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妊娠中に子どもが川崎病

子ども②を妊娠中も、いろいろ多忙だった私。
なぜか子ども①妊娠中と違い、悪阻が酷くて酢飯しか食べられなかった初期。
ご飯の炊ける匂いも、家族の誰かが食べてる納豆ご飯の匂いもダメで吐き続けた。
買い物すら行けなくて、子ども①の汗臭いタオルケットを抱えてゴロゴロしていた。
そして安定期に入ると、なぜかSEXしたくて仕方なかった。
しかし佳哉は怖がって、何もしてくれない。
さすがにイケちゃんにも相談できず、悶々とセルフプレジャー。
脳内は、海空先生との思い出に浸りながら。
そのせいか、メッチャお腹は張りましたが、私の欲求不満は、ほんのちょっとだけ解消。
でもセルフプレジャー後は、ほぼ毎回のように【海空先生もパパになってるかな?】とか【海空先生の子どもはどんな子かな?】と考えていました。

2007年9月、週末になると発熱する子ども①。
かかりつけの小児科では、疲れで週末に発熱しちゃうんだね~なんて言われ続けた。
でも、気になって産婦人科受診時に、受付が一緒の小児科に相談したところ、快く診察してくださった。
今までの経緯を伝え、皮疹もあったので院内の皮膚科へ紹介された。
そこでも特に問題はないと言われ、最後に採血だけして帰宅した。
夕方になり、市立総合病院から着信があった。
「子ども①くんの採血結果で気になる数値が出ているので、
 明日、もう1度受診してください。」

とのこと。
念のため入院できる準備もしてきて欲しいと言われ、慌てる私。
なんとその日の夜から発熱する子ども①に、熱性けいれん予防の坐薬を入れて寝かしつけた。
翌日、朝1番で市立総合病院の小児科を受診すると
「川崎病の疑いがあるので、このまま入院してください。
 ただ付き添いが必要ですが、ママは妊娠されているので付き添いは出来ません。
 他のご家族、パパが無理ならおばあちゃんとかおじいちゃんを呼んでください!」

私が入院手続きをしながら、佳哉が毒義母に連絡してくれた。
精査の結果、川崎病と診断され、すぐに治療が開始された。
昼間は私が面会扱いで一緒に過ごし、夜間は毒義母と佳哉が交代で付き添った。
1週間入院加療した子ども①は、初期の発覚だったので心臓に後遺症もなく退院することが出来た。

これは2007年春~10月頃のエピソード。
私が妊娠中は、子ども①は熱性けいれんを数回、そして川崎病罹患とバタバタでした。
妊娠初期に、大阪の親戚宅で子ども①が発熱し、休日診療所で診察待ちをしているときに痙攣してしまい、救急車で別の病院へ搬送。
そして約15kgを抱えて親戚宅へ戻り、翌日グダグダなのを抱き抱えて新幹線に乗って帰宅。
この時に、よくお腹の中にしがみついていてくれたと思ってます。
また川崎病の時は、お腹の中からと外で蹴りあいをしてくれて、どれだけキツかったか。
今となっては笑い話ですけどね。

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