離散の憂き目にあって公園のすべり台の中で寝泊まりしているからというわけでもなくて、単に趣味の釣りにバイトで稼いだ生活費根こそぎつぎ込んでしまったからなわけで、つまるところ自業自得である。だから、ホントのホントに同情される筋合いはない。

友人たちの優しさが微妙に辛かった

それにしても極貧の時に限って旧知の友だちから食事の誘いが来るのはなぜだろう。今週だけで3~4回は誘われた。そのうち2回は行った……ええ、奢られにね。それぞれ大学が同じだった友人と会って食事をしたのだけれど、すでに社会人になっている2人は「俺、金が無いんだ」アピールをするまでもなく、自分のヒョロヒョロの肉体を見て察知してくれたらしい。飯だけでなく、食後にスタバでフラペチーノまで奢ってくれた。トイレで泣いた。

しかし一つだけ気がかりなことがあった。それは彼らが僕の貧乏を定職のないフリーターであるという一点につなげて考えているらしいことだった。前述したように、僕の金欠は後先を殆ど考えずに釣りに行ってしまったために起こった事なのだが、事情を何も話さない限り(話したら奢ってもらえなくなるから)、彼らはどうしても「正社員」/「フリーター」の境界線をこしらえてしまう。当然と言えば当然のことだと思う。しかし、彼らが僕を一つのステレオタイプにはめ込んでしまう限り、こちらもだんだんとそのように振る舞うようになってしまう。あるいは、境界線を引いているのは実は僕の方かもしれない。いずれにせよ、大学の講義をサボって一緒にほっつき歩いていた頃の対等さは消え失せてしまっていて、一つの上下関係ができてきてしまう。友人が友人でなくなるのは、こういうタイミングなんだろう。

こんなつまらない事で、彼らと友だちでなくなるのはちょっと嫌だなと思う。

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