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地平線 (小説) ⑩

乗り慣れた黒い自転車。ずいぶん長い事メンテナンスしていない自転車はチェーンが緩んでいるせいかカタカタ異音がする。それでも気持ち急いで碧は、小石を巻き上げながら、来た道を漕ぎ続け走っていった。タイヤの方からカラカラ鳴る音を聞いたが、そんな事は気にしている場合ではなかった。とりあえず前に前に漕ぎ続ける。海からの帰り道か、ウエットスーツのままの人が、碧の自転車を避けながら迷惑そうに顔をしかめる。

 碧には一つどうしても確かめておきたい事があったのだ。 山の方へ漕ぎ、途中自転車を乗り捨てるようして、急いで坂を駆け上がっていく。 「やっぱり・・・」 石の階段の下には夕闇の中だというのに、やけにくっきりとして見える一人の男が横たわっていた。息を切らした碧に気づいて、うなだれた顔を上げた男は30代半ばくらいのように見えた。確かに、はっきりと覚えている。海辺で何度も碧が目にしてきたあの男だ。時々この辺を徘徊するように歩いている。 

碧は少しためらいながら、その酩酊した男に声をかけた。

「大丈夫ですか?」 男はアルコール臭を漂わせながら赤ら顔で、ボソッと一言放った。 「会いてぇなぁ」

 「え?」と聞き返す碧に、 ボロボロ涙を流しながら、その男はさらに大きな声で続けた。 「会いてぇって言ってんだよ。」 碧の心のざわつきに共鳴するかのように、一瞬の強い風が吹き抜け森の葉が大きく揺れた。 

「じゃあさ、会いに行けよ。いつまでもそうしてないで会いに行けばいいじゃん。」 その言葉はその男にとって酷なことはわかっていた。男は「会いに行けるもんならな。」と笑った。 碧はその男の、少し離れたところにしゃがみ、少しムッとして言った。 

「そんなに大切なものなら、なんで手放しちゃったんだよ。」 男は、目を赤く腫らして吐き棄てるかのように返す。 「俺には、それがその時最善だって思ったんだ。それしか方法が見つからなかったんだよ。許してくれ。」 その男が誰に許しを乞うているのか、碧にはさっぱりとわからなかった。ただ一つはっきりと言えることは、この男がこの世の者ではないということぐらいだった。 

「俺の大好きな婆ちゃんが昔言ってたんだけど・・・。会いたい人には会わないと、いつか後悔するって。」 「そんなこと誰でも知ってら。」男がふっと笑う。 男は、もう自分が生きていないことなど気づいていないかのように、その場で寝転びながら気持ちよさそうに酔いしれている。

 「じゃあ行くから」 碧が坂を下ろうとすると、 「待ってくれ。名前は?」 上半身を起こし、男が聞いてきた。 「碧だけど。」 「碧・・・。碧くん、一つ頼みがある。」 男が意を決したように言った。 

「この辺に住む、れおなって女の子にもし会ったら伝えてくれないか?父親が会いたがってるってことを。」 碧はしばらく男の顔を見つめる。

 「わかった。伝えといてやるよ。でも探すこと、諦めるなよ。もし、俺より早く見つけたなら、自分の口から自分の言葉で伝えるんだ。約束だよ。」 「わかった。ありがとう。」 男はそう頷くと、すっと夜の闇に消えていった。  

 また新しい1日が始まる。真夏は急いで出かける支度をして家を飛び出した。少し先に店に来ていた絵都が「おはよう」と真夏に笑顔で挨拶する。「おはよう」と挨拶を交わし店に入ろうとする真夏に絵都が興奮したように言った。 「ちょっと待って。真夏ちゃん、ここにセミ爆弾落ちてるよ。気をつけて。」 真夏が視線を落とすと、店先にはひっくり返ったセミがいた。鳴きもしない。生きているのか死んでいるのかさえわからないセミがじっと動かずにそこにいた。なんとなく夏の終わりのもの悲しさを感じる。 

絵都が箒で怯えながら、そばをサッと掃くと、ジジジジジと最後の力を振り絞るかのようにけたたましい音で鳴きながら飛ぶセミ。逃げ回る絵都の様子に、真夏は笑いをこらえることができなかった。

 お盆を迎えればもうすぐ秋になる。 着信音と共に送られてきた画像は、きゅうりと茄子に割り箸を差した、いびつな精霊馬だった。 「明日からお盆だから、迎え火焚いたよ。」という母のメッセージつきだ。その次に続けて、「そろそろ、真夏のカフェに行ってみようかしら。」というメッセージが表示された。  

「えっちゃんってさ、怖い体験とかある?」 仕事の休憩中、尚香お手製のまかない丼を食べながら、真夏は何気なく絵都に聞いた。 「私、怖い夢なら見た事あるよ。」絵都が真剣な面持ちでゆっくり話し始めた。

「あんまりにもリアルで・・・。起きてすぐ、夢か現実かわからないくらい、あれは恐かったね。」 店の隅で一服していた尚香も興味があったようで、会話に加わった。 「なになに、どんな夢?」二人が聞くと、サンドイッチを食べていた絵都の手が止まる。 

「子どもの頃の夢なんだけど・・・。夢の中で私はもう大人の私だった。大人になった私は、なぜか銀行で働く女性で、制服を着て窓口で受付をしていたのね。」

 「うんうん」二人は好奇心旺盛な目を絵都に向けた。 「真っ白で綺麗なだだっ広い銀行だった。そこに、突然覆面の男が3人入ってきて、大声で『おい、金を出せ!』って、隣の女性に大きな銃を突きつけたの。その女性は怯えながら、お金をカバンに詰め出して・・・。他の2人の男も、『手を挙げろ』って、いろんな人を脅し始めた。みんな言う通りにしていたのに、突然銃声が響いて。人がマシンガンで次々と撃ち殺されていった。」 真夏と尚香は「うっ」と唾を飲み込んだ。

 「私、その時怖くて震えて、ずるいってわかりながらも真っ先にデスクの下に隠れた。耳を押さえてそのままじっと時間が過ぎるのを待ったの。しばらく震えながらいると、だんだん物音がしなくなって、やっと外に出たのね。」 

「そしたら、銃で撃たれた人たちが横たわっていたの。そこで劇場のように、場面が変わって、私はいつの間にか暗い警察署の中にいた・・・。取調室のような場所で警察官に、見た事を一部始終話せって言われるの。私が話し終えると、一人の警官がこう言った。

『で、なんであなただけ生き残ったの?みんな死んだのに、あなただけ生きてるのはおかしいでしょ。あなたも本当はグルだったんじゃない?』って。」 真夏と尚香は不安げな表情でただ聞いている。絵都は話を続けた。 「また、場面が展開して、今度は真っ暗な部屋の中だった。私は冷たい椅子に座らせられ、手足を縛られて自由がきかない状態だったのね。なんとなく見上げると、頭上に大きな鎌のようなものがぶら下げられてユラユラ揺れているの。それが急に勢いよくここまで落ちてくるの。」 絵都は自分の真上に伸ばした手を、勢いよく首元まで下ろした。 「そこで私はガバッと起きたの。決定的なところを見る前に起きた。現実か夢なのか分からないまま、汗だくで、ただただ怖くて泣いてた。この夢が一番今までで怖くて忘れられない夢かな。」 

絵都が話し終えると、真夏と尚香は「こわっ」と、それぞれに顔を見合わせ、素直な感想を漏らした。「夢で本当に良かったね。」  

ちょうどその時、カランコロンと音がして、扉が開いた。「あれ?おかしいな。外に看板かけてたはず」今はランチタイム後の束の間、3人の休憩タイムだ。

 真夏が様子を見に行くと、入り口に腕組みをした一人の青年の姿が見えた。大きな銀の額縁に入れた絵画を眺めている。

 「へぇ、ここに絵を飾ってくれてるんだ。」 

そこには昨日真夏が知り合ったばかりの碧が佇んでいた。          

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