地平線(小説)⑨

空がゴロゴロと唸り始めたので、尚香と碧がテキパキとコンロや道具などバーベキューセットを片付け、真夏は急いで残りの食材や飲み物を避難させたり、パラソルやレジャーシートを畳み二人の指示した場所に戻した。

もわっとした雨降る前の空気に包まれながら、子どもたちも「雷落ちる〜!」と騒ぎ、家の中へそれぞれ入っていった。 

「あーあ、天気予報はずれちゃったね。」と誰かが言う。
「バーベキュー終わった後でよかったね。」なんて口々に話していた。
雷鳴を怖がることもなく興味深々に窓の外を眺める子どもたち、お絵描きを始める子どもたち。しばらくすると、ものすごい勢いで雨が降り出した。
雨は大粒の雫で、まるでそれまでの生暖かい空気を一掃するかのように、ボトボトと音を立てた。

少し離れた遊具入れの軒下では尚香がIQOSを取り出し、「ふぅ」と一服している姿が見える。タンクトップに、ジーンズ、ゆるゆると大きめなサマーニットのカーディガンを羽織った尚香は一見楽チンなファッションなのに大人っぽくて色気がある。 真夏は束の間、雨に髪を濡らしながら尚香の方へ駆け寄ると、それに気づいた尚香が
「まなっちゃん、今日もありがとうね」と、微笑んだ。 

二人は軒下でしゃがみながら、しばし雨宿りをした。
「碧くんいい子でしょう。あれで23歳なんだって。しっかりしてるよね。あ、もちろんまなっちゃんとえっちゃんも。」焦って付け足したかのような尚香がおかしくて、なんだか可愛かった。「確か2人も同じくらいだよね?」
尚香が美味しそうにIQOSを吸っている。
「私たちは24歳だから碧くんの一個上ですね。」
「そうだそうだ。私ね、昔美容師してたでしょ?でも、どうしても絵を描きたい時期があって、美容師をお休みした期間があったんだ。ちょうどまなっちゃんたちと同じ頃かな。」真夏は雨を眺める尚香の横顔を見た。湿度の濃い匂いとバーベキューの灰の香りに混ざり、IQOS独特の匂いが立ち込めている。
「尚香さんも絵を描かれてたんですね。美容師をお休みしてる期間どうしてたんですか?」
「その間、絵を描きまくって、一度幼馴染と個展も開いたの。でも結局また美容師に戻ったんだ。そしたら、アレルギーがでちゃって、美容師の道を諦めたの。実家がもともと小料理屋でね、昔から料理も好きだったから、今度は調理師の資格取ったんだ。」
サラッと尚香はいつもかっこいいことを言う。

吸い終わったIQOSをケータイ灰皿に仕舞うと、尚香は真夏を見た。
「私もね、最近この場所を知ったのね。かげるさんに子どもたちの出張美容師になってくれないかって言われて。それで3回くらい、カフェの定休日の日に、子どもたちの髪を切りに来たの。」
「そうだったんですね!」と真夏は頷いた。
「かげるさんは、えっちゃんの家の大家さんだと思ってた・・・。」
真夏がそう言うと、「一応、ここの施設長は他にいて、かげるさんは、このお家をプレゼントした人なんだって。今日は施設長は夏休みだけど。」 

えぇっと驚く真夏。
「あそこの、ツリーハウスは、かげるさんと、そのお仲間さん達、碧くんで作ったんだって。」
「わぁ、すごいですね。」
真夏は今日1日の情報量が凄すぎて、頭を整理しながら聞くのでやっとだった。
えっちゃんの事、さっきの事聞きたい。なぜ、尚香はあんな言葉を言ったのだろう。やっぱり聞こう。

 「尚香さん、なんでえっちゃんは何も聞いてこないってわかるんですか?」
一呼吸おいて尚香がうつむいて言った。
「ほら、誰だって大勢と話したくない時期ってあるじゃない?一人になりたいっていうか、心のお休み期間っていうか。無理させたら悪いかなって。」
真夏はそんなもんか、と思って、「確かにな」と受け止める事にした。
「真夏ちゃーん、アイス食べる?」
二階のデッキから、れおながひょこっと身を乗り出して手を振っている。それを落ちないように今度は碧が抑えていた。
「れおちゃんのご指名よ。れおちゃん、一人っこでずっとお姉ちゃんが欲しかったんだって。すっかりまなっちゃんのことお気に入りだね。」
「ハーイ、今行くね。」
真夏は笑顔で手を振り返した。
「れおちゃーん、なおちゃんの分は?」
「なおちゃんの分もあるよー!」 

「ヘックション!」尚香が一つ大きなくしゃみをすると、
「よし、行くか!」重たそうに腰を上げた。

 棒アイスは色とりどり、好きなものを選べた。リビングにいた碧がアイスの箱を差し出して、尚香は白、真夏は水色のアイスを選んだ。 

アイスを食べていると、
「真夏さん、遠いとこまで今日はありがとうね。帰りは尚ちゃんと一緒かな?」
かげるが声をかけてきた。
「また、良かったら遊びに来てくれないかな?子どもたちも喜ぶし。」
真夏は「また来ます。楽しかったです」と笑うと、かげるの口髭も静かに動いた。

 「ぜひ、またおいで」

 夕暮れの帰り道は、尚香と碧と一緒だった。碧は来る時に乗ってきた黒い自転車を押しながら、三人はゆっくりと駅の方へと向かって歩いた。
雨は一瞬で通り過ぎた。雷の音も、風も今はもう止んでいる。

「碧くんてさ、あいくんなんて呼ばれてるんだね。」
真夏が言うと、「全く変なあだ名付けられちゃったもんだよなぁ。」
そう碧が言いつつも、その表情はどこかまんざらでもなさそうだった。 

「碧は青い色で、あいくんは藍色だね。」真夏が言うと、尚香と碧が顔を見合わせて、「確かに!」と言った。「いや哀愁の哀かもしれない。やっぱりラブの方かもしれない。」三人はたわいもない話で盛り上がった。
駅の手前にくると、
「じゃ、俺あっちだから。ここで失礼します。」と碧が立ち止まった。
「あいくん、この辺に住んでるの?」二人が聞くと、「もうちょっと離れたとこだけど、あっちの方」と指差して教えてくれた。

二人が碧に手を振ると、碧は今来た道を引き返すように自転車で走っていった。      

☆*KOKAGEの拙い文章にサポートしてくださる方へ*☆ いつもありがとうございます* 文章はまだまだですが、日々の日記が少しでも何かのあなたの発見につながれば幸いです。文章であなたに出会えたことに感謝いたします。