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恥を洗い流すこと

 何かをしていて、ふいに身の丈に合わない衣服を着ているような感覚に陥ってしまいパタっと辞めてしまうということがある。

 昔仕事を辞めたばかりの頃のこと、マッチングアプリでの異性との出会い探しに励んでいた自分は、職業欄に「無職」と書くのがどうしても躊躇われてしまい、やむなく「学生」と書いて、1人でウケていた。いつまで学生をやっているんだ俺は、と自分にツッコんでいた。しかし直後に妙に虚しくなり、それ以来その類のアプリには手をつけることがなくなった。

 これはしょうもない例だが、こんな具合にふいに「恥」の感覚を抱くことが、自分の場合はとても多い。単なる気恥ずかしさとは違う、もう少し救いのない感情である。特に他者と協力して何かをやったりする時はその感情がいっそう強くなる。色々な趣味に手をつけてみたものの、結局最後に残ったのが釣りと散歩と読書だったというのは、自分が疲れなくて済む活動を無意識に選別していった結果だろうか。

 こうした精神的苦労は、いわゆる自己肯定感の低さからきているのかもしれないなと思い、最近はその手の書籍をポツポツと読んでいる。ダイヤモンド社から出ている『どうかご自愛ください』(ユン・ホンギュン著)は、なかなか面白かった。読者を酔わせるような過激な言葉も少なく、「中年に差し掛かったら劣等感は手放さなければいけない」「自己中くらいがちょうどいい」など、現実的なアドバイスが並んでいる。

 自己肯定感、自尊感情について書かれた本の多くが結果ではなくプロセスに着目することを推奨しているのは興味深い。言い換えれば、「これまでの蓄積」(過去)や「これからの功績」(未来)よりも、「現在」に視点を置くということである。これは多くの個人の中では馴染みのない話かもしれないが、社会的にはむしろ当たり前な話ではある。例えば、投資家が株を買う時には真っ先に見るのは企業の損益計算書である。企業の損益は、それ自体は結果ではあるものの、これまでの企業活動の結果とも言える財務状況を記した貸借対照表との関係で見ると過程(現在、どのぐらい儲かっているか)に注目した話と言える。資産運用でよく使われる「キャッシュ・フロー」という言葉も、貯金を切り崩しながら過ごすのではなく、お金の流れを作り出すことを前提としている。

 「フロー」(流れ)関連では、心理学者ミハイ・チクセントミハイの有名な概念、「フロー体験」もある。「フロー体験」の重要な特徴は経験に没頭することである。それは即ち「現在」に没入すること、没我の状態である。我を没しているのだから、恥の感情など起きようはずもない。また、活動それ自体を目的としていて、その先にある報酬(未来)をそこまで求めない。外敵動機よりも内的動機を重視するということである。

 自分のように過去を悔やみ、未来に絶望しつつ、現在をすり減らしている人が、今後も「恥」の感情を完全に撲滅し得ることはおそらく、ない。それよりも、それよりもどれだけうまく「流れられるか」をいかにうまくデザインするかが、自分にとっては重要なことなのかなと思っている。

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