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十分主義の二側面(宇佐美誠「グローバルな生存権論」をヒントに)

宇佐美によれば、「十分主義」とは次のような立場である。

十分主義とは、あらゆる個人に一定の閾値までを保障するが、閾値を超える領域での再分配を否定する立場

その上で、宇佐美はこの十分主義を修正した自身の立場として「生存主義」を唱える。両者の相違においてここで重要なのは、その閾値未満の領域での優先性である

これを説明するために次のような事態が例示される。

ある途上国に、貧困線をわずかに下回る大集団G^Hと、大きく下回る小集団G^Lがあると仮定しよう。その国の政府は予算制約の下で、G^Hの貧困線までの改善とG^Lの同水準までの改善とのいずれかを一定期間内に実現しうるが、しかし両者を達成することはできない。

こうした状況下で、十分主義はより多くの人が貧困線を上回っている方が望ましいとしてG^Hを優遇するよう求めるが、宇佐美はこれに反対して閾値未満における優先性の理念を主張し、彼の生存主義においてはより不利な状況にあるG^Lの救済が要請されるとする。

従って宇佐美の生存主義は、彼はこれを十分主義の修正版として提示しているが、むしろ「閾値設定型優先主義」とでも呼べるものである。そして、このような閾値の設定は何も優先主義にのみ限られたものではないだろう。つまり同様にして「閾値設定型平等主義」や「閾値設定型功利主義」というものまで考えられるはずである。

このようなことから十分主義は二つの要素に分解できるという見通しが立つ。すなわち、ある閾値の存在を所与として、

  1. 閾値以上の領域で再分配を行ってはならない(逆に言えば、閾値未満の領域では再分配をなすべきである)

  2. より多くの人が閾値以上の領域にいることが望ましい状態である(逆に言えば、閾値未満の領域にいる人がより少ないことが望ましい状態である)

この区別を元にすれば、宇佐美は1を受け入れつつも2を否定しているということになる。


参考: