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情と優しさ

ここ3ヶ月くらい、評価制度やキャリアパスなどを専務と考えている。

表は専務がつくってくれているのだけれど、やればやるほど専務からちょいちょい溜め息がでる。

ちょっと疲れ気味。

元々建設業の世界(私がいた世界)では、残業、早出、有給、賞与なんてものは無し。
国保も滞納、国民年金も払ってないなんてザラ。
自動車税も滞納。
自分で働いた分は、自分がもらってつかう。
35年前いたところは、8000円で25日働いたら20万くれていた。

当時は何も考えてなかったけど、今この立場になると恐ろしい…

それから住民税、社会保険、介護保険、雇用保険、所得税、など、色々控除されるようになった。
(これが当たり前です)

私たちのような手取り世代には、

『ケガと弁当自分持ち』

こんな言葉が当たり前で、むしろ自分の事は自分でやってるぜ!と、変に自信をもって良い言葉だと思っていた。(恥ずかしい…)

だからある程度の残業とか、遠い現場の行き帰りの時間は、ざっくり、どんぶり勘定、大目に見る、まあいいか、と、当たり前にやってきた。
それでどうにかなっていたし、普通だと思っていたから。

そんな手取り世代の私と専務が、きっちりとしたものを作れば作るほど、違和感しか生まれてこないし、溜め息しか出てこない。

そんな専務と話す。

でもさあ、これからは若い人の考えも変わるし、外国の人とかも雇っていかないとならないじゃん?
昔ながらのやり方では誰もウチに勤めてくれないし、こっちも堂々とやりたい。
だから、すべてクリアーにして、『ちゃんとした会社』にしていこうぜ。

有給使いたいって言ったらさ、

『いいねえ君!素晴らしいよ!』

って、心から言ってやろうぜ。

『現場までの移動時間は給料ですよね?』

って言われたら、

『当たり前じゃないか!それも君の人生の時間なんだから、いつもありがとう!』

って、言えるようにしようぜ。

と。

専務は首を斜めにして、うーむ。って聞いている。
昭和の私たちには無理がある、きっとすごい顔でひきつりながら言うんだろうな…

でもそれを笑って笑顔で爽やかに言える会社にしたい。

しようと思う。

周りでは、外国人実習生を雇っているところも多く、外国人はお金にシビアだ、ケチだ、ちゃんとしている、決まった時間しか働かない。と、言う声をたくさん聞く。

でもそれはきっと、自分の時間=命、を、使って働いているのだから、当たり前の主張だと思う。命をかけて生きるタメに働いているのだから。

以前ベトナムに行った時、みんな生きるタメに働いてるな、必死だな、と感じた。

路上で食べ物を売る小学生、たまに出てきて売り上げを持っていく親、夜の街で灯油を口に入れて火を吹く子どもたち、みんな生きるタメに必死だ。

だから1分でも働いた分はお金にしたい、働いた時間のお金は、自分の命と引き換えに手に入れたものだから。

そう考えると、ケチでも細かいわけでもなく、日本の労働基準法に則って、正しい事を言っているだけなのだと思った。

外国の方がケチなのではなくて、日本人が甘やかされていて、情にながされまあいいかと諦めているだけなのだ。

まあいいか、で、済んでしまう安全で甘やかされた国だからなのかもしれない。

ケータイやネットが当たり前の今、小さな声が大きなものに届く時代になったと思う。
弊社がある成田空港近くは外国人労働者も多い。

だからこそこれからは、私たち建設業も、まあいいやではなく、働く側、雇う側にとってちゃんとした形を見せていかなくてはならない。

情や優しさは、日本の良いところ、美しさでもあるが、社会で生きていく為にはぬるい部分でもある。

次の時代にむけて、良いところや伝統を守りつつ、変えなければならない所は変えて行こう。

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