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5. カルマ … 悪夢

とき子のインナートリップ ~ 直江幸法の瞑想体験 ~
 この記事は私の母の瞑想体験です。全12話2001年 1月公開です。彼女が見てきた景色は、私のそれともオーバーラップしています。けっして恵まれた境遇とは言えなかった彼女が、その現実に向き合っていく様は、私にとっては大きな導きのひとつでありました。ヨーガと瞑想を通じて人生を切り開いていった母の心の風景、お読み頂けましたら幸いです。

カルマ … 悪夢


悪夢
意識の深淵からそれは湧き起る

 様々な想いが私の中で浮かんでは消えた。自分に起きている現象の真実を考えれば考えるほど私たちには見えていない大きな何か、眼に見えている世界とは別の世界か次元かが実はあるのだと想えてしまう。たとえ、私に反復の作業で念力がついたのだとしてもそこがなければやってこないではないか。いつのまにか苦しかった悲しかった頃を忘れて眼に見えていない私達の根底に横たわる何か、何者かを追いかけ始めていた

 しかし、身震いするような落とし穴が待っていようとは思いもよらず、事が起り始めて私は愕然としたのであった。悪いこともかなってしまうのだ。良いことも悪いことも区別なしにかなってしまう。なぜか?私には漠然とわかっていたことだったのかもしれない。私の心の中と私が見ている外の世界は繋がっているのだから嫌なことを嫌と想わないようにしようと思っても折に触れてふつふつと湧き起る悪感情と想念をどうすることも出来ない。暴れ馬のような感情のコントロールが効かない、制御不能、どうすればいいんだ?自分が恐ろしかった。いかんともしがたい状況を何がなんでも何とかしなければならなかった。戻るわけにはいかないのだ。自分の中をじっくりと眺め見つめていくと、それは縁に触れて海底の砂の中から涌き出てくる小さな気泡が少しずつ大きくなり海面ではじけるのに似ていた。海底の砂の中が問題なのだ、すなわち私の心の奥底が問題なのだ。そこをきれいにしなければ…でもどうやって?占星術の本に載っていた「瞑想」という言葉を思い出していた。また、様々な本の中でも見え隠れしていた「瞑想」という言葉が私の中で大きく響いたようだった。

~ 夢 ~
 寺院を取り囲むようにして長い塀があった。塀越しに見える木々は実と花を一緒につけているのだった。正面から見ると何と一本一本の木を大勢の人達が囲み輪を作って廻っていた。その人達は亡くなった人達らしく私の父の姿もあった。奥には本堂があって扉の手前には経机があった。その経机の上のお経の巻物を私が手にとって逃げるという夢。




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