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「ほむらちゃん現象」と呼びたい


自分だけが覚えていて、周りの人が忘れている記憶ってありませんか。

私は結構記憶力が良くて、特に、どうでもいい事として周りの人達が脳内から捨てていく出来事への記憶力がずば抜けているので、周囲の人が忘れ去ってしまっても、私だけが覚えていて、「そんなことあったっけ?」と言われることが多々あります。


例えばこんな記憶です。

高校の頃に生物を教えてくれた先生は、白衣を着た、白髪混じりの物静かな先生でした。彼は淡々と単語の解説を板書で重ねていく授業形式をとっていて、穏やかさも相まって、色んな生徒の眠気を誘っていました。授業中に前列で寝ている生徒なんかも少なくありませんでした。
そんな先生が、唯一授業で爆笑をとった単語が「マトリックス」でした。
​​──マトリックス。みんなの脳裏に浮かんだのは、生物用語ではなく、黒ずくめのおじさんがスローモーションで銃弾を避けるあの映画に違いありません。なんなら私はBGMも脳内で流れました。当時の私達からしたら、ハードなイメージのSFアクション映画が生物の先生の口から発されることがきっと驚きだったのです。ギャップ以外の何物でもない。寝ている生徒が何事かと起きるほどの笑いの波が教室に起こりました。
以降、私の中で「マトリックス」と聞く度にその思い出が反復されるほど印象的な思い出となりました。ちなみに生物用語のマトリックスの意味はもう覚えていません。先生ごめんなさい。

そして先日、高校で同じクラスだったAと植物園に行った時、「マトリックス」の話をしたら、Aは全く覚えていませんでした。もしかしたらその時Aが寝ていた可能性もありますが、私は思い出話を共有出来ない寂しさを一瞬感じました。


友人Aについてはもう1つ、思い出を共有できない瞬間がありました。
学校が早く終わった日に、「マクドナルドに寄っておやつを食べながら延々と花札をする会」を何度か敢行していたのですが、数年前に懐かしのマクドナルドを通りかかった時、「ここで花札よくやったよね」と何気なしに言ったら、「え?…やったっけ、」と怪訝そうに返されてしまったのでした。そんな。何回も遊んだはずなのに。もしかして、これは私のイマジナリー記憶なのか?幻想かもしれない。私は自分の記憶を一瞬疑いかけました。

が、少ししてから、「ああ、確かに!やってたね、懐かしい!」とAは思い出してくれたので、一瞬感じた孤独感は霧散しました。


こんな風に、家族や友人から「そんなことあったっけ?」を聞く度に、自分だけが覚えている空間に取り残されたような寂寥感を少し覚えます。


(以下、アニメ まどマギのネタバレ注意)
そんな瞬間に出会う度に、アニメの「魔法少女まどか☆マギカ」の、最終回の暁美ほむらちゃんってこういう気持ちだったのかなあと思いを馳せます。

まどかの存在が概念となり、実在しなくなった世界で、時間を遡ることのできる自分だけがまどかを覚えている。そのうち、記憶を共有できない孤独感から、自分の記憶を疑い始める。規模は違えどプロセスは同じですよね。規模が違い過ぎておこがましい。ほむらファンから葬られそう。

おこがましいですが、最近は、私だけが覚えているこの現象が起こる度に「ほむらちゃん現象」と呼んで楽しむことにしました。なりきってみると楽しいものです。タイムリープ系のヒロインになった気分を味わえます。

皆さんも共有できない記憶があれば、是非「ほむらちゃん現象」と呼んでみてください。みんなでこの悲しいタイムリープを乗り越えましょう。



追記: 先日の自己紹介に、たくさんいいねを下さり、本当にありがとうございました。フォロワーさんも秒速で増えて、想像の100倍の反響に驚いているばかりです。1いいねつけば嬉しいな、くらいのテンション感でした。これからもマイペースに続けていきますので、楽しんでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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