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全て人の道

(2019年6月1日に「noteのcakes」アカウントで書いたものを、非表示化にともなって転載)

人から見た鳥、虫から見た鳥


 初夏に川で釣りをしていると、羽化したばかりの羽虫の群れが河原を飛び回っている光景に出くわすことがある。人間からすれば羽虫は目障りだし、家や車の中に入ってきたら困る存在なのだが、逆に彼らの存在を心から喜ぶ生き物もいる。水面で跳ねる魚や、長い冬をひもじい思いで越してきた鳥たちだ。だから、初夏の河原の空は、おびただしい数の虫と鳥で溢れている。

 虫を追ってあちこちに飛び回る鳥は、人間からみれば愛らしい存在かもしれない。けれど、虫の視点で見た時はどうだろう? 一方的に食われる立場からしてみれば、鳥はひどくグロテスクな存在なのかもしれないと思える時がある。鳥が首をひねったり、左右に動かしたりする時の、あの「カクッ、カクッ」とした動きは、彼らとは比べ物にならないほど大きな体の僕たちにとっては、不気味さは感じることはあっても恐怖を覚えることはない。でも、もしあの動きのゴジラが現れたら……想像しただけで背筋が寒くなる。

真夜中のシリアルキラー


 自分の行動にも、僕は時々ぞっとすることがある。最近の例を出せば、やっぱり虫を殺した時のことが思い出される。僕の住んでいるシェアハウスは、住民たちの衛生意識が低すぎることが災いして、夜中に共用キッチンに行くと未処理のまま放置されている残飯に小さなゴキブリがくっついていたり、洗面所で歯磨きをしているとガガンボやハエが開けっ放しの窓から飛び込んできて「ヒャッ」とさせられる。僕は神経質なくらいキレイ好きなので、今の住居は地獄そのものである。地獄に住むことで蓄積されるストレスは並大抵のものではなく、最近は、そのはけ口としてゴキブリを積極的に殺害している。どんなに小さくても、ひとたび見かければ最後、スリッパで叩き潰すまで地の果てまで追っかけてしまいそうなストイックさでゴキブリ殺戮に勤しんでいる。だから、寝る前の歯磨きをしている最中にゴキブリを見かけたりすると、異常な執念を発揮して小一時間もかけて捜索してしまったりする。長い時間をかけてターゲットを探しだし、ペシャンコに叩き潰すことに成功した時の達成感はすごい。一仕事終えた満足感に包まれて、中断していた歯磨きのために洗面台に戻る。ふと鏡を見やる。すると、そこにゴキブリの体液がベッタリとついたスリッパを片手に持ち、笑みを浮かべた自分が映っていたりする。その瞬間の笑みは、確かに「狂気」だと僕は思う。

悪と殺しのテクニック


 自分の何気ない行為や、日常の光景に対して疑い深くなってしまったのは、最近メキシコの麻薬カルテルを題材にした映画を立て続けに見ているからかもしれない。ここ一週間で「ノー・カントリー」(2007)、「ボーダー・ライン」(2015)、「ボーダー・ライン ソルジャーズデイ」(2018)、「悪の法則」(2013)の4本を観た。「ノー・カントリー」の悪役・シガーは道で出会った人たちをガス銃で片っ端から殺してしまうし、「ボーダー・ライン」の麻薬カルテルは何十体もの死体を壁に埋め込んだり、首のない遺体を街中に吊るしてしまったりする。「悪の法則」で最もショッキングだったのは、道路にワイヤーを張って麻薬の運び屋であるバイク乗りの頭をはね飛ばす場面だった。この殺しを実行する男は、びっくりするほど淡々と、そして徹底的に準備を重ねていた。標的についての情報を隅々まで調べ上げ、実際にバイク店に出向いて標的と同じ機種のバイクに触れ、座高を測る。そして、日が暮れる前に「ここだ!」という場所に出向き、ワイヤーを張って待ち伏せを行うのである。日が暮れて、明かりも何もない真っ暗なメキシコの荒野の中を全速力で疾走してくるバイク。標的がワイヤーに近づいたところを見計らって、車に備え付けられたライトを照射する。強い光に目がくらんだ標的の首は、次の瞬間、ヘルメットごと宙を舞って道路上に転がり落ちる。背筋が凍るような殺しだが、同時に「美しい」と感じてしまうほど見事な手つきの仕事だった。これらの演出の全てが事実ではないだろうし、フィクションも盛り込まれていることは承知しているつもりだが、鑑賞後に麻薬カルテルの拷問方法や殺害方法も調べていくうちに、決して大げさなものではないんだと悟った。遺体を細切れにするのは隠しやすいからだし、街に吊るしておくのは「俺たちに逆らったらこうなるぞ」と伝えるための示威行為だ。残虐な手口は、狂人の専売特許などではなく、利益や効果について戦略的に考えることのできる常人の仕業でもある。

はい、全て人のやったことです


 「鬼畜の所業」という言葉がある。Twitterを眺めていると、弁護の余地を見出すのが難しい、明らかな不祥事を起こした人や、政府の出した残酷な政策に対して「これが人のすることか」というコメントが向けられているのを時々みる。こうしたコメントを真面目に書ける人は、「いい人」なのだと思う。でも、同時に危うさも感じる。視点を拡大・縮小して日常を見てみれば、「鬼畜の所業」なんて、そこら中に転がっている。それらが全て人間によって行われている以上、「人道に反している」ことなんてありえない。「命のビザ」も「バラバラ殺人」も等しく『人道』だ。

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