言葉の役割
日本語を操って日本社会で生きていく時に「言葉にするなんて野暮。」「言わぬが花」「言葉にすると嘘っぽくなる。」という経験がついてまわります。
結婚したら、相手と意見が合わず喧嘩をすることって当然あると思います。結婚当初、初めて大きな喧嘩をして私が意見を交換し何か改善点があるか話し合おうとした時旦那が放った言葉は「いちいち言わなきゃ分かんないような人と一緒にいるのが面倒臭い」でした。
エスパー希望か!!
と心の中でツッコミましたが、これって、日本人の本音だろうなと思いました。こう思っている人だらけだと思います。暗黙の了解システムを苦手とする私ですら、言葉にしなくても分かっちゃう、先回りして行動できちゃう、もしくはさッと身を引く事の出来る人を見ると「すごいー!なんて素敵な人なんだ!」って思いますもの。そういう人が素晴らしい人だと思うような思考回路なんです。
英語を勉強していると、相手へのアプローチの仕方にグッとなることがあります。相手が素敵なシャツを着てたら、日本だったら「素敵なシャツね!」となります。それを英語に訳そうとすると日本人的な感覚だと
Your shirt is beautiful!
になると思います。シャツを褒めるんですよね。意味は通じますし、こういう風に表現する欧米人もいるとは思いますが、おそらくこちらの表現の方が圧倒的に多いでしょう。
I love your shirt!
「私、あなたのシャツ大好きよ!」
言葉上の相手との距離が近い。シャツを褒めるというより、シャツを着ているあなたごと愛してる、みたいな。
私は昭和の日本人ですし、英語は勉強していますが、欧米人との方が気が合う!って訳でもないです。疲れることの方が多いです。でも、相手への思いをきちんと言葉にして伝えるという思考回路というか言語の使い方は、とても素晴らしいと思います。日本人の「慮っても言葉にしないという美徳」はそれがきちんと通じた場合は震えるほど感動!!するのですが、残念ながら伝わらずにお互い疑心暗鬼になることの方が多いと感じるんです。
日本も、そろそろ成熟した社会として、言葉にして伝える技術が浸透しても良さそうなものですけどね、欧米風の表現方法を日本語にした途端、なんか変!と感じちゃうんですよね。私達の血に流れる遺伝情報がそれを許さないのか?なんて思ってしまいます。もう少し世代が下り、思考や人種がミックスしていったら、この「変」な感覚が無くなるのかな。
私が生きている間には無理ですね。恐らく。なので、周りからは「?」と思われながらそれでも「言葉にする」というチャレンジを続けていこうと思います。
私の場合、相手や状況の空気を読む、という才能がありませんからね。言葉にする技術を磨いていくしかありません。空気を読む技術を磨く気には全くなりませんしね!