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星座とか見てる感じ

(2019年6月8日に「noteのcakes」アカウントで書いたものを転載)

 多分、誰にでもあるんじゃないだろうか。一年に数回、およそ自分以外のあらゆる人間に対して、負の感情以外、何の興味も抱けなくなる。こうした状態はたいてい1~2週間で回復するのだが、稀にもっと長く、1ヶ月ぐらいかかることがある。その時期の自分の振る舞いは控えめに言って最悪だと思う。店員さんにお礼が言えなくなるし、ちょっと気にならないこと(例えばつまずいたり、焼きそばの湯切り口から湯だけでなく野菜も出ていってしまったり)があるだけで、普段あれだけ忌み嫌っている舌打ちを連発してしまう。公共の場における行動がエゴ丸出しになり、何より他人に対してひどく疑い深くなる。

 中でも一番困るのは、やっぱり外の出来事に対して全く関心が持てなくなってしまうことだ。ニュースサイトやTwitterを開けば、それこそ毎日のように色々な社会トピックについての膨大な言論が飛び交っている。仕事、結婚、子育て、増税、年金……etc. どれもいつかは自分の身に関わってきそうな話題、かつ多くの人が悩み、どうにかして良い方向へ変えていこうと奮闘している話題でもあるのだけれど、何か、そのどれもが自分から遠く隔てられた世界で運営されているように思われるのだ。それは自分が最近になって極度に「人付き合い」に対して疑い深くなってきたことと無関係ではないと思う。

 基本的に人間は関係性によって束縛される生き物だと思っている。時間を全て自分だけのために消費できた独身時代の自由は、結婚して子供を持てばいくらか失われる。だが、同時に関係性によって自分の生存意義であるとか、他人に対して関心を持てるようになるのも人間なのかな、と思ったりする。他者との関係性が与えてくれるのは「生きる理由」みたいなポジティブなものではなく、「死なない理由」ぐらいのものだと思っているのだが、これが非常に大きな存在に思える機会が最近、結構増えてきた。自分の人生を、自分のためだけに消費できる人と、そうではない人って絶対いる。前者はこの上なく幸せだと思うが、残念ながら自分は後者だ。「ぼっち」でいられるほど精神が強くない。だから、生き続けるからには他者との関係性を大切にしていかなければならない。と、言いつつ現時点で唯一自分を地上につなぎとめてくれている両親との関係性はそんなによろしくない。週に一回かかってくる電話は基本スルーしている。

 様々な他者との関係性でがんじがらめになっている人を見て、「あ、不自由だな、あんな風になりたくないな」と感じる。そして自分を省みて胸を撫で下ろすこと暫し、数少ない他者とのつながりさえ全く蔑ろにしてしまっている事実、そんな現状を変えようというモチベーションさえどっかに置き忘れてしまっている事実に気がついてゾッとするのが今年の梅雨らしい。

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