見出し画像

官僚方士と美しき宦官の事件簿 第4話

四 董玉環(とうぎょくかん)
 冏と二人で水を飲んで待っていると、少しして扉の向こうから広の声がした。私が入室を促すと、茶杯の乗った盆を手にした広ともう一人、見知らぬ女性が入って来る。
 女性は結い上げた長い黒髪を二つに分けて輪を作り、半透明の硝子玉をあしらった笄を差していた。すらりと背が高い瘦身に、毒花を思わせる紫の襦と裙を纏っている。金英に舞を教えていたということだが、この長い手足で舞えば、さぞ映えることだろう。年は三十代半ば程で、ただそこにいるだけで場が華やぐような美女だ。いかにも気位が高そうに吊り上がった眉に、引き結ばれた唇。父親は高官だと聞いたことがあるが、育ちがいいだけあって、その所作は市井の女性とは明らかに違っていた。
 恐らく金英のことは耳に入っているだろうに、全く動揺しているようには見えない。金英のことなど、何とも思っていないのだろう。むしろ、金英の死を喜んでさえいるのかも知れなかった。
「お待たせしました。こちら、董玉環様です」
 広がそう玉環を紹介すると、私は立ち上がって冏と共に簡単な自己紹介をし、揖の挨拶をした。私が板独座を勧めると、玉環はどこか不機嫌そうな面持ちで、黙って腰を下ろす。私と冏が座り直したところで、広は玉環用の茶杯を几に置き、由が手を付けなかった茶杯を下げた。そうして広が静かに房間を出て行くと、私は玉環に視線を据えて切り出す。
「早速本題に入らせて頂きますが、金英様が亡くなったことはご存じですね?」
「ええ、聞いているわ。でも、それがどうかしたの?」
 玉環はやはり金英の生死には関心がないらしく、髪を弄りながら、気のない口調でそう答えた。
 私は顔が勝手に渋面を作りそうになるのを、辛うじて堪える。いくら親しくないとしても、知己の死に臨んでこの態度は、とても褒められたものではないだろう。できることなら、私としては玉環とこれ以上言葉を交わしたくはなかったが、仕事である以上、そういう訳にも行かなかった。
 私は自分自身に何度も「これは仕事」と言い聞かせると、極力表情を動かさないようにして言う。
「大変申し上げ難いのですが、私共は金英様の周囲にいる何者かが、恨みや憎しみからあの方の命を奪った可能性を排除していません。玉環様は金英様に対して風当たりが強かったというお話を伺いましたが、金英様に辛く当たられていた理由は何だったのでしょうか?」
「理由なんて、決まってるでしょ。あの女が卑しい楽戸だからよ」
 玉環は口にすることさえ汚らわしいと言わんばかりに、長い袖口で口元を覆ってそう答えた。
 楽戸とは、歌や演奏、舞などの芸能に従事する、平民より低い身分に置かれた賤民と呼ばれる人々のことだ。私は玉環の口にした理由に共感はできなかったが、納得はした。楽戸に対して玉環のような態度を取る者は、そう珍しくもない。
「金英様が亡くなって、さぞ清々なさったことでしょうね」
 私は冷ややかにそう言うと、玉環の反応を窺った。玉環は狼狽えるでもなく、きっと眦を吊り上げて言う。
「私が、あの女を手に掛けたって言うの? やってもいない罪で裁かれるなんて、冗談じゃないわ」
 仮に金英を殺していないというのが本当だったとしても、自分の手を汚さず、誰かに金英を殺させた可能性は否定できなかった。
 私は冏が静かに筆を動かすのを横目に、玉環に言う。
「お気を悪くされたのであれば、謝罪致します。ですが、私共の役目は金英様の死の真相を突き止めることですので、もう少しだけお付き合い下さい」
 私は一旦言葉を切ると、次の質問を投げてみた。
「金英様を殺したのが鬼ではなく人だとしたら、金英様に恨みを抱いている人物に心当たりはございませんか?」
「さあ、知らないわ。あの女が誰と付き合っているかなんて、興味もないし」
 玉環はいかにも投げやりな口調で、そう答えた。
 予想はしていたので、私は特に落胆するでもなく、次の質問を口にする。
「では、どなたか金英様の交友関係についてご存じの方に、心当たりはありませんか?」
「姫春燕(きしゅんえん)様に徐奉仙(じょほうせん)、李智蕭(りちしょう)。みんなあの女と一緒に私に舞を習っていたから、多分何か知っているんじゃないかしら」
 玉環は相変わらず素っ気ない口調ではあったが、三人の名前を教えてくれた。聞き覚えのある姓からして、春燕は恐らく貴族なのだろう。後宮には身分に関係なく、容姿や芸事に秀でた者が集められているので、金英のような賤民から貴族までいた。
「もういいでしょう?」
 そう訊いてきた玉環の声には、明らかな苛立ちがあったが、玉環にはまだ聞きたいことがある。
「申し訳ありませんが、もう少しご辛抱下さい。金英様を閉じ込めた後、昨晩は何をしていらっしゃいましたか?」
「大広間で食事を済ませてから、房間に戻ったわ。朝の鐘が鳴って、しばらくして宦官が扉を叩いて起こしに来るまで、ずっと一人で寝ていたわよ」
 玉環は、険のある口調でそう答えた。
 朝の鐘が鳴ったら、すぐに起き出す宦官達とは異なり、宮妓は高い身分を与えられているだけあって、ゆっくり寝られるらしい。
「寝ていらしたというお話ですが、どなたかご一緒ではなかったですか?」
 後宮の女性の中には、宦官や宮女と枕を共にする者もいると聞く。だが、玉環は棘を増した声で答えた。
「何度も同じことを言わせないで。私は、一人で寝ていたのよ」
 玉環はあくまでそう主張したが、何の証拠もなしにその証言を信じることはできなかった。
 玉環の房間の近くで寝起きしている人物から、玉環の証言の裏付けが取れるだろうか。金英が殺されたのは朝方と思われるので、玉環がその頃房間を抜け出したことがわかれば、嫌疑をかけるに十分な理由となるのだが。
「朝起きてからはどうされていましたか? 何か、変わったことはなかったでしょうか?」
「別にいつも通りだったわよ。身支度を済ませてから、大広間へ行って朝餉を済ませたわ。まだ何か訊きたいことがあるの?」
 私は玉環の声の中で膨れてゆく怒気を、確かに感じ取った。だがせっかく手掛かりになりそうな情報が出てきたのだから、ここで引き下がる手はないだろう。
 私は素知らぬ顔で、質問を続けた。
「大広間に行かれた時、先程お名前が出たお三方はもう来ていらっしゃいましたか?」
「春燕様は私より先にいらしていたけど、奉仙は私より少し後に来たわね。智蕭はだらしないところがあって、大概遅く来るから、昨日も随分遅れて来たわ」
 ということは、春燕と智蕭の証言を突き合わせれば、少なくとも玉環が朝餉の時間に大広間にいたことは確認できそうだ。
 私は黙々と玉環の証言を書き留める冏を横目に、次の質問をぶつけてみた。
「金英様が亡くなったという知らせを受けたのは、いつでしたか?」
「丁度、朝餉が終わる頃だったわね。朝餉が済んだら、楽器保管庫を管理している宦官に、鍵を開けるように言うつもりだったけど、その前に宦官が来て、あの女が死んだって聞かされたの。たかが賤民の一人くらい、死んでもどうってことないし、そもそもあの女は鬼に殺されたんでしょう? こんな話してても、時間の無駄じゃなくって?」
 玉環は、心底下らないと言わんばかりの口調でそう言った。
 由の名前すら覚えていないのか、由のことを「宦官」としか呼ばない玉環の不遜さには、本当にうんざりする。大喝してやりたい衝動に駆られたが、しかし私は喧嘩をするためにここに来た訳ではなかった。
 私は礼を失することがないように気を付けながら、静かに筆を動かす冏に視線を流すと、確認する。
「まだ何か、訊いておいた方がいいと思うことはある?」
 冏は静かに筆を置くと、顔を上げて玉環を見た。
「畏れながら、お尋ね致します。春燕様達に夜を共に過ごされるようなお相手はいらっしゃるか、ご存じでしょうか?」
 夜間に誰かと一緒だったとしても、二人で口裏を合わせて罪を逃れようとする可能性もあるが、できる限り証言の裏付けを取るに越したことはなかった。
 私が冏から玉環に視線を移すと、玉環は突き放すように言う。
「さあね。特にそういう噂は聞いたことがないけど? 私は、あの子達と親しい訳じゃないから」
 つんとそっぽを向いた玉環を見て、私は潮時だなと思った。訊くべきことは粗方訊けたし、これ以上続ける必要もないだろう。
「お手間を取らせて、申し訳ございませんでした。もうお帰り頂いて結構です。私達が金英様の死について調査をしていることは、どうぞご内密に」
 私がそう言うと、玉環は無言で立ち上がった。

 玉環が房間を後にして、冏が筆を置くと、私は溜め息交じりに言った。
「……何て言うか、『傲慢』って言葉が人の形をしてるみたいな感じの人だったわね。あの人の舞や演奏で、楽しめる人の気が知れないわ」
 そんな言葉が、つい私の口を突いて出た。言ってしまってから、醜い行いをしたことに気付いて口元を押さえると、私は少々気まずい思いをしながら言う。
「……失言だったわ。悪口なんて聞かされても、嫌な気持ちになるだけよね。ごめんなさい。今のは、聞かなかったことにして」
「どうぞお気遣いなく。あの程度は、悪口には入りません」
 冏は正面に向けていた面を、わずかに私の方へ向けてそう言った。相変わらず冏の表情はほとんど動くことはなかったが、目元がほんの少しだけ柔らかさを帯びた気がする。
 冏なりに気を遣ってくれているのだろうと思いながら、私は話を変えた。
「ねえ、冏は玉環様が下手人だと思う?」
「あの方が金英様を虐め殺してしまったとしても驚きませんが、今のところはあの方が金英様を殺したと断じるに足る根拠に乏しいと思われます。楽器保管庫には争った形跡はありませんでしたが、普通は正面から刺されそうになれば、抵抗するものでしょう。金英様が縛られたままだったとしたら、玉環様お一人でも容易に殺せたと思いますが、女性である玉環様が抵抗する金英様を縛り上げるのは難しい筈です。玉環様が金英様の死に関わっていたとしても、お一人で金英様を殺せたとは思えません」
 冏が理路整然とそう自説を述べると、私は小さく頷いた。
「そうね。毒でも使えば話は別だけど、腕力のない女性が人殺しをするのは、簡単じゃないもの。玉環様が犯人なら、共犯がいたと考えた方が良さそうだわ。もしかしたら、その共犯が茜門の門番達なのかも」
 玉環が由に金を渡して鍵を開けさせ、門番達にも同じように金を渡して金英を殺させたとしたら、あの状況を作り出すことはできそうだ。だが玉環が以前から虐げていた金英を、急に殺そうと思い立ったというのは、些か不自然な気もした。玉環は金英に何か都合の悪い事実を知られてしまい、金英の口を塞ごうとしたと考えれば辻褄は合うが、これは最早妄想に近い推測だろう。
「ここでこれ以上話し合ってても、仕方なさそうね。次は、春燕様からお話を聞きたいわ」
「畏まりました」
 冏は立ち上がると、扉を開けて広を呼んだ。

   第3話                    第5話


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?