さみだれの恋…Sストーリー
さ 錯雑の夢は途切れては繋がり
み 見え隠れする波間に浮かぶ小舟のように
だ 誰にも知られぬ夢の中に私を漂わせた
れ 黎明の中の玲瓏な五月雨の中で…
表紙画PhotoAC
序章
五月の雨の降る朝、少女は海辺で恋をした。
寄せては返す波を見つめながら、今日も波打ち際に佇んでいた。
夜明けの浜辺で出会った青年に会いたくて、しとしと降り続く六月の梅雨の雨に濡れながらも、夜明け前の浜辺に毎朝足を運んでいた。
恋に落ちて
青年と少女は本格的な梅雨の前の、五月の走り梅雨である雨の降る日の朝に出会った。
その日、なかなか眠りにつけないまま朝を迎えた少女は、夜明け前の部屋の窓を開けた。
しとしとと降る五月の雨が、ふと美しく思えた。
『今朝の雨…なんか綺麗だな』
街頭に照らされた濡れたアスファルトが艶のある透き通るような黒い色に染められていた。
何時もなら陽が昇る頃、晴れている日に近くにある小さな漁港の横に広がる砂浜を散歩するのだが、美しい雨に誘われるかのように少女はこの日、夜明け前に砂浜へ散歩に出た。
父親の仕事の都合で、この町に越してきて四ヶ月目に入った朝だった。
夜明け前のまだ暗い浜辺は、明るい朝とは違い浜辺に打ち寄せる波だけが白く見えていて、海と砂浜を隔てていた。
浜辺の遠くに焚き火のような大きな炎が上がっていた。
その炎に引き寄せられるように少女は近付ていった。
人影が見えた。
近付く私に驚いたような顔を向けた青年がいた。
驚いた顔を見せた後、青年は何とも優しく穏やかな笑顔になった。
『こんなに早くてまだ暗い時間に…、しかも雨降りなのにどうしたの?朝の散歩?』
青年は屈託のない笑顔を少女に見せた。
その時、少女は自分より少し歳上の青年に、何となく恋の予感を感じた。
青年は永田敏樹と名乗った。
少女も篠田由美と敏樹に自分の名前を告げた。
『私は眠れない夜の延長で夜明け前の散歩です。
お兄さんは?ここで何をしてるんですか』
『俺は火の番だよ。婆ちゃんが火を起こしたままそこの小屋で寝ちゃったから…』
由美と敏樹は、暫く話をしていた。
○○高校の二年生という由美に、「それなら俺の後輩じゃん。怒ると怖い英語の井澤先生はまだいるの?しょっちゅうからかって俺よく怒られたんだー」と言う敏樹に、いるよ~と笑顔で応える由美。
そんなとりとめのない話をして、日が昇る少し前に敏樹は漁に出なきゃ、と言って小さな漁港へ向かうのだった。
そこで由美は夢から覚めた。
まだ日が昇る前の静かな雨が降る朝のことだった。
そして翌日も由美は敏樹に会う夢を見た。
由美にとって歳上の敏樹は魅力的だった。
翌日も由美は夢の中で敏樹に会った。
敏樹は話上手で一緒にいて楽しい存在だった。
その翌日に会ったときには、敏樹が由美に対して好意を寄せたときのことを話していた。
『いつも自転車で由美がそこの道路を通るのを見ていたんだ。
俺の通っていた高校の制服着ていたからさ…
何となく見ていたんだけど…よくみると可愛いな~、なんて思ってた』
『よくみるとって何よ~、失礼ね』
『ちかくでみるともっとかわいいって意味だよ。あっ、由美に渡したいものがあるんだけど今持ってないんだ…。明日の朝渡せると思う…』
敏樹の言葉に恥じらいを見せた由美はその時、落とし穴にストンと落ちるように恋に落ちた。
そして夢から目覚めるのだが、リアルな余韻が由美の心を締め付けていた。
翡翠のネックレス
五日目は由美から夢の中で敏樹に会いに行った。
降り続く五月の雨の中、いそいそと何時もの夜明け前の砂浜へ行く由美。
『あれ?敏樹さんいないな…あ、あの小屋にいるのかな』
小屋の扉を開けて電気を点けたが敏樹の姿はなかった。
由美は中を見渡すと、テーブルの上に何かあることに気付いた。
「由美ちゃんにあげるよ、俺はもう由美ちゃんに会えないと思う…俺を見つけてくれて嬉しかったよ。ありがとう…」
そう書かれた小さなメモと一緒に、つるつるした小さな淡い緑色の石が付いたネックレスが置いてあった。
『…もう会えないってどういうこと?なんで?』
由美は小屋を飛び出したところで転んで砂まみれになったところで夢から覚めた。
夢の中で俊樹からもらったネックレスを握りしめていたはずの手を開いて見つめる由美。
あまりにもリアルな夢で、居たたまれなくなった由美は急いで着替えを済ませ、懐中電灯を手に家を出て五月の小雨が降る夜明け前の砂浜へ駆け出した。
夢の中でも現実でもある砂浜の隅にある真っ暗な小屋へ飛び込んだ。
テーブルの上には当然のように何もなかった。
由美は泣きそうな気持ちを抑えながら小屋を出て、夢の中で転んだ場所の砂を掻き回すようにネックレスを探した。
それは、あたかも自分で落とした物を一生懸命探すように膝をついて、由美は両手で砂を掻き回した
何故か滲む涙で砂を掻き回す由美の手に、紐のようなものが引っ掛かった。
懐中電灯の灯りを、その場所に当てると雨に濡れた紐に通してある淡い緑色の石が、半分砂に埋まりながらも由美に見つけてもらいたかったかのように輝いていた。
『あった…、あった…夢じゃなかったんだ。敏樹さん…何処にいるの?』
べそをかきながら由美は夜明け前の砂浜で敏樹を探し回ったが、敏樹は何処にも居なかった。
敏樹
その日、授業が終わった放課後。
由美は英語教師である井澤に永田敏樹という卒業生の事を聞いた。
『えっ?篠田さん、なんで永田君のこと知ってるの』
由美は井澤の反応で、それまで半信半疑だった永田敏樹の存在に確信が持てたのだった。
『はい、五日前に○○漁港の隣にある砂浜で会って、色々なお話をしたんです。
先生の事も話してたんですよ。
夢の中のことですけど。先生に永田敏樹さんのことを聞いて、永田敏樹さんが実在することに確信が持てました。
…先生…もし可能でしたら永田敏樹さんの住所教えていただけませんか?これを渡したくて…』
由美は淡い緑色の石が付いたネックレスを井澤に見せた。
英語教師の伊澤の目から、突然涙がぼろぼろ溢れて泣き出した。
『えっ?先生?どうしたんですか?』
『…篠田さん…永田君は先月亡くなってるの…。
お父さんの後を次いで漁師になったのだけど、先月…漁に出たきり帰ってこなかったの。
捜索して転覆した船だけ見つかって…永田君もそこにいたの。
それでも、永田君のお婆さんが数日間、永田君が…帰ってくる場所が分かるように夜毎砂浜で火を焚いてのよ。
…今日が…今日がね…永田君の四十九日だったの。
先生も…今日、永田君の家に行ってきたのよ』
伊澤はハンカチで涙を拭いながら話していた。
『先生…それ本当の事なの?だって…あたし夢の中だけど敏樹さんに会ってたんだよ?昨日も一昨日もその前も…先生の話もしてたんだよ?
今朝は会えなかったけど、敏樹さんのメモとこのネックレスが砂浜の小屋に置いてあったんだよ?
もう会えなくなるからって…夢の中でこのネックレスをアタシにくれるって言ったんだよ?
あたし…あたし敏樹さんのこと好きになっちゃったから…夢の中で敏樹さんを探しに行こうとして小屋を飛び出したところで…転んだ時に…目が覚めたの。
あたし…あたし…その後…暗い砂浜に行って、転んだ場所で…ネックレスを捜してみたら…これがあったの…』
由美はその場でぼろぼろ涙を溢して泣きながら話していた。
井澤は由美を抱き寄せた。
『篠田さん、今から永田君の家に行ってみる?』
由美は泣きじゃくりながら井澤を見て首を縦に振った。
由美は井澤の車の助手席に乗り永田敏樹の家に向かった。
永田敏樹の家は由美の家から10分程の所だった。
井澤は敏樹の家である戸建ての家のチャイムを鳴らした。
若い女性が玄関から顔を出した。
『あら、伊澤先生…今日は弟の法要に来てくださりありがとうございました。…あの…何か忘れ物でもありましたか?』
『永田さん、聞いて?この子私の生徒で篠田由美さんです。これ見て…確かネックレスの話してたよね?』
伊澤は由美にネックレスを敏樹の姉に見せるように促した。
由美は、泣き腫らした顔で敏樹の姉という女性に頭を下げてネックレスを見せた。
『えっ?このネックレス何処にあったのですか?』
女性の目からみるみる涙が溢れてきた。
『この子、篠田さんが夢の中で永田君と五日前からお話ししていたそうなの』
そう言って伊澤は由美の顔を見つめた。
そして、事の成り行きを由美は泣きながら敏樹の姉に話した。
『そうだったの…貴女だったのね…』
永田敏樹の姉は涙を溢しながら由美を見つめた。
『…どういうことですか?』
由美は敏樹の姉に尋ねた。
『敏樹がアタシに言ってたの。
可愛い娘が毎朝自転車で港の前を通るんだよって言ってた。
弟はその娘に翡翠の石でネックレスをプレゼントとして作って、いつかその女の子に渡すつもりだったみたいなの。
それがこのネックレスなの。
出来たときアタシに見せてくれてたからよく覚えてる。
そして敏樹が言ってた可愛い娘…貴方が見つけてくれた。
篠田さん、弟に会っていってくれますか?』
『はい…』
由美は小さな声で返事をして、敏樹の姉に促され部屋に上がり敏樹の遺影の前に座ったところで再び声をあげて泣いてしまった。
遺影が夢の中の敏樹そのものだったことで、由美は深い哀しみに堕ちた。
『夢の中だったけど…ホントに好きになったのに…酷いよ…何でもっと早く声かけてくれなかったのよ』
由美はわんわん泣き出した。
泣き崩れる由美を敏樹の姉が抱き締めた。
『篠田さん、敏樹のこと…気付いてくれてありがとう。
敏樹の気持ちがこもったこのネックレス…貰ってくれる?』
敏樹の姉の言葉に由美は号泣した。
『敏樹さんもお姉さんと同じこと言ってました』
しゃくりあげる由美の鳴き声に誘われるように、小さな港町には再び小雨が降り始めた。
小さな港町は六月に入り梅雨の長雨の時期になった。
しとしとと降り続ける夜明け前の雨の中。
由美は今日も、首に掛けたネックレスの翡翠の石を右手で押さえながら、うみべのこいを胸に秘め波打ち際に佇んでいた。
おしまい。。。