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祖母の鼻毛が伸びていた話

(2020年6月13日に「noteのcakes」アカウントで書いたものを転載)

 自己評価というのは往々にして当てにはならないものだが、少なくとも僕は自分のことをわりあい冷静な人間だと捉えている。特に他の人たちであれば思わず愕然としてしまいそうなことに対しても、それなりに迅速に対応できる方だ。駅の構内において、目の前で見知らぬ二人の男性が殴り合いの喧嘩を始めた時も、2秒後には止めに入ることができた(実話)し、多摩川で釣りをしている時に真上にかかる橋のたもとから、川面に向かってバカな高校生が突如ションベンをし始めた時(実話)も、数秒後には叱りつけることができた。

 しかし、そんな自分にも、どうにも対処のしようがない、茫然自失とする他ないという出来事が数年に1度ほど起きる。ごく最近もそんなことがあった。

 父方の祖母の鼻毛が伸びていたのである。

 祖母の家は、僕の実家から徒歩で10分ほどの近所にある。30年ほど前に建てた2階建ての古風な一軒家の中は夏に行くと蒸し暑く、冬に行くと足がかじかむほどに肌寒い。祖母はエアコンが嫌いなのであった。3年前の夏に祖父が死んで、今は祖母が一人で住むその家は年を経るごとにがらんどうになっていくように思えた。祖母はTVもラジオも聴かない上に、家族をおいて他に友人もいない。曇っていようが雨が降っていようが、日中は電灯が点けられることはなく、天窓や縁側に開いた窓、2階に上がる途中の踊り場の窓から差し込むわずかな自然光が家内の一切をおぼろげに照らし出すのみである。静寂と陰影が支配するその一軒家は、おそらく近所の子供達からは「幽霊屋敷」などと呼ばれているのだろう。

 その日は、数日前に僕と父が三重県の尾鷲町で釣ってきた鯖を祖母が料理して昼食に振舞ってくれるというので、僕は1人で祖母の家を訪れたのである。インターホンを押すと、数秒間ののちに「はあい」と応じる声が響いた。僕が名乗ると、インターホン越しにもう一度「はあい」という声が返ってきて、しばらく待つと扉のロックの開く音が聞こえる。

 頑丈な重い鉄の扉を開いて中に入ると、外からの光でわずかに先が見通せる暗く長い廊下の向こうの客間から祖母が音もなく近づいてきた。祖母は家の中ではいつでもショートソックスを履いており、移動する時はその足で床を擦るようにして歩くので、足音が立たない。無音でゆっくりと近づいてくる祖母を見ると、僕もやはり「幽霊みたいだ」と思う。

***

 いつものように手を洗ってから台所へ行くと、祖母はベーコンエッグを作っていた。愛用の中華鍋に敷き詰められた10枚ほどのベーコンからは熱で脂が弾ける音が響いている。「鯖はどうしたの?」と尋ねると、祖母はベーコンを焼いている方とは別の、火の消えたコンロの上に置かれた銀色の雪平鍋を顎で示した。蓋を取ると、味噌をベースとしたスープの中に半身を2等分した鯖の大きな身と、スライスされた玉ねぎが浮かんでいる。玉ねぎは相当な時間、煮込んでいたのだろう。すっかりひしゃげてしまっていた。味噌スープの中にはポツポツと赤い点が見える。程なくして祖母が「韓国風よ」といったので、それらの点はコチュジャンだとわかった。

 ベーコンエッグを作りながら、祖母は僕の近況を聞いてくる。東京ではいつも何をして過ごしているのか。体調はどうか。次はいつ名古屋に帰ってくるのか。いい人はできたのか。いつもと変わらないおきまりの質問に、僕は適当に答えながら祖母がベーコンの上に卵を4つ割り入れるのをそばで眺めていた。よく見るとベーコンはすっかり焦げてしまっていた。「1人でいる時は、料理なんてしなくなっちゃったのよ」と祖母は鍋から目を離さずに言う。どうやらベーコンを焦がしたことの言い訳をしたいようだった。程なくして、「もう席に座っていなさい」と祖母は僕を半ば強引に追い払った。

 TVのリモコンをとって、電源を押すと、画面では『エール』の昼の再放送が流れ出した。祖母の家でTVを点けると、まず最初に映る放送局はNHKである。他の局はありえない。祖母は基本的にTVは観ないが、朝と夕方にNHKニュースだけは観る。祖父が生きていた頃から、変わらない習慣である。日曜日はそのレパートリーの中に「のど自慢」も入った。僕は祖母とは違い、普段全くTVを観ないどころか部屋にTVを置いてすらいないので、『エール』がどういう話なのかはさっぱり分からない。分からないままで画面の中で躍動する窪田正孝と二階堂ふみをぼんやり眺めていた。

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 祖母が食事を運んできた。ベーコンエッグ、鯖の韓国風煮、サラダ、白米。ふた皿に分けられたベーコンエッグはどちらも焦げてしまっていたが、特に黒ずんでしまっている方を祖母が自分の盆の上に乗せた。祖母はまだ、「この頃すっかり料理しなくなってしまったからね」と言っている。僕がまだ小さかった頃の祖母は、料理が抜群に上手い人であった。家庭的料理の代表格であるカレー、サムゲタン、ピビンバ、豚足、ご飯にかけると最高なネギのピリ辛醤油漬け。何を作っても旨い。僕の父は、そんな料理上手な祖母を見習ったのか今では我が家の料理を1人で全て作っている。会社から帰ってくると、自分で料理の献立をメモ用紙に書き込み、近所のスーパーで具材を買ってきては楽しそうに料理している。会社を経営する傍ら、料理までこなす父は、よく考えてみたら超人である。もっとも、そこには僕の母が全く料理をしないという事情もあるが。

 そもそも生きた時代がそうだったのだから致し方ないこととはいえ、祖母の家族観・男女観には、昭和的な古臭さが錆び付いているきらいがある。例えば、僕の母が全く料理をせず、もっぱら父が料理を作っていることを決して良くは思っていないようだったし、僕が東京でよく1人で料理を作っていることを話すと、「男の人がそんなことをするもんじゃありません」と言う。

 祖母は感情の起伏も表情も平坦である。大口を上げて笑ったり、声を張り上げて他人を叱りつけることはない。愉快な話を聞いている時は、微笑か「ふふふ」と言った感じの忍び笑いをするばかりだし、不愉快な場面に出くわした時は、咎めるような目つきで相手を黙ってじっと見つめるか、首を2度3度とゆっくり横に振って「そんなことをしてはいけません」と言う。僕が自分で料理を作るのは楽しい、と言った時もやはり口をつぐんで首を揺らしながら「それはいけません」と言うのだった。

 鯖の韓国風煮は美味しかった。僕は基本的に鯖が嫌いなのだが、これは食べられる。サラダはわさびドレッシングがかかっていて、少し辛すぎた。ベーコンエッグは焦げてても美味しい。ベーコンと卵という単純明快なコンビネーションは焦げたり、生焼けだったり、そういった些細な不具合には動じない懐を持っている。僕は結局、目の前のおかず全てと白米2杯を平らげた。祖母も、ゆっくりとだが着実に目の前の料理を咀嚼している。

 食事を終えて手持ち無沙汰になったので、茶をすすりながら祖母の横顔を見ると、祖母の鼻からは一筋の鼻毛が突き出ていた。

 私は人よりも鼻と鼻の穴が大きいので、鼻毛がはみ出しやすい顔をしている。だから、鼻毛関連の問題にはとても敏感なのである。例えば、鼻翼が横に長い人間は、平常はそうでもなかったとしても、力いっぱいに笑うと鼻翼が急激に上方へとつりあがってしまう。すると、隠れていた鼻毛が露見してしまう現象が度々生じるのである。私はこれまでもこうした鼻毛の罠に悩まされ、涙を飲んできた過去があるので、週に1度、多くは日曜日の朝に、ジャック・ニコルソンばりに鏡の前でニンマリ笑いながら、ハサミと専用シェーバーを使って鼻毛をケアする習慣ができた。

 かくのごとく、いわば僕は鼻毛のエキスパートでもあったので、奥ゆかしく、品のある祖母が平常時に鼻毛を露見させている、という事実には少なからず驚愕した。しかし、僕は他人に鼻毛が出ていることをそれとなく感知させる話術は持ち合わせていないし、ましてや祖母は僕にとって実際の母よりもさらに高次の、ユング的に言えば「グレートマザー」的な存在でもあると考えていたので、鼻毛が伸びていることを指摘するのは一筋縄ではいかないのだった。結局、諦めた。祖母の自発的な気づきに懸けるしかない、と結論したのだった。

 食事が終わった後、僕は2階に上がった。2階には祖母の蔵書がある。一般的な86歳がどういう生活をしているのか、僕はあまりよく知らない。僕は喫茶店でよく本を読んだりするのだが、そこには50~80歳の女性たちが2,3人、多いときは10人ぐらいでテーブルを囲んで井戸端会議に花を咲かせている光景に頻繁に出会う。だから、50歳を過ぎた専業主婦は主婦仲間と集まってコーヒーを飲んだりケーキを食べたりするのが日常なのだろう、と思っていた。しかし、祖母には喫茶店に行く習慣もなければ、他愛もない話をする知り合いもいない。その代わり、本はよく読むらしい。その証拠に、祖母の本棚には小説、エッセイを中心に最近発売された本もたくさん入っていた。村田沙耶香『コンビニ人間』(2016年)、若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』(2017)、佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』(2016)、矢部太郎の『大家さんと僕』(2017)、『大家さんと僕 これから』(2019)などなど。

 『九十歳。何がめでたい』は、老齢の女性のライフスタイルに主眼を置いたエッセイであるし、『おらおらでひとりいぐも』、『大家さんと僕』シリーズは、いずれも主要キャラクターに老女が出てくる。一方で、『コンビニ人間』のチョイスには疑問符が浮かんだ。


 1階に戻り、祖母に「結構いろんな本を読んでいるんだね。あれは書店に行って自分で選んでいるの?」と尋ねると、祖母は首を横に振って、「新聞の書評欄を見て、面白そうなものを選んで買ってきてもらっているの」と言う。なるほどな、と思った。『コンビニ人間』は純文学には珍しく100万部を売り上げた作品である。新聞で取り上げられていてもおかしくはない。祖母は続けて、ポツリと呟いた。
「でも、一冊として読み切ったものはないのよ」
 僕は祖母の隣に座って、また祖母の横顔を見た。白い鼻毛が鼻腔から顔を出している。
 「読んでいるうちに、飽きてしまうの?」と僕が尋ねると、祖母はゆっくりと顔を横に振った。
 「目が疲れてしまうの。歳のとりすぎだわ。細かい活字を追っていると、頭が痛くなってきてしまっててね」
 「老眼鏡をしていても、ダメ?」
 「ダメねえ。それに、本を読んでいても、何を今更っていう気分が消えないわ」

 「今更」というのは一体どういう感情なのだろうか。もう先が長くないから、新しい知識を得ても意味がないということか。

 「人生100年時代」と呼ばれて久しい。今後、健康な人間が100歳近くまで生きるかもしれない、ということを考えると、80半ばの祖母にもまだ時間はたくさんあるんじゃなかろうかと僕は思った。

 「お婆ちゃん。お婆ちゃんが100歳まで生きるとしたら、まだ15年も時間があるんだよ? 15年が長いと捉えるか短いと捉えるかは、もちろん人によるけれど、僕は少なくとも……」

 そう言いかけた僕を遮るように、祖母は今までに見たことがないくらいに強い調子で首を振り、「そんなに生きるわけない」と言った。

 僕はまた黙って祖母の顔を見つめていた。TVでは「エール」の放送が終わり、今はニュースに切り替わっている。祖母はTVの方向に顔を向けていたけれど、TVを見ているのではないようだった。どこか、天井、いや空を見つめているようだった。よしておけばいいのに、と思いつつも僕はまた
「お婆ちゃん、たまには外に出てみなよ。散歩でもいいからさ」と言ってみるが、祖母はやはり首を横に振るばかりである。僕に何か弁明をしようという風でもなく、ただ口を固くつむんでいる。それっきり、祖母は完全に押し黙ってしまった。TVの画面ではニュースキャスターが京アニ放火事件の青葉容疑者の正式逮捕を報じている。

 手持ち無沙汰になった僕は、お茶をすすりTVの画面を見ながら、高校時代の友人が祖母に対して言ったという言葉について思い出していた。その友人の祖母は、僕の祖母よりも長く生きている。確か91歳だったか。友人は、今はその祖母と二人暮らしをしているのだが、祖母が1日中、甘い物を食べ続け、気の抜けた生活をしているのに自分にだけは口うるさく文句を言ってくることを煩わしく思っていた。それで、ある日の夕食の席で、友人が「たまには外にでて歩いてみたりしたら」と言った。ふと顔を上げて祖母を見ると、その目には涙が溜まっていたという。友人はその出来事について、ずいぶんバツが悪い思いを抱いたようで、たまらず僕にそのことを電話で話してきたのである。91歳ならば、先ほどの「人生100年時代」の話でいえば、あと10年生きられるかどうか分からないということなので、友人からその話を聞かされた時の僕はどちらかといえば友人の祖母に対して同情的な気持ちを抱いた。

 しかし、自分の祖母に対して、僕は友人と全く同じことを言ってしまっていたのであった。高齢者に対し、「たまには外にでてみろ」「本を読んで学べ」と言うのは、少なくとも現役世代からしてみれば真っ当で建設的な指摘かもしれない。しかし、それはあくまで現役世代が勝手に決め付けてしまっているだけの話である。そこでは「運動しろ」「新たに学べ」と言われている高齢者が、実際にどんな感情を抱くかを考えてみるということ、ありていに言えば「思いやり」のようなものが欠けている。そこには、現役世代(若者)から高齢者(老人)に向けられるある種のハラスメントのようなものが存在する。僕は、友人のエピソードと自分の祖母の反応から、自分の無神経さを初めて自覚したのだった。

 坂元裕二が脚本を書いたドラマ『anone』(2018)の中で、田中裕子の演じる林田亜乃音が「生きなくたって良いじゃない。暮らせば。暮らしましょうよ。」と言う場面があるのだが、自分なりに解釈すれば、この場合の「生きる」と「暮らす」には「"未来"に焦点を置いているか、"今"に焦点を置いているか」という違いがあるように思う。「未来」は老人のものなのだろうか。死期の接近(それは年齢という明確な数字をとって現れる)を否が応にも実感せざるをえない高齢者の多くは、やはり「暮らす」ということに徹せざるを得ないのではないか。1日2~3回の食事をとり、家事をし、夜がくれば床につく、というような果てしない日常。その果てしない「暮らし」が終わるのは自分がまさに死ぬ時である、という状況に置かれた人間の気持ちは25歳の若者にはよく分からない。それが分かるのはずっとずっと先の話だし、おそらく分かってからは、その気持ちをこうして言葉にして書く気も無くなっているんだろう。

 そんなことを考えていると、祖母がおもむろに口を開いた。
 「〇〇くん(筆者実名)が結婚して、そのお嫁さんにお婆ちゃんの料理のレシピを教えるまでは生きるわ」
 不死身では?

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