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二匹目の虫

 その小さな蠅捕蜘蛛を私が見つけたのは、勤め先の会社に休職願を出してから二週間が過ぎた日の夜のことだった。
 蜘蛛は短い手足をそろそろと小刻みに動かしながら、仕事机の横の白い壁の上をゆっくりと歩いていた。
 (餌を探しているのかな)
 私はベッドの上に寝転がったまま、枕元のリモコンで部屋の電灯を点け、右腕を伸ばしてベランダへと通じる窓を少しだけ開けておいた。するとすぐに一匹の羽虫が部屋の中へと飛び込んできて、壁に鎮座している蜘蛛のすぐ脇へ止まった。蜘蛛の視線と羽虫の視線の交差角度がちょうど直角になる位置関係だ。
 布団にくるまったまま、二匹のいる壁に目を凝らす。両者はしばらく微動だにしなかったが、ついに羽虫が数歩だけ蜘蛛の視線の延長線上へ近寄った。すかさず蜘蛛がジャンプし、炒ったジャコのような前脚で羽虫を捕らえ、そのまま不釣り合いに大きな顎で羽虫をむしゃむしゃと食べ始めた。食べ終えると、蜘蛛は急いで机の裏へと消えていった。
 (そういえば人間様も夕飯時だったか)
と、私はその日初めてベッドから身を起こした。

 その日から蜘蛛は毎日私の部屋に出現するようになった。秋が深まって、冬へ突入する前の荒食い期なのだろうか。見かけるごとに蜘蛛は大きくなっていく。そして、決まって陽が沈みかけた夕方に出てくる。餌を供給してくれる部屋主を頼りにしているのかもしれなかった。
 その部屋主である私はというと、相変わらず一日の大半をベッドから出ることもできずに過ごしていたが、蜘蛛を見つけると窓を開け、餌となる蛾やカゲロウを部屋に呼び込むようになった。その時間はそのまま部屋の中の淀んだ空気を入れ替える機会にもなる。
 蜘蛛は貪欲に餌を食べた。力の抜きどころというものを知らず、目の前に現れた虫を常に全力で追いかけ、たちどころに捕食してしまうので、二、三匹も食べると後が入らない。それで、たまたま助かってしまう虫もいる。
 命拾いする虫と、そうではない虫との分岐点は曖昧だ。例えば蜘蛛が壁を這って餌を探しているとする。壁の上には蜘蛛の他に二匹の蛾がいる。一方は蜘蛛のいる場所からごく近くにいて、もう一方は少し離れている。蜘蛛寄りの蛾が捕食された時にちょうど蜘蛛が満腹になったら、残った一匹には向かっていかない。人間のように勿体無いから全て平らげようとはならないところが潔い。けれどそうやって命拾いした方も命なので、結局翌朝には死骸となって床の上に散らばっている。命拾いしてから翌朝死ぬまでの時間を、生き延びた虫はどんなことを思いつつ過ごすのだろうか。

 「それって、あんたじゃん」
 電話の向こうから久しぶりに話す友達が言う。
 「たまたま蜘蛛から遠い場所にいたから生き延びてるんでしょ、あんた」
 会社の同期の女の子が自宅で首を吊って死んだと聞かされたのは、私がこの日の夜に死のうと決めていた日の朝のことだった。会社の朝礼で、上司が慟哭しながらそのことを私たちに告げた。
 自分の近くにいる自分とは別の人が、一日違いで自分より先に死んだ。そんな程度の偶然で妨げられる死がある。このまま予定通り夜に死んだら客観的には追っかけ自殺の完成。そう考えると、死んだ子とはとりわけ共通の話題もなかったし、本当に超どうでも良かったのだけれど、なんだか妙に癪に触った。その日会社から帰るとすぐに、夜のために仕入れておいた睡眠薬をすべてトイレに流してしまった。
 そうして、私は二匹目の蛾になった。

 「しかも蛾みたいに翌日には死ねない」
 と私が言うと、友達はクスッと笑い、最後にこう言った。
 「それでもあたしはあんたが生きてくれて良かったよ」

 冬が過ぎて、春になった。
 私は数ヶ月休職していた会社を、結局退職して地元へ帰ることになった。
 引越しのために部屋を片付けていると、掃き出した埃の中に、丸々と太った蜘蛛の死骸が混じっていた。ここ数ヶ月目撃していなかった、あの蠅取蜘蛛である。八本足を折り畳んで、ミニトマトのへたのような情けない格好で蜘蛛は息絶えていた。どこかへ埋めようかとも思ったが、結局面倒くさくなり埃もろともちりとりの中へと掃き入れて捨てることにした。
 もうじき、引越し業者がくる。

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