見出し画像

絶対に走らない男

都会に出ると、渡らなければならない幅の広さに比べて青信号でいる時間が明らかに短い道路に出くわすことがある。あれに出くわすと私はいつももやもやしてしまう。少しでも交通効率を良くするために工夫なんだろうが、歩行者ではなく自動車を中心に置いた設計が気に食わない。

青になった瞬間に渡り始めてもギリギリの長さだから、それよりも手前を歩いていた時は、ついつい走ってなんとか渡り切ろうとしてしまうのが人間の性だ。私が普段どんなに泰然自若としていても、その道路にさしかかると途端に落ち着きが消えてしまうかもしれない。

たとえば私が東ナサニエル公国の第16代皇帝・カヒミカリア=サファメル四世だったとする。サファメル公は歴代の皇帝の中でも知力・武術共に秀でており、何より人望がある。いかなる絶望的な状況においても、微笑みを忘れず、深い洞察から軍や民を適切に導く。

サファメル公は、重要な公務も、戰の勃発も、刺客の登場もたった一言で受け流してしまう。

「閣下。この案件についてはいかようにいたしましょう?」
「よきにはからいなさい」

「閣下。隣国から大軍が攻めて参りました!」
「よきにはからえ」

「閣下。切り捨て御免!」
「よき(略)」

「閣下。王妃殿が下痢で書いた置き手紙を残して失踪しました!」
「Yo☆」

しかし信号が赤に変わりそうになった瞬間、その冷静さは途端に失われてしまう。

「閣下。赤に変わりそうです!」
「なほdぁじょgふぃkjmdなlgじゃjm!」

言葉にならない叫びと共にサファメル公は皇帝としての責務も威厳もかなぐり捨て、額には汗、目から涙、鼻から血を吹き出しながら走り始める。サファメル家に代々伝わる家宝の鎧も剣も放り投げ、小便と大便を垂れ流しながら横断歩道をなんとか渡り切ろうとする。

しかし間に合わない。サファメル公が対岸にたどり着くまであと一歩というところで、点滅していた青信号は無情にも赤に変わり、横から走ってきた馬車に轢かれるのだ、汗と涙と血も小便と下痢を撒き散らしながら。

主君が無情にも馬車馬に轢き殺されるところを目撃した家臣たちは、「閣下!」と叫びながら汗と涙と血と小便と大便でドロドロになった皇帝の遺体に駆け寄り、ドロドロになっていることも気にせず頬擦りをして泣き叫ぶだろう。

そんな場面を想像して静かに涙を流し、歩行する人間をまったく軽んじるような設計の道路に心の中で「信号ごときで俺は絶対に走らんぞ」と悪態をつきながら、街中を我がもの顔で歩いている27歳の男をもしお見かけしましたら、それ多分僕です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?