ソーシキ博士さんの個展「モーニングルーティン」を拝見して

ソーシキ博士さんというアニメーション作家の初個展がyoutubeで配信されていて、(本来であれば大阪のシカクさんというギャラリーでの展示のはずだったようです。)拝見したところ素晴らしく美しくて、バシッと何かが降ってきたので感想を兼ねて創作をしました。個展は4/30から再開、5/10までam7:00からpm7:00までyoutubeで配信されます。絶え間無く変化する美しい祈りの場を皆様も是非に。

「祭壇」

敬愛するソーシキ博士とそのアートワークスへ

それはもう何錠目の睡眠薬か知ったことではなかった。
「就寝前に一日一錠、アルコールは控えてください。」という薬剤師の注意書を無視し、俺は追加の錠剤二つを氷が溶け薄まったウィスキーで流し込む。もう一度横になる気分にはならなかったが、直に薬が強制的にそうさせてくれるだろう、という何度目かの期待をした。どこかで鳴くカラスが告げるのは真夜中か、夜明けか。あと数時間後には出社し、いつも通り無茶苦茶に仕事をしているだろう。だがしかし現時点でこんな状況だ。午前中は仕事にならないだろう。出社できるかどうかも分からない。第一、こんな睡眠薬の飲み方をしている。もしかしたら死んでいるかもしれないが、もはや自らの生死すらどうでもよかった。俺は新入社員の俺と交わした、時間だけは絶対に守る、という固い約束をいとも容易く破り捨てようとしていた。もうすべてどうにでもなってしまえ。馬鹿な上司も、やたら当たりの強い職場の人間も、仕事も、すぐ営業にクレームを入れる客先も、社会も、その社会のなかですっかりへそのねじ曲がってしまった俺自身も、一切合切、夜の中へ吸い込まれて二度と日の目を見られなくなればいい。

大切な人たちのことが頭の中を通りすがりもしなかったことが不思議だった。

いつの間にか眠っていたようだった。頭ははっきりしないが、習慣で携帯の時計を確認する。いつもならでかでかと時間が表示されるが、そのときは違っていた。

まだ暗い部屋に浮かび上がったのは、俺の殺風景な部屋にとても似合わないパステルカラーの色彩だった。線――物体と物体を分断するような明確な境界はなく、幼いころ、画用紙に好きな色紙をひたすらに張り合わせて作った図画工作の課題のようだった。淡い空色の中にオレンジ色の真ん丸がぽっかり浮かんでおり、地面には白い小さな花がいくつも咲いている。たぶんぺんぺん草だろうな、とそれまで思い出そうともしなかったものの名前を思い出した。中央にはモスグリーンや柔らかな紫、ほとんど白に近い桃色の四角が積みあがった棚があり、一つだけ扉が開いていて、小さなモノが佇んでいた。明らかに水色であるはずなのに、それは透明なガラスの像であると思われた。しばらくの間、その小さな像に見入ってしまった。大量の細い線がその棚の足下に立っているのが気になった。よく見るとそれは細やかな火の灯された小さなろうそくたちだった。何かが動いている、と思えばサーモン色の魚たちが画面を横切っていた。じっと見ていると白い大きな、目と口はある何かがそっと現れ、やがて消えていった。それはかすかに呼吸をしているようだった。鍾乳洞の中で岩から水が滴り落ちるような、静かな音楽が流れていた。

俺はすっかり目が覚めていたが、これは一体何なのかと考えもしなかった。代わりに、この突如画面に現れた世界が何かに似ており、それを思い出そうと必死になっていた。明らかに、何かに似ていた。かつて俺が好んでよく訪れていた、しかしいつの間にか生活に足を捕られ全く忘れていた、何か。

それは実家の近所の小さな神社の神殿を覗いたときの、
修学旅行で訪れた、京都の寺院で街の喧騒から切り離されたときの、
インドの黄金院で、強い日差しの下、敬虔な信者たちがこうべを垂れる姿を目の当たりにしたときの、
留学中に訪れた、ウェストミンスター寺院の荘厳さに呼吸を奪われたときの――

それは祈りのために設えられた世界だった。足を踏み入れた時の緊張を、あふれんばかりの慈愛で以って徐々に和らげていく。ただ目の前に広がるものは精神を洗う美しさばかりで、内側から自身を満たしていく平穏。その場を去る時に与えられるものは、再生したという錯覚。しかしその錯覚も、救い以外の何物でもない。

とうとう祭壇が、信仰心の薄れた俺のところまで向こうさんからいらっしゃった。信じられない出来事ではあるが実際目の前でこうして起こっている。いったいどこのどなた様なのか全く存じ上げないが、わざわざご足労頂いておいて、何もしないのは罰当たりにもほどがある。さて、何を祈ろうか。不労所得が欲しいだの、疲れを知らない心身が欲しいだの、そんな薄汚れた欲望はランプの魔人にでも頼むべきことであって、この親切でさりげない神に祈るべきことではない。

祈りの作法は知らなかったので、俺はこの時間が一瞬でも長く続くように、と願いを込めて静かに目を閉じた。

ソーシキ博士 バーチャル個展「モーニング・ルーティン」を観て。

                                 シガツハツカ

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