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PTA本部役員に嫌われて、やれやれな話

自治会活動を1回休んだら、『役員を一切やらない人』として有名になりました。

Day20これまでで1番の後悔
いしかわゆき著『書く習慣』より
(1ヶ月チャレンジ)

自治会祭りを休んだことを後悔しました。とても外に出て人と関われる状態ではなかったから休んだのですが、その後、現在に至るまで、いやなおもいをたびたびすることになります。

近所の近井ちかいさん(仮)に無視されます。近所の人なので、ときどき会ってしまいます。めんどくさ。自治会祭り行っちゃえばよかったわ。

そのとき私は弱っていました。そんな時期に自治会の祭りがあったので、休むことにしたのです。

黙って行かない選択肢もありましたが、いっしょに役員になっていた近井さんに、「申しわけないのですがお休みします」と挨拶にうががいました。玄関に出てくれた旦那さんに、お仏壇に上がっていた戴きいただ物の菓子折りを渡しました。

理由は話さなかったのですが、旦那さんは「わかりました」と受け取って、その場はそれだけでした。

翌年、長女の小学校が始まりました。近所の小学生のお母さんたちに、「おはようございます」「こんにちは」と声をかけても、返してもらえません。聞こえなかったのかな、お母さんたちは関わり合わない文化なのかなと最初はおもいました。

近井さんはPTA本部役員でした。本部は月に一度集まります。『近所の小学生のお母さんたち』も本部役員だったのがわかったのは、学校から配布されたPTA総会資料をみたとき。

どうやら、意図的に無視されている様子。
いやな気持ちになりました。

長女5年生のとき、広報役員に立候補しました。なんとなく、まわりが驚いていたのは感じましたが、なんせ話せる人がいないので、その場はそれだけ。

翌年、学年委員になりました。学年の人数が少なくて、役員をしていない人も、もういなくて、場の空気が凍りついていたので立候補しました。

役員1回は人権獲得のために必須でした。そして役員2 回目をするのは少数派です。子どもが4年生までに役員をするのが流行はやっていて、役員の取り合いジャンケンになりました。5,6年生になると成り手が急にいなくなります。

会話をしたことのないクラスの人々からあからさまに驚かれて「役員しない人って聞いていたから」と言われました。『聞いていた』そこでやっと、近井さんが本部役員会で私の名前を要注意人物として挙げていたことを知りました。めんどくさ。

4年生までに役員ジャンケンに参加しなかったのも、『役員をしない人』としての裏付けになっていました。4年生までに率先して役員をしてきた人たちで情報が共有されます。

確かに自治会祭りは休んだけれど、翌年に自治会班長をしているし、小学校役員は2回やって、なんなら、その後、中学の本部もしたし、自治会子ども会もしたし、昨年は小学校の本部をしていました。

みなさん、『あの人は役員しない人』といううわさをきいて、『あの人=私』に挨拶しない、されても返さないというソフトリンチしてくれたのですか?

なんせママ友というのがいないので、お茶飲み話にしたこともなく、夫以外このことをだれも知らないのです。

自治会祭り行っちゃえばよかったわ。それか、行けない理由をちゃんと話せば良かったのでしょうか。今でもちゃんと説明できないそれを。

無  理


余談ですが、別件で同学年男子のお母さんグループからも無視されていました。やれやれ。


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