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想い出は美しいままに…後編【小説】




【想い】


傷害事件を起こした浜田雄輔は、警察に留置され2日目の朝を迎えていた。

雄輔が留置されて40時間が過ぎた。

このまま48時間が過ぎれば検察に送られる事になる。

『ユリ…』

雄輔の中で、ユリの笑顔、しなやかな長い髪の香り…

そして、ユリへの愛しさと裏切られた思い、ユリを奪った内田への怒り…

そんな事が雄輔の頭の中で渦巻いていた。

そこへ、警察官が雄輔の所に来て『浜田、面会だ』と言われ面会室へ連れていかれた。

そこにいたのは斎藤と名乗る弁護士だった。

『どうも、弁護士の斎藤といいます。伊藤和之さんの職場の飯塚社長から頼まれまして、本日お伺いしました』

斎藤はそこで言葉を切った。

『和之の…職場?ですか…』

和之は分かるが、和之の勤める会社の社長?

和之も事件の事知ってたのか…。

ふと、そんな事を思った。

『はい、伊藤さんから飯塚社長に浜田さんのことを相談されたようで、飯塚社長から私に依頼が来た、という事になります』

弁護士の斎藤は、この後の被害者との示談交渉と拘留前の早急な釈放を雄輔に告げて帰っていった。

しかし、その後…被害者である内田の怪我が重傷ということもあり、更に示談にも応じないため、雄輔は検察に送致され、10日間の勾留となってしまった。

その間、ユリと和之は別々の日に雄輔の元へ面会に訪れた。

斎藤弁護士からは、雄輔がユリに対して抱いていた疑惑は全くの誤解、という事を伝えられていた。

ユリより先に面会に来た和之からも『何でユリちゃんの事信じてやらなかったんだ』と言われた雄輔。

雄輔は、ただの思い込みが今の状況を作ってしまった浅はかな自分を責めた。

ユリが面会に来たとき、雄輔はユリを信じてやらなかったことを謝ると、ユリは涙を潤ませながらも『疑いが晴れて良かった』と笑顔を見せた。

その後、内田は一向に示談に応じないまま、雄輔の勾留は更に10日延長された。

そして、再び雄輔の面会に訪れたユリは、内田が全く示談に応じない事を雄輔から聞くのだった。

ユリは雄輔の面会を終えて、その足で内田が入院している病院へと向かった。

内田が入院してからというもの、見舞いに来るのは内田の上司か、部下の男が二人ほどだった。

しかも、部長からは職場の女子社員へのデスク荒しや女子更衣室悪戯事件は内田がやったこと、と当日内田一人しか出社していないという守衛の証言と、その状況からも内田しかいないと断定された。

内田は否定したが、泥棒も入った様子がないということで、その情けない行為を内田本人が渋々認めたのだった。

そして課長降格、若しくは自主退職…好きな方を選べ、と部長から言われていた。

内田自身が実際に行った行為なので会社に留まることに後ろめたさもあり自主退職を選んだ。

退院したら無職…ということもあり、雄輔に対して示談金と慰謝料をたっぷり貰い、自分が会社を辞める事になったのも、そもそも奴(雄輔)のせいだ…と考え、あわよくば雄輔を刑務所に入れようと示談には応じないでいた。

そこへ、ユリが内田の入院している病院へ来たのだった。

内田のいる病室は大部屋ではなく個室だった。


【卑劣】


『おぉ、木嶋くん。見舞いに来てくれたのかな?』

ユリは何も言わず内田の包帯を巻いている足を見た。

『すみません、今日はお話があって来ました。あの…怪我の具合はどうですか?

『なんだよ、見舞いに来てくれたんじゃないんだ…で?何の話し?』

『はい…あの…浜田雄輔の示談に応じてくれませんか?』

『…?あぁっ!やっぱりあのクソガキ、木嶋の男だったか…お前のデスクに男の写真入ってたから何となく顔は分かってた。
もしかしたらと思ってたけど、やっぱりお前の男だったんだ。
全然知らない顔だったんで頭のおかしいクソガキかと思ったよ』

内田はそう言って鼻で笑った。

『お前の男なら尚更示談なんてしたくないな。そもそも俺がこんな怪我したのはお前の男のせいだからな。
2~3年刑務所暮らしした方がいいんじゃねぇか?あんな頭のおかしい奴は世の中に出てくんなって言ってやりたいくらいだね』

内田の言葉にカチンときたユリ。

『それは内田さんにも言えるんじゃないですか?』

『はぁ?どういう意味だよ』

『内田さんがアタシの彼にぼこぼこにやられて入院した次の日、社内の女の子のデスク荒らしと女子更衣室のロッカーの悪戯で大騒ぎになったんです…。
やったの内田さんでしょ?
日曜日出勤してたんですよね?
さっきもアタシのデスクの引き出しに入ってた彼の写真見たって言ってましたもんね?』

『はぁ?何のことだかサッパリわかんねーな』

『そんなことより、今日は彼の示談に応じてほしいと思ってお伺いしたのですが、応じてもらえませんか?』

内田の中で善からぬ考えが浮かんだ。

『示談に応じてほしいなら、それなりに誠意を見せてくれないとな…』

『示談金と慰謝料はアタシが何とかします。それで応じてくれませんか?』

『おぉおぉ…仲のよろしいことで。
お前が知っているかどうかわかんねぇけど、俺、会社辞めたんだよ。
明日退院なんだけど、俺は独身だからさ…
お前の男のせいで、こんな足じゃ買い物も行けないし日常生活も不便なんだよ。
お前が毎日家に来て俺の面倒見てくれるんなら応じてやるよ』


ユリは戸惑いを見せたが、内田が示談に応じてくれるなら雄輔は釈放される可能性が高くなる、と弁護士も言っていた。

『分かりました。では、一筆書いていただきたいのですが、明日の日付で示談に応じる、という事を書いてください。
私も、一週間だけ内田さんの生活をサポートします。もし、明日示談に応じてくれなかったら私は一切内田さんのサポートしは致しません。それでいいですか?』

『ちょっと待てよ。それじゃ俺が示談書にサインしたとしても、お前が来なかったらどうすんだ?
そんな一方的な取引は無理だな。
それに、示談金2百万、慰謝料3百万用意できるのかよ。お前が何とかするって言ったよな?』

ユリにとって500万は想定外だった。

『何驚いた顔してんだよ。予想外の金額だったか?何なら分割でもいいんだぜ?
ただし、分割が終わるまで俺の身の回りの事をしてくれるんなら、だけどな』

自分だけでは到底払えない金額だとユリは思った。

会社の定期預金と、コツコツ貯めてきた貯金を合わせても150万くらいしかないだろう。

『わかりました。一括で払えば示談に応じてくれるんですね?』

『あぁ、プラス入院代と治療費、更にメイドとして、お前が一週間、俺の身の回りのお世話な』

『わかったわよ!待ってなさいよ』

そう言って、ユリは病室を出た。

そして和之に電話をかけた。

『もしもし、和之くん?』

『おっ、ユリちゃん』

『今忙しい?』

『いや、今日は日曜日だから家でゴロゴロしてるよ。後で雄輔に会いに行こうかと思ってるんだ』

『そうなんだ。アタシさっき行ってきたよ』

『ユリちゃん行ったんだ。雄輔の様子どうだった?』

『うん…、変わらずだった』

『そうかー。俺もちょっと行ってくるよ』

『あっ、それからね…。あの内田のおっさん、雄輔の示談に全然応じないんだって。
だからアタシ、おっさんが入院してる病院に行ってきたんだ。
何で応じてくれないのか聞いてきた』

『まじ?会いに行ったの?おっさん何て言ってた?』

『雄輔のこと、あんな頭おかしい奴は刑務所に入ってればいいって言ったんだよ』

『腹立つ言い方だな…』

『でしょー?アタシも頭きたよ。それで、どうすれば示談に応じてくれるのか聞いたの』

『うん、おっさん何て言ってた?』

『示談金200万、慰謝料300万、入院代と治療代、それから、自分が身体動かせないからアタシに身の回りの世話をしろって!
一括で払えないなら、分割でもいいけど分割払いが終わるまで俺のメイドとして俺の世話をしろ。
それなら示談書にサインしてやるよ、だって。ほんと頭くる!』

『それでユリちゃん、何て言ったの?』

『一括で払ってやるわい!って言いたかったけど言えなかった…。
アタシの貯金かき集めても全然足りないもん』

『総額500万以上か…。だけどさ、ユリちゃん。あまりおっさんに会わない方がいいと思うよ。
弁護士が介入してるから、あまり掻き回さない方がいいと思う』

『えっ?そうなの?アタシ不味いことしたかな…。アタシ、おっさんに分かったから待ってなさいよ!って言って出てきちゃった…。
だって、このままじゃ雄輔が何時まで経っても出てこれそうにないんだもん』

『うん、ユリちゃんの気持ちも分かるよ。俺だってヤキモキしてるからな…。
示談に応じてくれないと雄輔にとっちゃ不利だからな』

『えっ…。やっぱり不利なの?』

『あ~…。え~と…俺、法律はよくわからないけど、なんとなくそんな感じしただけだから』

ユリを不安にさせたかと思った和之は、慌てて言葉を繕うのだった。



そして、翌日の夕方。

ユリの携帯に内田から電話が来た。

出ようか出ないか迷ったユリ。

雄輔の示談の件もあることで、ユリは着信ボタンを押したのだった。

『はい』

『おー、出てくれたねー。もう仕事終わる頃だと思って電話したんだ。
俺、昼過ぎに退院して歩けないからタクシーで家に帰ってきたんだけどさ。
腹減ってるし風呂にも入りたいんだけど、今日から身の回りの世話をしてくれるんだよな?メイドさん?』

ユリは迷った。

『あれ~?返事がないね~。示談書どうすんのかな?』

『わかりました。今からいきますよ!』

『メイドがそんな反抗的な態度でいいのかな?そこは、承知しました、ご主人様、だよね?』

『ふざけないでください!今から行きますから住所教えてください』

『教えてください、ご主人様、だろ?』

唇を噛み締めるユリ。

『教えてください、ご主人様』

『はいはいはい、良くできました。
住所は◯◯町の◯◯番地◯◯ハイツ203。分かったかな?分かったら、はい、分かりましたご主人様って言うんだぞ』

屈辱的な内田の態度にユリは怒り心頭。

『困ったメイドだね。彼氏が刑務所に行ってもいいみたいだね』

『はい…分かりました、ご主人様』

『うんうん、よく言えました。じゃ、急いで来て俺を風呂に入れてから飯作ってくれ。急いでな』

そう言って内田は電話を切った。

ユリは行こうかどうか迷いに迷った。

和之に電話をしようかとも思ったが、仕事で疲れているだろうと思いやめた。

念のためメールで内田の住所を書き、今から行くことをメール送信した。


【それぞれの想い】

ユリが内田と電話をしている頃…

斎藤弁護士は、延長勾留残り4日の雄輔の元に来ていた。

『浜田さん、延長された勾留期間が残り4日になってしまいました。この延長勾留の後は起訴の段階に入ります。相手方の内田さんが示談に応じてくれていたら浜田さんの勾留を阻止できたのですが…』

『いえ…俺が勘違いで怪我をさせてしまったんですから…。それなりに罰を受けるつもりでいます。この後も成り行きに任せるつもりです』

『残るは保釈請求なのですが精一杯努力します』

『ありがとうございます』

雄輔は、そう言って俯いていた顔を上げて斎藤をみた。


その頃木嶋ユリは、恋人の雄輔が怪我をさせてしまった内田の家にタクシーで向かっていた。

(あのおっさん調子に乗りすぎだ…何としても示談に応じさせなきゃ…雄輔のために)

ユリは心の中で呟いた。



一方、和之は仕事を終えるところだった。

『よーし!今日はこのへんで終わりにしよう。皆お疲れさん!』

ビルの建設現場で現場監督の声が響いた。

大勢いる作業員が、現場内のそれぞれの会社の仮設事務所へと入っていった。

大きいビルの建設には協力会社が3社入っていた。

その内の一社で、和之が勤務している飯塚建設も入っていた。

飯塚建設の仮設事務所に、ぞろぞろと入ってくる従業員。

全員事務所に入ったことを確認した飯塚社長。

『皆お疲れさん。今日も無事に怪我もなくトラブルもなく終わりました。明日も安全に配慮でお願いします。ご苦労様!解散!』

それぞれが、お疲れさまーと言いながら事務所を出ていった。

『あっ、和之!ちょっと』

飯塚社長が事務所を出ていこうとする和之を呼び止めた。

『はい?』

他の社員が出ていったことを確認してから飯塚社長は和之に事務所のソファーに座るように促した。

『親方、何ですか?』

社長が座るのを待って、和之はソファーに腰かけた。

『お前の友達のことなんだけどさ…』

『はい』

『相手が中々示談に応じないそうだな』

『はい…そうみたいなんです。もうすぐ20日間の勾留期間が終わるそうで…』

『うん、そうみたいだな…。
俺の友達も相手にかなり苦戦してるようなんだ。その勾留期間が終わると、いよいよ起訴されるそうだ。
 そうなると、罰金刑か保釈金を払うことになるかもしれん、ということだそうだ。
相手に怪我を負わせた時の、お前の友達のやり方が執拗だということが争点になってるそうだ。
 でも、俺の友達が言うには相手との示談成立さえすれば、初犯だから保釈請求出して釈放になるのは間違いないと言っていた』

和之は頷きながら話を聞いていた。

『そうですか…。じゃあ示談成立するかしないかで俺の親友の今後が決まるんですね…』

『そうだな…。お前の友達は素直に罪を認めて反省しているそうだ。
 だけど、示談交渉の結果次第で天と地の差があるんだが…。
良い結果になることが一番だが、悪い結果が出ても今までと変わらず接してあげられるよな?お前なら…』

『勿論です。あいつは幼馴染みで兄弟のようなものですから。
例え前科が付いたとしても俺には今まで通りの親友です』

『うん、そうして支えてやれる奴がいないと、本人は自虐的な考えになってくる者も少なくないからな。
それで、お前が今言った前科が付いたものは就職にも苦労する事があるそうだ。
 万が一…お前の友達がそうなったら、お前が俺のこの会社に誘ってやれ。いいな?』

和之は社長の気持ちに目頭が熱くなるのを感じた。

『ありがとうございます…』

『うん、話はそれだけだ。じゃ、明日も頑張ってくれ』

『はい、お疲れさまでした』

和之は立ち上がり深々と頭を下げた。

そして事務所から出て、和之は携帯を取り出しユリに電話をかけようとしたが、電池切れで電源が落ちていた。

(帰ってから電話するか)

そう呟いて和之は原付バイクに乗り家路を急ぐのだった。

ユリのメールに気が付かないままで…。


【罠】

その頃、ユリは内田の家に着いていた。

ユリはこの時、度胸が据わっていた。

そして、内田の家のインターホンを鳴らした。

ドアが開いて内田が顔を出した。

『おぉ、入れよ』

ユリは後ろ手でドアを締めた。

『カギ掛けとけよ』

ユリは足元に靴が不自然に多い事に気が付き、不振に思いカギを締めた振りをして開けたままにした。

『掛けました』

『まぁ、入ってくれ』

内田は壁に手を付きながら、まだ痛みがある足を庇いながら部屋の方へ行った。

内田の後からユリが部屋に入ると、8畳ほどのフローリングの部屋には男が3人いた。

(ヤバい…)

予想外の展開に危機感を募らせるユリ。

『皆、これが俺のメイドだ』

『メイドなんかじゃありません!内田さん、それよりこの人達は?』

男たちはニヤニヤ笑っていた。

『あぁ、こいつらは俺の友達だ…気にすんな。まぁ座れよ』

部屋の中の玄関に近いところに座るユリ。

『そんな隅っこに居たら皆で酒呑めないだろ?こっち来いよ』

内田が言った。

『アタシは呑みに来たわけじゃありません!』

その時、後ろの方でドアが開く音がした。

ユリが振り返るとトイレの水を流す音が聞こえて、もう一人男が現れた。

トイレから出てきた男がユリのすぐ側に立った。

『いいから呑もうぜ!』

男はユリの腕を掴み、強引にテーブルの前に座らせた。

『メイドさん、お酌してくれよ』

男の中の短髪の男がにやけた顔でユリの前にコップを突き出した。

下手に逆らわない方がよさそうだ。

ユリはそう考えるのだった。


【和之】

40分程で和之は家に着いた。

携帯に充電器のコードを差込み、電源を入れて作業服を脱いでスェットに着替えた。

その時、電源が落ちていた時に受信していたメール受信の音が鳴った。

メールを確認すると、ユリからのメールだった。

『内田の家に行く?これ内田のおっさんの住所か?』

和之はユリに電話をかけた。

10回のコールでも出なかった。

もう一度かけた。

8回コールで電話に繋がった。

しかしユリの声は聞こえず、代わりに複数の男の声が聞こえていた。

(メイドもタップリ呑ませて酔わせちゃえよ、内田。お前のメイドだろ)

やめてくださいっ、というユリの声が聞こえた。

和之は通話したままの状態でメールを開いた。

ユリが書いたメールの住所を確認した。

『バイクなら15分もかからない場所だ』

和之は脱いだ作業服を着こみ家を飛び出した。

バイクに乗り全開で走り出した。

全開といっても、原付バイクのスピードが頭にくるほど和之には遅く感じた。

和之の読み通り13分で内田の家に着いた。

内田の部屋がある2階へ上がろうとして、和之はあることを思い出した。

さっきの電話では、複数の男の声が聞こえていたことを思い出したのだ。

和之は110番に電話をかけた。

オペレーターの声が聞こえた。

『はい、110番です。事件ですか?事故ですか?』

『◯◯町○○番地の○○ハイツ203号室で女性が監禁されています。
俺の知合いなんです。今から部屋に飛び込みます。すぐ来てください!』

それだけ伝えて和之は○○ハイツの2階、203号室のドアを荒々しく叩いた。

ドアノブを触ろうとした時、ドアが勢いよく開いた。

短髪の男が上半身裸で出てきた。

『なんだお前は!ドンドン叩きやがって!インターホンがあるだろうが!』

『あんた内田さんか?』

玄関に無造作に脱ぎ置かれた複数の男の靴に混ざる女性の靴が和之の視界に見てとれた。

『内田に何の用だよ?あぁ?』

『ここに木嶋ユリが来てるだろ!』

和之は、わざと部屋の中に聞こえるように言った。

和之の声だと分かったユリは叫んだ。

『和之くん、助けて!』

ユリの声を聞いたと同時に、和之は短髪の男を押し倒し土足のまま部屋に飛び込んだ。

ユリは服を強引に脱がされたのか、ブラウスは引き裂かれてボロボロだった。

和之は頭に血が上り、顔が熱くなるのが自分で分かった。

『てめぇ!他人の家に土足でズカズカ入りやがって!』

そう言って和之に押し倒された短髪の男が、和之を後ろから羽交い締めにした。
内田以外の男達は和之に襲いかかり殴る蹴るの暴行を加えたのだった。

『ユリちゃん!逃げろ!』

『やだーっ!やめてー!』

ユリには和之の声が聞こえたが、和之が男達に袋叩きになっていることに足がすくんで、ユリは泣き叫ぶことしかできなかった。

和之も激しく抵抗した。

それから数分して◯◯ハイツの前にパトカーが到着した。

内田の部屋の前には、和之と内田の仲間の男達の乱闘騒ぎに◯◯ハイツの住人が集まっていた。

その人混みを抜けて警官が二人部屋に入ってきた。

警官二人の存在があっという間に暴れてた4人を大人しくさせた。

警官は応援を呼び、更に4人増えて部屋の中は静かになった。

半裸の被害女性が居ることで、婦人警官も応援に呼ばれていた。

『和之くん…』

ユリの視線の先には、4人の男達に袋叩きにされてた和之が部屋の真ん中で荒い息をして倒れていた。

婦人警官に毛布を肩からかけられたままユリは泣き出した。

その声は次第に嗚咽となりユリは身体を丸めて泣いた。

和之が救急車で運ばれていく時、ユリは和之にしがみついて自分も一緒に行くと言って離れなかった。

婦人警官も同乗して救急車は病院へと向かった。



翌朝…

和之は仕事現場に来なかった。

現場の事務所にも電話はなかった。

飯塚社長は和之の携帯に電話をしてみたが電源が落ちているようだった。

しかし、お昼前に和之から現場の事務所に電話が入った。

『和之か…。お前何してんだ…もうすぐ昼になるぞ?何かあったのか?』

『親方、すみません。今から現場に向かいます』

『具合でも悪いのか?もしそうなら、無理して出てくるな。仕事中の事故にも繋がるからな』

『はい…すみません。でも人手が足りないから…』

『バカ野郎!そんなことお前が心配することじゃないだろ!』

和之は久しぶりに社長に怒鳴られた。

『申し訳ありません…』

『いいから…調子悪いなら今日は休んでろ』

『はい…すみません…』

そう言って和之は社長から電話を切るのを確認してから携帯を置いた。

そしてお昼過ぎに飯塚社長の友人である弁護士の斎藤から飯塚に電話が来た。

『おぉ、斎藤か。うちの社員の友達の件どうなった?』

『あぁ、その事で電話したんだ。今日、お前んとこの若い奴一人休んでるだろ』

『えっ?何でお前が知ってるんだ?』

『それがさ、今日は交通事故の件で警察に来てるんだけど、お前んとこの伊東和之って居るだろ?あの喧嘩で傷害事件になった浜田雄輔の友達』

『あぁ、和之なら今日は休んでる…』

『その伊東和之君が昨夜、浜田君の事件の被害者で内田っていう男の仲間と大乱闘起こしたらしいんだ』

『えぇー!それほんとかよ?』

『あぁ…本当のことだ、弁護士は嘘つかん』

斎藤は少し笑いながら話を続けた。

『どうやら、浜田君の彼女が何時まで経っても示談に応じない内田に騙されて監禁されたんだ。
彼女が内田の家に行く前に伊東君にメールをしていたみたいで、家に帰って彼女のメールに気が付いた伊東君が彼女に電話をしたところ、男達の彼女をからかう声が聞こえたらしい…』

斎藤はここで一度話を切った。

『それで?和之が一人で乗り込んだのか?』

『あぁ、5人の男の中にな。
それでぼこぼこにやられたみたいだ。
彼女は半裸状態だったそうだよ。
伊東君がすぐに彼女のいる場所が分かったのも、彼女がメールで住所を伊東君に伝えてあったそうだ。
なんかさ…昔の俺達みたいだな。
親友のため、好きな人のため…
そのためなら怖いもん無しだったからな、俺とお前も』

『そう言われりゃそんな感じか。
今日は朝から和之の奴電話もよこさないで無断欠勤かと思ってたら、さっき昼前に電話がきて、これから行きますって言いやがったんだ。
だから、具合が悪いんなら無理して出てくるなっていったら、人手不足だからこれから行きますって言いやがった。
俺、怒鳴っちゃったよ。
お前が心配する事じゃねぇだろって』

『そうか…。
伊東君、打撲やら何やらで出血も酷かったらしい。
それでも親友の彼女を寸前のところで守ったんだ。一人でさ…。
今日の欠勤は多目に見てやれよ。
俺も、浜田君の相手が彼女を監禁、婦女暴行未遂と伊東君に対する暴行の首謀者として逮捕されたから、浜田君の示談に関して話が楽に進められそうだよ』

『そうだな…後で電話してみるよ。和之に』

『そうしてやれ。じゃ、俺の話は終わりだ。また電話する』

『あぁ、教えてくれてありがとな』

そう言って飯塚は電話を切った。

『5人対一人か…。若いってすげぇな…』


飯塚は椅子から立ち上がって大きく背伸びをした。


【ユリの気持ち】


和之が仕事を休んだ日の夕方。

飯塚社長から和之の携帯に電話がきた。

『親方…』

和之は体の痛みを堪えて声を絞り出した。

『なんだなんだ、その情けない声は!』

『…すいません、休んじゃって…』

『まだそんなこと言ってんのか。お前が気にすることじゃないって言ったはずだぞ。
とりあえず、殴られたり蹴られた所の痛みが無くなるまで休んでろ』

『お…親方…何でそんなこと…痛てっ!し、知ってるんで…すか?』

『社員の事は何でも知ってるんだよ、俺は。
お前は入社してから無欠勤だからな。
有給休暇にしとくからもう少し休んでろ。わかったな?』

『…はい』

『うん、十分仕事できるようになったら電話しろよ。その時はガッツリ働いてもらうからな。現場の皆には上手く言っといてやるから。じゃあな』

それだけ言って飯塚は電話を切った。

飯塚は和之を見ていて、無意識に自分の若い頃を重ねていたことに、友人の斎藤の言葉で気が付いたのだった。

(俺とお前も怖いもの無しだったからな…って、あいつ(斎藤)言ってたな…。
和之が入社当時から何となく気になってたのは、俺の若い頃に和之が似ているからかもしれんな…)

飯塚は心の中で呟いて、ふと思うことがあった。

(俺…和之のことひいきしてないだろうな…。
経営者は社員を平等に見ていかなといかんからな。
気を付けよ…)

事務所の窓から現場で働く自分の社員を見ながら、飯塚はそう思うのだった。



飯塚社長からの電話を切ってから3時間ほど寝ていた和之。

昨夜、病院で貰った痛み止の薬が効いてきたのか、節々の痛みが弱くなってきたように感じた。

『腹へったな…。昨夜から何にも食ってないんだよな。
何か食うものあったかな…』

和之はベッドの中で体のあちこちを動かしてみた。

背中と両腕の痛みが強いのは自分の顔と腹を庇っていたからだろう…と和之は思った。

寝返りを打つだけで背中に強い痛みがあったが、和之は痛みを堪えて上半身を起こしてみた。

寝ているときより幾分楽に感じた。

足を見れば、大きな痣がたくさんあったが薬が効いているのか我慢できる痛みだった。

ベッドから立ちあがり、歩いてみると体重のかかった両足に強い痛みが走った。

『痛てー!』

和之は、思わずベッドの横にあるテーブルに手を付いたが、その手も痛みで和之の体を支えることが出来なかった。

テーブルに乗っていたグラスや灰皿が床に転がり大きな音をたて、和之自身も床に倒れてしまった。

『痛ってー…。一晩入院と言われたけど病院に無理を言って家に帰ってきた時はこんなに痛くなかったのにな…』

和之が倒れて少しして携帯が鳴った。

携帯はベッドの上にある。

和之は痛みに耐えながらなんとか立ち上がることができた。

やっとベッドに座った時、着信音が止まった。

携帯を手に取り和之はディスプレイを確認した。

ユリからだった。

かけなおす和之。

ワンコールも終わらないうちにユリの声が聞こえてきた。

『和之くん!今部屋からすごい音がしたけど大丈夫!?』

『ユリちゃんか…俺なら大丈夫だ。それよりユリちゃんは?大丈夫か?』

そう言いながら、そのあとのユリの話を聞きながら和之は不思議に思った

『アタシは大丈夫。和之くんが助けてくれたから…。ごめんね…和之くん…アタシのせいで和之くんが怪我することになっちゃって…』

『ちょっと待ってユリちゃん』

和之はユリの話を遮った。

『えっ?なに?』

『ユリちゃん、今何処に居るんだ?』

『へへ…和之くんの部屋の玄関の前』

『えーっ!何時からいるの?』

『2時間くらい前から』

『なんだよ、電話してくれればいいのに…』

『寝てたら起こしちゃうし…どうしよーかなーって思ってたら部屋からすごい音が聞こえて、起きてるんだって思って電話したの。さっきの音は何?』

『そうだったんだ…ぜんぜん分からなかった、ごめんなー。さっきの音はテーブルの上のグラスや灰皿落としちゃったんだ』

『そうなんだ。あのさ、和之くん』

『何?』

『部屋に入っていい?』

『え~と、すげぇ散らかってるからな…』

和之は困ったような返事をした。

『散らかってる部屋なら雄輔の部屋で慣れてるから大丈夫だよ。それより何か食べた?お腹空いてない?』

お腹空いてない?というユリの言葉に負けた和之。

『実は腹減ってるんだ…。でも体が痛くて買い物にも行けないからどうしようかと思ってた』

『よかった。お弁当とか食材買ってきてあるから開けてくれる?ていうかカギ開いてるみたいだから入っていい?さっきドアノブに手をかけてみたら開いちゃったの』

『そっか、俺カギかけてなかったのか。散らかってるの我慢してくれるのなら入ってきて。俺、腹ペコなんだ…』

『うん、じゃあお邪魔します』

ユリはそう言ってドアを開け和之の部屋に入った。

大きな袋を2つぶら下げてユリは和之のいる部屋に入ってきた。

和之の家には、ユリは雄輔と一緒に何度も訪れていた。

ユリが一人で来るのは初めての事だった。

『おじゃましまーす。体の痛みどう?』

ユリはテーブルから落ちたであろうグラスと灰皿をテーブルに戻しながら和之の顔を見た。

『あっ、ありがとう。背中と腕と立ち上がったときに両足が痛いくらいだよ』

『…それで転んだの?』

『うん…』

和之の返事を聞いてから、ユリは自分のバッグからウェットティッシュを取り出し、テーブルの上と少し溢れたタバコの灰を拭き取りながら、昨夜助けに来てくれたときの和之を思い出していた。

『和之くん…』

ユリは顔を上げ和之を見つめた。

そして潤んだユリの目から大粒の涙が零れ落ちた。

『和之くん、ほんとにありがとう…助けてくれて…』

ユリの大粒の涙を見て戸惑う和之。

『…気にしないでいいんだよ、ユリちゃん。ユリちゃんがあいつの住所を教えてくれてたから、ユリちゃんを助けに行けたんだし。
あんなに人数居るとは思わなかったけどね。
あいつの部屋に入る前に警察に電話しておいてよかった。
正直あの人数じゃ無理だと思ったよ。
でも、警察が来るまで時間稼ぎするくらいできるなって思ったんだ』

泣きながら和之の話を黙って聞いていたユリは、極自然に和之の横に座った。

そして和之の顔の痣をそっと触り、徐に和之の唇にキスをした。

『ありがとう、和之くん。雄輔には内緒だよ…』

ユリの髪の香りと微かに香る柔軟剤の香りが和之の鼻を擽った。

ユリはそう言って、和之から離れ袋の中から2つのコンビニ弁当を出取り出した。

ユリの頬が、ほんのり赤くなっているのが和之には見えた。

『どっちがいい?』

ユリは和之に二つの弁当を見せた。

『じ、じゅあトンカツ弁当』

和之も照れながら返事をした。

『こっちね。今温めてくる』

そう言ってユリはキッチンへ行きレンジで弁当を温めて戻ってきた。

弁当をテーブルに置き、もう一つの袋からペットボトルのお茶をだした。

キッチンからコップを2つ持ってきてテーブルに置いた。

『アタシも飲む』

そう言いながらユリは和之の弁当のラッピングを剥がし割り箸を弁当の横に置いてコップにお茶を注いだ。

『はい、食べて。和之くん』

『悪いな…。ありがとう、ユリちゃん』

ユリは泣いたせいか、目の回りが少し赤くなっていたが、何時もの可愛い笑顔が戻っていた。

ユリは上着を脱ぎTシャツになった。

ユリの左腕に赤黒い痣のような痕と引っ掻き傷のような痕を和之は見つけた。

しかし、敢えて和之はユリに聞かなかった。

弁当に手を伸ばす時も上げる時も、痛みがあり食べるのに苦戦したが和之はペロリとたいらげた。

ユリは、その間キッチンで洗い物をしながら料理を始めた。

何かを切る音、食器の音、水を流す音…。

独り暮らしで彼女のいない和之には、部屋の中にユリが居ることで雰囲気が何時もとまるっきり違う事に何とも言えない温かさを感じていた。

彼女がいないとはいえ、好きな人はいた。

その好きな人こそユリだった。

雄輔と幼馴染みの和之は小学校、中学校、高校まで同じだった。

ユリとは中学校で知り合い、密かに想いを寄せていたが、それは雄輔も同じだった。

雄輔が一足先にユリに告白したのだ。

親友の、彼女ができたという事に、彼女がユリだと分かった後も雄輔とは変わらない付き合いだった。

今となっては、ユリは和之の友人となっている。

和之にも彼女ができたことはあるが、交際は長くは続かなかった。

18才になり、雄輔もユリも和之も大学には行かず就職した。

和之は、飯塚建設に就職して仕事に没頭して彼女が欲しいと思う事が少くなっていた。

雄輔は、よくユリを連れて和之の家に遊びに来ていたので、3人の関係は中学時代から続いている。

そんなユリと、今二人でいることが複雑な気持ちではあるが、和之は今の時間がとても温かく感じていたのだった。

部屋の中には、カレーの良い匂いが漂い始めた

ユリの作ったカレーは和之も何度か食べたことがある。

和之自身もカレーを作ることがあるが、ユリのカレーはひと味違った。

辛口のカレーだが思うほど辛くもなくコクがあるカレーなのだ。

『カレーいっぱい作ったからね。ご飯もチンするだけのご飯10パック入り買ってきたから食べたい時すぐ食べられるから』

『ありがとう。ユリちゃんのカレー旨いからな。食べるの楽しみだ。俺も自分でカレー作るときあるんだけどさ、同じカレールー使っても何か味が違うんだよな…』

『和之くん、自炊するんだよね。
味が違うのはアタシが砂糖入れるからじゃないかな。
アタシとろとろのカレー好きだからカレールー全部使って、お砂糖大さじ2杯か3杯入れるんだ。
雑誌に書いてあったの真似しただけだよ。
カレールーは辛口ね』

『カレーに砂糖?意外な組み合わせだな』

『辛さを少し抑えてコクが出るの。今度試してみたら?』

そう言ってユリは壁に掛かってる時計を見た。

『和之くん、アタシそろそろ帰るね。昨日の事でお母さん泣いてたから…。アタシ、あいつらに被害届だすつもり。和之くんも出した方がいいよ。雄輔にあんな慰謝料と示談金吹っ掛けてきたんだから』

『勿論被害届は出してやるさ。雄輔の敵だからな』

『そうだよね。じゃあ帰るね。あっ、そうだ!』

ユリはそう言って立ち上がりキッチンへいき冷蔵庫から冷えたタオルを持ってきた。

『これ、冷蔵庫で冷やしてた。
腫れて熱持ってるところに当ててね』

『ありがとう、ユリちゃん』

『うん、じゃあ帰るね。何か欲しいものあったら電話して』

そう言ってユリは身支度をして和之の部屋を出ていった。

和之の部屋に何時もの空気が漂い始めた。


【約束】


和之の家にユリが来た日から2日後。

内田の浜田雄輔に対する虚偽の被害申告、婦女拉致監禁暴行未遂、伊東和之への暴行傷害の首謀者が内田であること。その婦女拉致監禁の被害者が浜田雄輔の彼女である木嶋ユリだったということを鑑み、浜田雄輔も深く反省していることで、検察官の裁量で浜田雄輔は不起訴となり、晴れて雄輔は自由の身となった。

ただし、検察官は浜田雄輔の心情と、彼女に対する内田の行為に恨みを抱く可能性もある、ということを鑑みて、木嶋ユリの事と伊東和之の事は雄輔に伝えることはなかった。

この事は、すぐに斎藤弁護士から飯塚社長に連絡がいき、飯塚社長から和之へ、和之からユリへと伝達された。
雄輔が恨みを抱く可能性があるので一切口外しないように、とのことだった。

拘置所を出た雄輔は、大きく伸びをした。

電車を乗り継ぎ、久し振りに自宅へ帰った雄輔。

部屋に入り大きな溜め息をつくとベッドに仰向けに寝転んだ。

20日間も部屋を空けていたのに、部屋の空気は澱んでいなかった。

上半身だけ起こし、雄輔は部屋を見回した。

部屋の中は綺麗に片付いていて、微かだが時々ユリが着ける柔らかい香水の香りがしていた。

俺には勿体ないくらい良い女だな…

ふと、雄輔はそんなことを思った。

それから雄輔は、和之に電話をかけた。

『和之…』

『雄輔!』

『あぁ、俺だ』

『電話をかけられるってことは出られたのか?』

『相変わらず察しがいいな、和之は。
今日、突然検察から不起訴と言われて釈放になったんだ。何でも、俺が怪我をさせた内田が、俺に対する嘘の被害申告を出してたらしくてさ。
それと他に事件を起こしたらしくて逮捕されたから、裁判を続けることが難しくなったんだって』

『それで釈放?』

『だと思うよ…俺はそう聞いた』

『まぁ、理由はどうあれ釈放なんだ。
明日の土曜日、みんな集めて居酒屋でお祝いだな。えーと、出所祝いってやつ?』

『どこかの組じゃねぇんだから出所祝いはどうかと…』

『何だっていいじゃねぇか。とにかく明日はお祝いだ』

『それより、色々動いてくれたみたいで…ホントありがとな、和之』

『色々動いたっていっても、会社の社長の友達が弁護士だったってことだ』

『でも、和之が社長に相談したんだろ?』

『それは少し違うな。正確には、雄輔が捕まって気が動転していた俺に社長が聞いてきたんだ。
理由を話したら社長が弁護士の斎藤さんを紹介してくれたんだ』

『それでも、弁護士を紹介してくれたのは和之が発端だろ?俺、明日挨拶に行ってくるよ。お前んとこの社長に。まだあのビルの現場だろ?社長もそこに居るんだよな?』

『あぁ、以前お前に教えた現場だ。社長もそこにいる。俺は現場に入ってるから出てこれないけどな』

和之は、雄輔に仕事を休んでいることを知られたくなかったので、敢えて現場では会えない事を伝えた。

『大丈夫だ。社長に会えればそれでいいよ』

『分かった。社長にはお前が来ることを言っておくよ』

『あぁ、そうしてくれ。じゃあ明日の飲み会楽しみにしてるよ』

『あぁ、明日な…』


その日の夜。

雄輔はユリに電話をかけて、警察、検察、不起訴で釈放になったこと。そしてユリを疑ってしまった事を謝った。

そして、明日の飲み会にユリを誘ってから電話を切った。

その夜、雄輔は久しぶりに深い眠りに入るのだった。


翌日…

雄輔は、午前中に飯塚社長に会うため、午前9時半に250のスクーターで家を出た。

駅前で社長への手土産を買い、ビルの建設現場へ向かった。

それから一時間ほどして、和之の携帯に電話がきた。

覚えのない番号は警察からの電話だった。

『○○警察の河田といますが…浜田雄輔さんをご存じですか?』

警察?雄輔?何?

和之は、頭の中で整理しようとした。

『浜田は、自分の友達ですが…』

『浜田さんのご家族ではないのですね?』

『あいつ、何かしたんですか?あいつの家族はいません。俺は浜田の幼馴染みの親友です。
雄輔に何かあったんですか?』

和之はただ事ではない、と察した。

『実は、浜田さんが交通事故にあいまして、浜田さんの携帯から親族の方に繋がるかと思いまして、あなたの番号が一番通話記録が多いので電話させていただきました』

『交通事故?何処でですか?怪我は?』

『ご家族以外の方には…』

『浜田の両親はいません!幼馴染みの俺はそいつと兄弟のようなもんです!教えてください!雄輔の怪我は?場所は何処ですか?』

電話の向こうで話し声が聞こえていた。

『分かりました。あなたの上のお名前を教えてください』

『伊藤です』

『では、伊藤さん。浜田さんはバイクでトラックと交差点でぶつかりました。浜田さんは危険な状態です。○○区の○○病院に運ばれました』

『分かりました。すぐに向かいます』

和之は電話を切って、痛みが残る両腕を無理矢理動かし上着を着込んで原付バイクに乗り○○病院へ急いだ。

○○病院は和之の勤務するビルの建設現場へ行く途中にある比較的大きな病院だった。

『危険な状態ってなんだよ、雄輔!
お前、社長に会うんだろ?何で病院なんだよ!行く場所が違うだろーが!くたばったら許さねぇからな!』

和之は雄輔に話すようにバイクで病院に向かうのだった。

30分ほどで和之は病院に着いた。

和之は、病院内の案内で浜田雄輔が何処にいるのか聞いて、雄輔が治療を受けている部屋の前で待った。

10分ほど経って治療室のドアが開いた。

和之がドアの側に行くと看護師が和之を見て、『浜田雄輔さんのご家族ですか?』と聞いてきた。

『はい!雄輔は?大丈夫ですよね?』

和之は看護師に詰め寄った。

『最善を尽くしましたが…助けられませんでした』

和之は看護師の言葉が信じられなかった。

看護師に促され、和之は雄輔がいる部屋に入ると、血の気の失せた雄輔の顔が見えた。

『嘘だろ?雄輔?お前、今日飲み会に行くんだろ?みんなでよー!勝手に死んでんじゃねーよ、バカ野郎!』

和之は人目も憚らず泣いた。

少しして、落ち着きを取り戻した和之は、院内の携帯通話エリアでユリに電話をかけた。

『もしもし、和之くん』

ユリの明るい声が聞こえてきた。

『ユリちゃん、今から話すことはユリちゃんにとって信じがたいことだけど、しっかり受け止めて欲しい…』

『やだ…、和之くんどしたの?いつもの和之くんじゃないみたい…』

『あのさ…』

そこまで言って和之の目に、涙が再び込み上げてきた。

『ごめん、ちょっとまって…』

和之の声は明らかに涙の混ざった声だった。

『どうしたの?和之くん?』

和之の普通ではない声に不安を抱くユリ。

『わるい…実はさ…雄輔が……雄輔が…死んだんだ…』

ユリは和之の言葉が理解できなかった。

『やだ、変なこと言わないでよ…和之くん。雄輔が死ぬわけないじゃん。今夜皆で飲み会に行くんだよ?明日は映画観に行こうって昨夜約束したんだよ?』

ユリの言葉が和之には余計に悲しく思えた。

『ユリちゃん、冗談じゃないんだ。雄輔のやつ、バイクで事故って…ついさっき息を引き取ったんだ』

『嘘よ!そんなことあるわけないよ!何でそんな酷い嘘つくの?和之くん意地悪だよ!嘘だって言ってよ』

ユリの声は次第に泣き声に変わっていった。

ユリの取り乱し方と泣き声に不安を抱いたユリの母親は、ユリから携帯を取り上げた。

『もしもし?和之くん?ユリの母です。何かあったの?』

『あっ、おばさん…。実は…』

和之が中学生の時から知っているユリの母親は、優しいおばさんという存在だった。そのユリの母親の声を聞いて、何故か和之の堪えていたものが溢れ出してしまった。和之は泣くのを堪えながらユリの母親に話すのだった。

『おばさん、雄輔が死んじゃったんです。あいつ事故で、ついさっき死んじゃったんです』

ユリの母親は驚きで声がでなかった。

ユリの母親は、いつも和之と雄輔がボディーガードと称してユリと一緒に出掛けるのを見送っていた。

その関係が現在まで続いているということで、雄輔と和之に世話を焼くこともあった。

況してや雄輔はユリの彼氏…。

3人の一人が欠けてしまったのだ。

『和之くん、雄輔くんはどこの病院にいるの?』

『◯◯区の◯◯病院です』

『今からユリを連れてそこに行くから待ってて?』

『…はい』

ユリの母親は泣きじゃくる娘を抱き締めた。

『ユリ…出掛けるから支度しなさい』

『病院なら行かない。雄輔と今夜飲み会だもん!明日は映画に行くんだから…』

『その雄輔くんのところだよ?雄輔くんはご両親いないんだよ?彼女のお前が行ってあげないでどうするの?』

『…』

ユリは返事をしなかった。

母親は身支度を始めた。

ユリもノロノロと立ち上がり支度を始めた。




この一連の事件が、私たち3人が二十歳になった年の出来事だった。


【二つの恋】


梅雨の時期は終わり、本格的な夏が訪れていた。

自然の営みは今年も規則正しく、止まることのない時の流れの中で季節は移り変わっていった。


盆踊りの会場を見下ろす小高い丘の、大きな木の横にあるベンチに一人で座る木嶋ユリ。


心地好い夜風が頬を撫でていった。


雄輔が亡くなって、今年が8回目の夏。

毎年盆踊りが開催されるこの時、ユリは雄輔と付き合い始めてからの想い出を、一年、一年と自分の中で整理してきた。

そして、今年が雄輔との想い出が途切れる8年目だった。

最後の年の想い出が、一番辛い想い出としてユリの中に残ってしまった。

『雄輔…。最後の年の想い出は今夜だけで整理できるかな…』

ユリは晴れた夜空を見上げ、雄輔と二人で空に描いた二人だけの星座を繋いでいった。

雄輔の星座だけが小さな雲に隠れて一つ見えなくなっていた。


『ユリ…』


誰かに呼ばれた気がしてユリは振り向いた。

ユリの周りには誰もいない。

『雄輔が来たのかな…』

ユリは、ふとそんなことを思った。

夜空を見上げながら、雄輔との8年目の想い出を少しだけ飾りながら、綺麗な想い出として一つ一つ整理していくユリだった。

雄輔のユリに対する誤解から始まった一連の騒動は、ユリにとって苦く辛いものだった。

それでもユリは自分の心を整理するために、雄輔との8年目の想い出を一つづつ飾り付け大切な想い出として心に仕舞っていった。


『ユリ…』


また誰かに呼ばれた気がして、ユリは辺りを見回した。

盆踊りの灯りで近付いてくる人影が見えた。


『ユリちゃん?』


一年ぶりに聞く懐かしい声だ。

盆踊りの遠い灯りが、うっすらと和之の顔を浮かび上がらせた。

『和之くん。やっぱり帰ってたんだ!』

『あぁ、お盆だしな。あいつに会いに来た…。それに盆踊りの時は、ここに来れば必ずユリちゃんに会えるしな。ほら、出店でラムネ買ってきた』

和之はユリにラムネを渡した。


『ありがと。うん…でも来年からは盆踊りの時でも、ここに居ないかもしれないよ…アタシ』

ユリは和之に、寂しそうな顔を見せた。

『そうだな…今年で8年目だもんな。
もう想い出の整理できた?
ユリちゃんの中にいる雄輔の想い出も、俺の中の雄輔の想い出も8年前までの想い出しか無いからな…』

『もうすぐ、雄輔の想い出の物語はエンディングだよ…』

『そうか…』

二人は少しの間黙って空を見ていた。

『ねぇ、和之くん』

和之は返事をする代わりにユリを見つめた。

『和之くんの星座作ろうよ』

ユリは夜空を見上げたまま言った。

『俺の星座?』

『うん、アタシと雄輔の星座はあるの。アタシを挟んで左側に和之くんの星座があれば、中学の時みたいに3人いつも一緒に居られるから…』

和之は、夜空を真っ直ぐ見つめるユリの横顔を見た。

『よーし、俺がユリちゃんの左側に俺の星座を作ればいいんだな。
そうすりゃ、中学の時みたいに俺と雄輔がユリちゃんのボディーガードになれるな』

そう言って和之はユリの左横に座り、あれこれ星を繋ぎ、あーでもないこーでもないと二人ではしゃぎながら、和之の星座は完成した。

『よし、これで3人は何時も一緒だな』

そう言って和之はユリを見ると、ユリは俯いていた。

『ユリちゃん…雄輔のこと思い出しちゃったか?』

『うん、それもあるけど…。
和之くん、また何時もみたいに一晩で帰っちゃうの?もうここには戻らないの?』

ユリは俯いたまま涙を堪えているようだった。

『来年の春頃には地方での仕事も一段落するから帰ってくるつもりだよ。また部屋探ししなきゃ…』

『ほんとに?来年の春に帰ってこれるの?』

ユリは俯いていた顔をあげて和之を見た。

『うん、俺…この街好きだしな。
親父もいい歳でアパート暮らしだからさ。
近くに居てやんないと。
それに…』

和之はここで言葉を切った。

『それに?』

和之の次の言葉をユリは促した。

『ここにはユリちゃんが居るし…』

和之は、そう言うと照れ臭そうにベンチから立ち上がった。

『アタシに和之くんの家探させて?いい?』

『ユリちゃんが?』

『ダメ?』

『いや、ダメじゃないけどさ…。ユリちゃんも仕事あるし大変だと思って…』

『大丈夫だよ。和之くんが他の場所に行きたくなくなるような部屋見つける。それに…』

今度はユリがここで言葉を切った。

和之はユリの次の言葉を待った。

『…

  …

    …?』

『…それに?』

時間にして12秒ほどで和之はユリの次の言葉を促すのだった。

『和之くん、反応遅いー。
それにね…
和之くんが何処にも行ってほしくないから。
いつも傍に居て欲しいから!
いつも会っていたいから!
和之くんがそれを許してくれるなら、だけど…』

『ユリちゃん…』

ユリの思いがけない言葉に嬉しさと戸惑いが和之の中で交差した。

『アタシの中には、中学の時から二つの恋があったの。
そしてそれは今でも変わらないんだ。
この事は、雄輔に言ったことがあるの。
雄輔は、和之と同じ位置なら文句はないって言ってた』


『中学の時からか…』


『うん、ほんとのこと言うとアタシが最初に好きになったのは和之くんだったんだ…。
でも、雄輔がアタシに先に声かけてきた。
雄輔も優しくて友達思いだったでしょ?
だから付き合ったら和之くんが雄輔の親友だったからビックリしちゃったんだ。あの時は…。
そして、あなたたちはいつも二人一緒だったでしょ?
アタシは、いつも二人の間に挟まれて楽しかったし幸せに思えた…。
雄輔がいなくなり、和之くんも5年前からお仕事で遠くに行っちゃってるでしょ?
二人居なくなって寂しかったよ…。
だから…アタシの勝手なお願いだけど…
以前みたいにいつも傍に居てほしいの…。
いつも傍に居たいの…ダメかなぁ…』

『そういうことなら俺は大歓迎だぜ。
ユリちゃんの今までの雄輔の想い出の中には、何時も雄輔にくっついてる俺もいるんだよね?』

そう言って和之はユリを見た。

『もちろんだよ』

ユリは笑顔で応えた。

『それならさ、来年はこの場所に来ないかもしれない、なんて言わないで、これからも毎年盆踊りのあるこの日に、この場所で3人で新しい想い出を作っていこうよ』

『そうか…。そうだよね、うん!ありがとう和之くん。あっ、そうそう。どんな部屋が好きなのかな?和之くんが帰る家探すから』

『えー、まだ早いんじゃない?まぁ、でもロフトとかあるとオシャレな感じ?』

『ロフトで寝るの?』

『なんか秘密基地だよね。ロフトって』

『ベッドは?ダブルのでっかいのとか?』

『ロフトは男のロマンだ。あれ?ここに上がってくる人多くなった?』

『これから花火上がるんじゃない?
どーんかーんて。和之くんの頭の上に上がってるよ!』

『どーんかーんてどんな花火だよ?』

『アタシが和之くんに、正に今見せたい花火だよー』

そんな楽しい会話は夜更けまで続くのだった。



翌朝…



夏の陽射しが穏やかな朝の時間。

和之とユリは小さな駅のホームに立っていた。

『昨夜は楽しかったよ、ユリちゃん』

『あたしもだよー。久し振りに話し込んじゃったね』

『じゃあさ、半年後の来春頃には帰れると思うから、その前にロフト付きの部屋探しといてね。ダブルベッドは幅とるからな…。あっ電車来た。じゃあユリちゃん、半年後に会おうね』

四両編成の電車がホームに滑り込んできた。

『うん、寂しいけど我慢して待ってるよ。お仕事頑張ってね』

『ありがと。じゃあ行ってくる』

『行ってらっしゃい』

和之は電車に乗り込みドアが閉まった。

『行ってらっしゃい、鈍感さん』

動き始めた電車内で手を振る和之に呟きながらユリは手を振っていた。

小さな街に夏の陽射しが照り付け始めた。


美しい想い出は美しいままに

辛く悲しい想い出だって

時に癒され慰められて

やがて仄かに温められて

人の心に溶けながら

溶けた氷が薄めた酒のように

ほんのちょっと不味くなるだけ…


あとがき

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ほぼ、木嶋ユリの想い出物語として書きました。

前編冒頭の、一つの詩からこんなにお話が膨らんでしまいました。面白さに欠けていたかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

私は、北方謙三さんが好きなこともあり、ちょっとだけハードボイルドチックな表現も煎れてみました。

恋愛物語でもあり、人の儚さと愚かさを何となく書いてみました。

そして最後には、和之とユリの明るい未来を匂わせる終わりかたにしてみました。

前編はこちら
https://note.com/apytt/n/n50dcb8fc6161

安桜芙美乃

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