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「関心がある」ことと「今読みたい」は別

普段使っている端末がアルゴリズムに侵蝕されており辟易している。検索したものやたまたま流れてきて閲覧したものをことごとく拾って、「こういうの興味あるでしょ!」と言わんばかりにありとあらゆる場面でサジェストしてくる。広告表示やニュースの表示が本当にそればかりになり、間違っちゃいないんだけどそういうことじゃないんだよ、と言いたくなる。

要するに私が接触した情報たちに基づいてそうなっているのだが、情報へ接触した経緯や接触の仕方は実にさまざまである。必要に迫られて、純粋に興味を持って、何かを購入しようとして、今必要ではないけど今後必要になるかもしれなくて。自ら触れたものもあれば、SNSでたまたま流れてきたものもあるし、それこそサジェストされるので流れに乗って触れたものもある。情報との距離感や関係性はそれぞれで違うのに、マーケティングのアルゴリズム的にはすべてが「今まさに関心がある」と捉えられてしまう。確かに関心があることにはなるのだろうけれど、そのことと「今すぐそのことについて読みたい!」ということは違うのである。

むしろ、自分の関心の範囲では辿り着かないような情報に触れて、結果的にああ読んでよかった、と思ったときこそ、満足感が得られる。あるいは、今はやらなければいけないことがあるからこそ、端末を開くときには全く別のことを考えたい、というときもある。そういう、人間の矛盾しているけれど実際に存在する感情や、平たい言い方になってしまうけれど情報の多様性みたいなものを、どうか壊さないでほしい、と思う。迫り来るアルゴリズムに押し潰されそうになりながら、ああなんか、求めてたのってこういうことじゃないんだけどな、と思っている。

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