見出し画像

ギャグみたいな天気の効用について

昨日は深夜までラジオを聴いており、就寝したのが午前2時ぐらいだったのだが、すごい音で早朝6時ぐらいに目を覚ましてしまった。明け方から豪雨が降っており、その雨粒が窓に叩きつけられる音が目覚ましになっていた。

豪雨にせよ、豪雪にせよ、朝起きた時に外がギャグみたいな天気だと私はなんだか大抵のことがどうでも良くなってしまう。

ギャグみたいな天気の下では人は基本的に家の中でじっとしておくしかないからだ。

例えば失職中の人が朝からハローワークに行こうと思っていたが、いざ起きてみると外が豪雨で大洪水になっていたとしたら、もうその人は職探しどころじゃなくなる。とりあえず命の方が大切なので職探しはうっちゃってしまって今日は一日家の中でじっとしておきましょうね、となる。

緊急性によって、日常の緩やかな絶望や苦しみが薄れるという効果があるのかもしれない。

私は一時期かなり鬱っぽい時期があり、なぜか雲ひとつない青空を見ると絶望感がより一層深くなるという感じだったのだが、逆に嵐がきた日には1人だけ妙に気分が良かったことを記憶している。

ギャグみたいな天気は、かなり天真爛漫でもある。今日もこのまま一日中雨なのかと思っていたが、10時ぐらいになるとみるみる空が明るくなり、結局青空になってしまった。降っている時はいつ止むのか検討もつかない勢いだが、数時間もするとパッと晴れてしまう。大泣きしていた赤ん坊が次の瞬間には笑っているのと同じ具合だ。

朝起きた時のギャグみたいな雨で、昨晩した喧嘩を強制的に仲直りすることになったカップルはこれまでにたくさん存在したはずである。

昨晩どれだけ激しい言い争いをしたとして、またそれが原因でもう一生口を利くものかとどれだけ互いの枕を離して寝たとしても、朝起きた時に外が大洪水だったら、とりあえず「雨、すごいね」とか「ニュースつけよニュース」とか、なんらかの会話は生まれるだろう。そしてギャグみたいな天気はそのあと少ししてから去っていくが、なしくずしに会話をまた始めてしまった事実は置いてけぼりにされるので、喧嘩もうやむやになってしまう。まあ、それを良いと捉えるか悪いと捉えるかは人によるところだが。


今日は豪雨の話題から記事を書き始めたが、そもそも私は「豪」という文字が好きである。

日本にはなんらかの分野で傑出した人間に「豪」の字が入った呼び名をつけるカルチャーがある。文豪、豪農、豪商、性豪、酒豪。私はそういうのが好きなのである。

私のイメージでは、「豪〇」や「〇豪」と呼ばれる豪傑たちはまず笑い声がデカいと思う。そして例外なく「ワッハッハ!」と笑う。あと外見もだいぶかぶいている。男だったらたぶん女物の着物とか羽織ってる。そして人が集まって話す場ではわざと不穏なことを言うのではないか。例えば合コンの自己紹介では、真っ先にオチンポを出す方である。あるいは対面に並んだ女性陣のおしぼりを一旦全て自分に向けた上で、こう言う。

「これでみーんなワシのタレじゃな! ワッハッハ!」

 言い忘れてたが、豪傑たちの一人称は「ワシ」か「オレ」、女性であれば「アタイ」であると相場が決まっている。豪傑に「ワタシ」や「ボク」は似合わないだろう。そして相手のことはそれが誰であっても「貴様」か「お前さん」と呼ぶ。豪傑が他人を「あなた」や「きみ」と呼んじゃいけない。豪傑は品を表に出してはいけないのだ。あくまで野蛮で天真爛漫な人物として振る舞うこと。

それから彼らはお金もあまり持ってない。金はたくさん稼ぐのだが、それをバンバン使ったり貸したりしている。あるいは文豪であれば、稼いですらいない。文豪はお金を借りて踏み倒すところまでがセオリーだ。

話が大幅にズレた。天気の話だ。とにかく私は「豪」という字が好きなので、「豪雨」や「豪雪」も概念的には好きである。実際に遭遇すると大変だが。彼らの良いところは良くも悪くもカラッとしているところである。「小雨」や「霧雨」、「粉雪」にあるような憂鬱さがない。そして来る時は一瞬。ちょっといたかと思うと「じゃあな! また来るわ!」と言って後腐れなく去っていく。そんな人に私もなりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?