見出し画像

懐かしの味をさがして

本日48回目の誕生日を迎える夫・京作のために、鵡川静里(むかわしずり)は朝から市内のケーキ屋というケーキ屋を回っていた。
といっても、出勤直前の彼にリクエストされたのは、バースデーケーキではない。
『あぁ…うちはちょっと、作ってないですねー』
『すみません…』
これで、3軒目。
ネットで調べたレビュー記事から過去に販売していたとおぼしきケーキ屋4件のうち、既に3軒目に来ているが、ここでも現在は販売していなかった。

エクレア。
どちらも昭和生まれの夫婦、子どもの頃にはよく食べていた馴染みのスイーツである。
大人になって、普段から頻繁に食べはしないにしても、どこのケーキ屋さんにも普通に置いてあるものだと思っていたから、まず近所の2軒を訪問して、どちらの店にもそもそもエクレアのエの字も見当たらないことに驚いた。

慌ててバッグからスマホを出し『エクレア ゆべつ市』で検索、4軒ヒットしたうちの3軒がアウトの今。
残るは市内でも老舗中の老舗すぎて、普段は敬遠していた《ケーキとパンのお店 すがい》しかない。
子どもの頃に何度かここのシュークリームや菓子パンを食べた覚えはあったが、市内にはどんどん今流行りの小洒落たスイーツを出すカフェや、東京で修行してきたパティシエのチョコレート専門店などができ、老舗であること以外に取り立てて特徴のない、いわゆる街のケーキ屋さんの需要は減る一方なのだ。

車を走らせること15分、市内でも寂れてシャッターばかりが目立つ商店街の中にあるそのお店は、いまどき入り口が引き戸で、年季の入ったショーケースの中にレトロなケーキが並んでいた。
いちごショート、ベイクドチーズケーキ、生シュークリーム、オペラ、フルーツロール…ある意味ホッとする品揃えの中、ここにもエクレアは見当たらない。
『すみません…エクレアって、ないんですか?』
ショーケースの中にないんだから多分ないのだろうと思いながらも、トータル6軒目の訪問でお昼近くになり、少し疲れていた静里の口調は、ショーケースの向こう側にいる年配の女性店員をどこか責めるような響きになっていた。

『ごめんなさいねぇ…エクレア、売り切れちゃって』
『えっ、売り切れ!?』
店員いわく、営業日には毎朝6個ほど並べており、売れたり売れなかったりするのが、今朝に限って6個全部を買い占めたお客様がいたらしい。
『ってことは、作ってはいるんだ…』
『そうですね、午前中だと、普段はあるんですよ』
『そうですか…』
明日じゃ、間に合わない。
京作なら、明日でも別にいいよ…と言いそうなのは予想がつくが、本人がわざわざリクエストしてきたものを、一日暇な主婦の自分が用意できないとなると、それはそれで肩身が狭い思いの静里であった。

『お客様、エクレアは、お使い物でいらっしゃいますか?』
店員に尋ねられ、静里は事情を説明する。
『本日中にご用意できればよろしいのであれば、これからお作りして、夕方受け取りにお越しいただく形ではいかがでしょうか?』
静里は、ショーケースの前でしばし考える。
これ以上ない申し出ではあるが、たった1個のエクレアのためにそこまでしてもらうのも申し訳ない。
小学生の息子は、クリームが苦手だからエクレアは食べないだろうし、自分の食べる分は今まで見てきた他のケーキ屋さんで買いたいのが本音だ。
そうか…どうせ作ってもらうなら…! 

『ただいま〜』
京作が玄関のドアを開けると、一人息子の陽喜(はるき)が『とーちゃん、誕生日おめでとう!』と迎えてくれる。
靴を脱いで手を洗い、リビングに入ると、テーブルには豚の生姜焼きに山盛りのキャベツ、ミニトマトのマリネ、チーズの盛り合わせが乗っかっていた。
『さあさあ、食べよ、食べよ!』
妻の静里がニコニコ上機嫌なのが嬉しく、京作はテーブルの上の大好物が並んだディナーを平らげた。

『さて、パパ…これ、入るかなぁ〜?』
ディナーでけっこう満腹だが、朝にエクレアを食べたいと言い残して家を出たのを思い出し、エクレアは別腹だと思い込もうとする京作。
しかし、目の前に運ばれてきたのは、そんな京作の思い込みを一瞬で打ち砕く、まさかの巨大エクレアだった。
通常、エクレアのサイズは長さ10cm程度だと思っていたが、お皿に乗っかっているのはどう見てもその倍、クリームもさぞかしたっぷり詰まっているであろう重量感。
『どうしたの、これ、どこで買ったの?』
『えー、本町のすがいさんだよ〜』
『こんな大きなの、売ってるの!?』

まさか、さすがにそんな巨大サイズが売っているわけがない。
どうせ1個をオーダーするなら大きいサイズで…と、静里がお店に頼んだのである。
『エクレア好きなら、1人でいけるよね?』
『いやいや、ちょっと…ハルキ、少し食べない?』
『えー、俺エクレア苦手〜。あ、でもゲーム1時間長くやらせてくれるならいいよ、食べてあげる』
『うわ〜、いつの間にそんな交渉上手になったの!』
まさかの巨大エクレアでひと笑い起き、家族3人になってからは9回目の京作の誕生日がやさしく過ぎていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?