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新型コロナウイルスのPCR検査件数が少ない理由と実情


この記事を書こうと思った理由

新型コロナウイルスのリアルタイムRT-PCR検査について、検査の実情を知らない大手メディアなどが誤った認識に基づく報道を行い続けていることから、ウイルスRNAのリアルタイムRT-PCRを何度も行ったことがある立場の意見として、参考になればと思い記事を書こうと思いました。

PCR検査の必要性について

新型コロナウイルスへのPCR検査の必要性について個人的な考えはありますが、この記事で伝えたいことはそこではないので控えさせて頂きます。

書いている人は誰?

まず最初に、私は国立感染症研究所に所属しておらず、また今現在、利害関係はありません。衛生研究所や検査会社にも所属しておりません。

新型コロナウイルスのPCR検査に関する実務経験として、BSL-3(いわゆるP3実験室)でのウイルスの取り扱い、ウイルスRNAの抽出、リアルタイムRT-PCRは日常的に行っているレベルに経験があります。

臨床検体を使った実験の経験もありますが、私は医師ではなく、患者さんから直接検体を採取したことはありません。また、検査目的で検体を扱ったこともありません。

PCR検査の流れについて簡単に

国立感染症研究所のホームページ上の資料より、PCR検査は以下のような流れになります。

1.検体採取、梱包(医療機関など)
2.運送(運送業者など)
3.受け取り、開封(以下、検査機関)
4.検体の整理
5.ウイルスRNA抽出の前処理
6.RNA抽出
7.リアルタイムRT-PCR
8.結果を依頼先などに伝える

1.検体採取、梱包

検体採取については(1)クルーズのように患者さんが多く1度に沢山の検体を採取する場合と、(2)少ない患者さんの検体を採取する場合とで事情が異なってくるかと思われます。

(1)のケースでは検体採取自体に時間がかかりますが、検体を保存する容器や管理用の表記を統一できるメリットがあります。更に検体をまとめて梱包して感染研などに発送できます。もちろん、患者さん毎に手袋などを交換したり消毒する作業が発生します。

(2)のケースでは検体採取自体にそれほど時間はかからないかと思われます。しかし、採取する医療機関によって容器や表記方法がバラバラになってしまいます。

2.運送

現在、検体を採取した医療機関と検査機関は異なることから、運送の時間がかかります。

3.受け取り、開封

ここからは感染研など検査機関の作業になります。

仮に(1)1つの医療機関で100検体、(2)100の医療機関で1検体ずつの場合、どちらも合計100検体ですが、(1)は梱包容器が1つで済みますが、(2)は100個になります。

国立感染症研究所の検体採取・輸送マニュアルによると、検体の梱包は図のように三重にする必要があります。三重に梱包された100個の検体を開封し、開いた容器を片付けるだけでも時間のかかる作業であることは想像できるかと思います。

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2019-nCoV (新型コロナウイルス)感染を疑う患者の 検体採取・輸送マニュアル 〜2020/02/28 更新版〜 国立感染症研究所HPより

2/17に行われた厚労大臣の会見によると、感染研の処理件数は最大400件です。実際の検体が1日あたり合計何件・いくつの容器にまとめて送られてくるか具体的には情報がないので分かりません。

中核となる国立感染症研究所では、従前に比べて人員体制を強化して、現在、400件、これは最大能力でありますから、やり方によっては、もちろん処理の件数が下回ることももちろんありますが、400件、(以下略)(2/17厚労大臣会見 より)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00087.html

4.検体の整理

送られてくる検体の種類は、
・下気道由来検体
・鼻咽頭ぬぐい液
・血清
・便
など、様々です。また、医療機関側の都合によって冷蔵だけでなく冷凍状態の検体もあり、暖めずに解凍する必要があります(おそらく氷上に放置して解凍)(感染研の検体採取・輸送マニュアル より)。

一次容器(上の図を参照)には、
・検体採取日
・検体採取部位
・識別番号
を記載し、検体リストを紙媒体にて添付するよう感染研のマニュアルに指示されています。ここの検体管理方法は改善の余地があるかと思いますが(後述します)、現状のやり方では1サンプルずつ間違わないように検体を管理・整理する作業に時間がかかることが想像できます。

一次容器には、血清保管チューブ等(スクリューキャップ付きプラスティックチューブが望ましい)を用い、検体採取日検体の種類(検体採取部位)各医療機関にて照合可能な識別番号を容器に記載した上で輸送してください。その際、検体リストを紙媒体にて添付してください。(感染研の検体採取・輸送マニュアル より)
https://www.niid.go.jp/niid/images/pathol/pdf/2019-nCoV_200228.pdf

5.ウイルスRNA抽出の前処理

COVID-19疑い患者由来の検体は、暫定的ですがBSL-2(P2実験室)の安全キャビネット内での取り扱いとなりました。BSL-3の場合は、検体に溶解液を入れるまでP3実験室で行う必要があるため作業量が増えてしまいます。P2実験室は一般的な分子生物学的な実験を行う部屋ですので、作業がかなり楽になります。

1.新型コロナウイルス2019-nCoVの病原体の取り扱いは、BSL3/ABSL3取り扱いとする。2.新型コロナウイルス2019-nCoV感染疑い患者由来の臨床検体はBSL2取り扱いとする。(国立感染症研究所内での新型コロナウイルスSARS-CoV-2取り扱いについて より)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/byougen-kanri/9367-n-cov-bio.html
検体の取り扱いは、バイオセイフティーレベル(BSL)2+でおこなう。BSL2実験施設内の安全キャビネット内で取り扱い(以下略)(病原体検出マニュアル 2019-nCoV Ver.2.7 より)
https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/2019-nCoV20200225.pdf

しかし、喀痰検体は粘性が高いために前処理を追加で行う必要があります。マニュアルを見ると、この作業には時間がかかっているようです。

鼻腔拭い液、咽頭拭い液、鼻汁、鼻洗浄液などに比べて、喀痰は粘性が非常に高いため、ピペット操作でそのまま検体を取り扱って検査を行う事は困難である。(病原体検出マニュアル 2019-nCoV Ver.2.7 より)
https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/2019-nCoV20200225.pdf

6.RNA抽出

ウイルスRNAの抽出は、検体を間違えたり他の検体と混ぜないことや、RNA特有の取り扱いに注意すれば、特別難しい作業ではありません。もちろん、患者さんの貴重な検体ということで取り扱いに神経を使うことは言うまでもありません。

ウイルスRNA抽出は、感染研のマニュアルを見るとQIAGEN社のウイルスRNA抽出キット(QIAamp Viral RNA Mini)を使用しています。QIAGEN社以外にもリアルタイムPCRグレードのRNAが抽出できれば他社のキットでも問題ありません。

ただし、ウイルスRNA抽出キットは後述するリアルタイムRT-PCR試薬に比べて汎用性が低いため、このキットが不足している可能性はあり得ると思います。キットを使わずに抽出することも可能ですが、検査の精度が落ちる可能性が高いためおすすめできません。

通常、RNA抽出作業は一度に最大24検体を同時に取り扱えます。それは使用する遠心分離器が24サンプルまでしか対応していないことが大半であるからです。なので24検体までなら1サイクルで済むRNA抽出作業が、25検体なら2サイクル行う必要があります。

7.リアルタイムRT-PCR

リアルタイムRT-PCRという作業では、ウイルスRNAのごく一部だけを増幅することで、元の検体に新型コロナウイルスが含まれていたかを判定します。検体に新型コロナウイルスが含まれていれば増幅し、含まれていなければ増幅しないので、それで陽性か陰性かを判断します。

ウイルスが感染性を持っているかは判別できません。感染性のない死んだウイルスでも検出されれば陽性と判断されます。

この作業は、現在では多くの医学系実験室で日常的に行われている操作ですが、1点特に気を付けることがあります。それは対照群として用いる陽性コントロールの取り扱いです。リアルタイムPCRは非常に感度が高いので、陽性コントロール溶液に小さな気泡が出来てはじけただけでも他のサンプルに混ざってしまい、偽陽性となってしまう恐れがあります。

この段階の検体は <4.検体の整理> の時のように容器や記載がバラバラではなく、(おそらく)機械的にナンバリングされていると思いますので作業は楽になります。専門的な話になりますが、使用するプライマーとプローブは全ての検体に共通であり、しかも自分たちで条件検討を行う必要もないという点で、通常のリアルタイムPCR実験より時間はかかりません。

検体数は最大96サンプルを同時に取り扱えます。厳密には対照群(ポジティブコントロールやネガティブコントロール)を除くと約90サンプルになります。96サンプルの場合、検体に試薬を入れる作業が約30分、あとは機器にセットして2時間放置するだけです(1ステップRT-qPCRの場合)。

リアルタイムRT-PCR用の装置や試薬は汎用性が高いので、現状は十分量足りているかと思います。国産の装置や試薬もあります。プライマーとプローブも数日あれば十分量を合成することが可能です。

8.結果を依頼先などに伝える

リアルタイムRT-PCRの結果はエクセル形式に出力できるので結果をまとめるのは簡単です。結果を誰がどのように依頼先や保健所などに伝えるかは資料がないので分かりません。

改善できるポイント

現在の感染研の検査態勢とやり方では処理数を10倍や100倍に増やすことは現実的に難しいと思います。ただし、改善できるポイントはいくつかあります。

検体の管理

現在は検体の一次容器の直接情報を書いて、検体リストを紙媒体で同梱しているようです。そこは紙媒体に加えて、エクセルの雛形を作って医療機関側に入力してもらうなど、もう少し改善できるかと思います。Googleフォームから入力してもらってGoogleスプレッドシートで管理してもよさそうです。

他にも、前処理が必要な喀痰検体だけは一次容器に共通の印を付けて、他の検体の種類についてはエクセルから辿れるようにするなど工夫はできるかと思います。

このあたりのオペレーションは実際に行ってみないと分からない点もあるかも知れませんので、外野からの独り言とお考えください。

RNA抽出とリアルタイムRT-PCR

感染研のマニュアルでは手作業でウイルスRNAの抽出を行っていますが、自動核酸抽出装置を使えば処理数が格段に増えます。検体の前処理は難しいかも知れません。この装置は普段から大量にDNAやRNAを抽出する機関以外では見かけません。感染研でも普段の研究にはオーバースペックだと想像できますが、SARS、MERS、新型インフルエンザ、そして今回の新型コロナウイルスの流行がありましたので設置を考えてもいいのではないでしょうか。リアルタイムPCR装置についても同様です。

私自身は自動核酸抽出装置や自動リアルタイムPCR装置を使用したことがないので、RNAの回収効率や感度など分かりませんが、検討する価値はあると思いますし、自動化することで人為的なミスを減らすことができると思います。

リアルタイムRT-PCRの検査感度について

偽陰性

当然ですが、新型コロナウイルスに感染していても採取した検体にウイルスが含まれていなければ原理的に検出できず偽陰性となります。あとは人為的な操作ミスなどで偽陰性となる可能性もあり得ます。

感染研のマニュアルにはリアルタイムRT-PCR自体の検出感度について言及されており、詳細な条件は分かりませんが感度は高そうです。(原理的にはPCR反応系に1コピー(1分子)のRNAが存在すれば検出できることになります)

分離ウイルスから抽出した RNA(Accession LC521925)を使って本リアルタイム RT-PCR法の検出感度を測定したところ、N セットは 7 コピー、N2 セットは 2 コピーのウイルスRNAを検出できる計算である。(病原体検出マニュアル 2019-nCoV Ver.2.7 より)
https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/2019-nCoV20200225.pdf

偽陽性

偽陽性については人為的な操作ミスによって起こる可能性があります。医療機関で検体を採取する段階においてコンタミする可能性もありますし、検査機関で陽性検体やPCRの陽性コントロールが他の検体に混ざってしまう(クロスコンタミネーション)可能性もあります。そういう意味でも自動化できる操作は可能な限り機械で行うのがいいと思います。

民間の検査会社への委託

既に一部の検査は民間に委託しているようですが、新型コロナウイルスのPCR検査は民間でも能力的には行うことができます。処理能力にどの程度空きがあるかや、試薬が足りるか、ビジネスとして成り立つかなどがポイントになると思います。このあたりは実情を知らないので私には分かりません。

国立感染症研究所におけるPCR検査態勢について

今回の新型コロナウイルス流行のようなケースでは、感染研が中心となって検査すべきだと思いますし、実際に感染研によってリアルタイムPCR検査の系が作られマニュアル化されました。現在は感染研の設備や人員では大量の検査を行う態勢が整っていないので、民間に頼れるなら委託するのが現実的だと思います。

しかし、もしエボラなどBSL-4のウイルスが国内で流行した際に、民間の検査会社が引き受けてくれるのでしょうか。PCRしか検査方法がない感染症に対応できるのでしょうか。やはり感染研を含め、公的機関で対応できる態勢を整えておくべきでなないでしょうか。

まとめ

・現状ではPCR検査数を大幅に増やすことは難しい
・RNA抽出キットが不足しているかも知れない
・自動RNA抽出装置や自動PCR装置を使えば処理数を増やすことが可能
・民間の検査会社のキャパが空いていればPCR検査数を増やすことができる
・将来に備えて感染研での検査態勢を整えるべき

補足

この記事が建設的な議論の情報源になることを望んでいます。

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