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騒がしい頭

 頭の中で、常に特定の音楽が鳴っていたり、口には出ない自分の気持ちを話していることがある。それらはどちらか1つだけということはなく、同時にいくつも流れていることが多い。最近はというと、自分の頭の中では何故かしらミッシェルガンエレファントの『ダニー・ゴー』がこの3日間、ずっと流れっぱなしであるし、それと同時に昔のことに対する後悔---例えば中学生の時に野球部の練習をあんまり頑張らなかったこと、無駄に高い矜持から何についても他人に教えを乞えなかったこと---や、一族の中で邪険に扱われている親戚に対して、次に会った時にかける言葉を反芻している。

 3年ぐらい前に、ライターの武田砂鉄と、お笑い芸人・小説家の又吉直樹のトークイベントを観に行った時に、「頭の中で喋っている人は少ないのか、多いのか」という話題になったことがあった。結局、みんながみんな頭の中で喋っているわけではないのではないか、という結論で落ち着いたと記憶しているのだが、自分は物心ついた時から常に頭の中で音が流れていたり、外には出せない言葉をしきりに話していたりしていたので、そうではない人もいるという事実に驚いた。

 どうして自分の頭の中が常に騒がしいのか、少し考えてみると、「自分の思ったことを口に出して他人に伝えるまでにいくつもの心理的障壁を越えなければいけないタイプの人間は、それだけ外に出すことができなかった言葉が多く溜まることになるからではないか」という、まああんまり面白みのない結論に至った。逆に、自分の思ったことをそんなに抵抗なく口にできたり、集団のカラオケで何の恥じらいもなく自分の歌いたい曲を歌える人は、頭の中で言葉を反芻しなくても済むし、頭の中でコンサートを開かなくても済むのかもしれない。もちろんこれはグラデーションのある話で、多かれ少なかれどんな人の頭の中にも、外に出ることができなかった言葉が流れている。しかし、個々の気質によって、それらは忘却されてしまうこともあれば、消えることもできずにずっと滞留することがある。滞留するものが多ければ多いほど、頭の中は騒がしくなる。

 成仏できなかった言葉や声がいつまでも残留してしまうのは、それだけその人が過去に囚われ、相対的に現在を楽しめなくなっているということなのだろうか。自分はここ1年、会計学を学んでいるのだが、会計学の重要な分野の1つ、管理会計(工業簿記)における原価計算のもっとも基本的な考え方に、「先入先出法(さきいれさきだしほう)」というものがある。先入先出法を採用している工場では、製品を作る時に利用される原料は、古いものから順番に使われているとみなされる。これとは逆に、現在では採用されていない考え方に「後入先出法(あといれさきだしほう)」というものもあり、これは逆に製品を作る時に利用される原料は新しいものから順番に使われているとみなす考え方である。人間の頭の中に滞留している言葉や声を「原料」とみなすのならば、先入先出の人間の中では古いものから順番に押し出されていって、新しい「原料」だけが残ることになるかもしれず、後入先出の人間の中ではむしろ、新しい「原料」はあまり留まることがない。例え現在を楽しんでいても、その記憶は優先的に出荷され、過去のことだけが残ることになる。

 長年、成仏できなかった声はその人の中にこびりつき、錆となり、行動や考え方をしばる足枷となる可能性もある。子供の頃、たまに近所に1人でしきりに何かしらを呟きながら1日中歩いているおじさんやおばさんがいたが、中には自分で自分にインタビューという形式を採用しているおじさんもいた。彼は、長い年月をかけて滞留してしまった自分の声に耳を傾けてくれる他者を探したが、ついぞ現れず、仕方なく自分が聞き手になるという選択をしたのかもしれなかった。会計実務において後入先出法が不採用になったのは、たしか企業の不当な利益操作につながる危険性があるからというのが主な理由だったが、今現在、後入先出法を採用している人間も、何かしらの口実をつけて先入先出法に移行した方が良い気がする。淀んでいるより流れている方がずっと健康的なので。(終わり)

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