「正しさ」は存在するのか?

という問いを友人から受けた

私は存在すると思っている
けれども
みんなが思っているような深さではない

それを単なる「意見」としてしまえば
私たちは皆、浮かばれなくなってしまう

しかし、少数派がまだ言葉を得てないとき
言語化に至っていないとき
それが万人共通のものだとどのように訴えることができるのか?

私たちは、彼か我かの世界に生きている
彼我を超越するものがあると訴えようとしてきたが
結局それは新たな彼我にしか至っていない

真理を受け入れるには
私たちはまだあまりに幼すぎるのだろう

しかし
私たちは生きる道を見出ださなくてはならない
彼に殺されてきた自分を
復讐ではなく超越

ああ
「自分」を見つけるほどに
人生はこんなにもしんどい