小川洋子『博士の愛した数式』を読んで

終わりから10ページ前くらいだろうか。鼻につんと来るものがあって、頭の下に敷いていた羊の抱き枕まで涙のようなものが伝った。

この本は、80分しか記憶が残らない博士のもとで働く家政婦とその息子(頭のてっぺんが平らなので博士からルートと呼ばれていた)の3人で過ごした日々を描いた作品となっている。

"博士"はかつては数学博士であったが、ある時交通事故に巻き込まれ、脳に障害が残ったために、大学での勤務を辞めることになった。その後は、日々"ジャーナルオブ"に掲載されている数学の懸賞問題に取り組んでいる。

私がこの本を読んで感じたことは大きく2点だ。

1点目は、小川洋子の作品からは洋風の香りがするということだ。(名前にも"洋"が入っている。本名なのだろうか。)

博士や"ルート"は、阪神ファンであるが、なかなか最後までこの本の世界観と馴染まなかったと個人的に感じている。(数学と野球は繋がっているようでかけ離れているのも然りであるが、ここでは日本を舞台にしているように感じられないということについて話したい。)

昔『猫を抱いて象と泳ぐ』を読んだことがある。その時から洋書っぽいなあ。と感じていた。"リトルアリョーヒン"、"ポーン"など、登場人物の名前がカタカナであること、チェスを中心に物語が進んでいることからそう感じたのだとも思うが。それが今回の作品に多少残り香が写っただけだろうか。まだまだ経験不足だ。

半年前ほど、大学の教授から先輩の卒業論文を読ませてもらった時に、小川洋子はアンネの日記を良く読んでいたということを初めて知った。他にも初めて知ったことは多くあったが、正確に記憶しているわけではないので、書かないことにする。(きっとインターネットで検索すれば小川洋子についての論文が出てくるはずだ。)
今回の本には、結末を思わせる文が、序盤や中盤に何度も出ていた。これは、アンネの日記の影響を多少受けている(?)のか、または単に、後述談として書き表したかったのではないかと思う。(後述談の形になっていることで、主人公である家政婦が、博士との日々を大切な思い出として感じていることがより鮮明に見えてくる。と思う。)

2点目は、この本の鍵といっても過言ではないオイラーの公式だ。
これはどんなメッセージを意味しているのだろうか。

オイラーの公式
e^(Πi)+1=0

ネットでこの公式について調べてみると、三角関数を使って考えると、e^(Πi)が常に-1になることがわかるそうだ。

"博士"は0は心の中にあるという発言をしている。

義母は実は博士が愛している人であり、家政婦やルートが、博士と球場に行って野球観戦をしたり、博士の看病のために博士の住む離れの家に泊まったりしたことは、家政婦としての役割を越えているだけでなく、嫉妬から注意喚起をしたのではないかと推測する。

なぜなら、義母の怒りを鎮めたのは、このオイラーの公式で、記憶が増えても必ず減る、君(=義母)との思い出が薄くなったり割合が狭まったりすることはないよ、永遠だというメッセージを博士が伝えたからではないかと考える。

これらは単なる推測であり、これから論文やみなさんのいろいろな考えを聞いて読みを深めていきたいと思う。

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