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ロボットに勝てるものは何か

保育士をめざす、娘に話した。

先生、教師、講師の違い。

ただ勉強を教えるだけならAIでもロボットでもできそうな気がする。

そんな時代が来た時に、人間として教えられるものは何か?生身の先生として何が出来るだろうか?

それを仲間と話し合ってみたらどうかな?と、

私は小学校の時、クラスで1人だけトマトが食べられなかった。

放課後皆が帰った教室で、一人トマトと睨めっこ。

食べ終わるまで帰れない、ムニュムニュの部分が苦手で吐きそうになる。むしろ吐く。

それでも泣きながら食べた。

今ではニュースになったり、〇〇ハラとか言われて大変だろうけど、その記憶はハッキリと残っている。先生の名前も、その時の窓の外の風景も思い出せる。

そのおかげで、食べ物の大切さ、生産者さんの苦労、〇〇先生が伝えたかった事をいまではわかるようになった。本当に感謝している。

じゃあもしも、今の時代に、

そうなった時、ロボット保育士さんはトマトを食べさせるだろうか?

生身の保育士さんは、世間に叩かれてでもトマトを食べさせるだろうか?

それをみんなで考えてみたら?と。

時にはルールを破ってでも伝えなきゃならない大切な事がある。それを後押ししてくれるのは、それにかける情熱と愛。

それが生身の人間のメリットなのか、デメリットなのか。

それすらもプログラムされてしまった時、私たちは、保育士さんは、職人は、何で自身の意義を見出すのか?

そこも迫られているし、時間もない気がする。



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