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【 自叙伝 】自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅

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自叙伝を綴ろうと思ったそもそもの動機は、うまく通じ合えない両親に対し、如何に私自身の「心の風景」を伝えるか…と言うただその一点だった。当初は手紙程度で納めようと考えていたものが、… もっと読む
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#店長

(1-1)初めての高野山【 45歳の自叙伝 2016 】

初めての高野山  初めて高野山を訪れたのは湾岸戦争のあった19歳の九月だった。当時バイト先で嫌な事があって一人で十日間ほど紀伊半島を旅していた時だった。  橋本の駅舎で野宿をし、朝一番の電車で高野山を目指す。まぁ、せっかく近くに寄ったのだから、母が常々口にする高野山と奥の院を見てみよう…と、深い動機もなくほとんどが観光気分だった。  南海の各駅停車は霧に包まれ、急な勾配とカーブをキュルキュルと車輪を鳴らして上って行った。ケーブルカーで高野山駅に着く頃にはだんだんとその

(3-8)店長の日々② 挫折【 45歳の自叙伝 2016 】

駅ビルの大型店舗  百貨店の地下にあった欧風料理の店 での勤務も一年近くになった頃、再び異動の命令が下った。次は新宿駅の駅ビルにある、100席を超える客席を有した、予算月商 1500万円近くになる、社内でも指折りの大きな店舗だった。この駅ビルの店はイタリア料理を出していたが、既に開店して三年目となっており、なんとその開店以来、毎月売上が落ち続けていた。この店は売上の回復が急務であり、早急なテコ入れを会社は要求しているとのことだった。  しかし、この店に異動して最初の月末に

(3-7)店長の日々① 駆け出し【 45歳の自叙伝 2016 】

ある充実  店長になった新宿NSビル店に勤務していた時に、私は結婚をして杉並に引越しをした。その年の暮れには娘も誕生した。営団地下鉄丸の内線の新高円寺駅と西新宿駅を往復する日々、家に帰ると小さな寝顔が本当に愛おしく映った。通勤にあって高層ビルの谷間を歩いていると、その空はやけに高く、清々しく感じた。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 満を持した異動  そしていつしか新宿NSビル店に来てから二年が経とうとしていた。自分で言うのも何だが、この間、店としては良い仕上がり具合になっ