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2021年10月の記事一覧

論語「与に共に学ぶべきも」子罕第九 29

「子曰く、与に共に学ぶべきも、未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべきも、未だ与に立つべからず。与に立つべきも、未だ与に権かるべからず。」

先生がおっしゃった、いっしょに学んだ者も同じ道を進むとは限らない。同じ道を進む者も同じ位置に立つとは限らない。同じ位置に立つ者も同じ価値基準であるとは限らない。

子罕第九 29

論語「敝れたる縕袍を衣」子罕第九 26

「子曰く、敝れたる縕袍を衣、狐貉を衣たる者と立ちて、恥じざる者は、其れ由なるか。忮わず求めず、何を用てか臧からざらん。子路終身之を誦す。子曰く、是の道や、何ぞ以て臧しとするに足らん。」

先生がおっしゃった。由(孔門十哲の一人、仲由子路)は、破れた綿の服を着て豪華な毛皮を着た人の側に立っても、少しも恥じることがない。「人を妬まず求めもしなければ、良くないことが起こることはない。」子路は生涯この句を

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論語「忠信を主とし」子罕第九 24

「子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ。過ちては則ち改むるに憚かることなかれ。」

先生がおっしゃいました。
まごころを尽くし、いつわりのないことを心がけ、人格の劣る者を友としないこと。そして自らの過ちは躊躇することなく改めること。

子罕第九 24

論語「法語の言」子罕第九 23

「子曰く、法語(ほうご)の言は、能く従うこと無からんや。これを改むるを貴しと為す。巽與(そんよ)の言は、能く説こぶこと無からんや。これを繹ぬるを貴しと為す。説こびて繹ねず、従いて改めずんば、吾これを如何ともする末きのみ。」

先生がおっしゃった。
道理を説く忠告をされたら従うべきだ。忠告に従って自分を改める事が大切だ。
物柔らかに遠回しな忠告をされたら悦ぶべきだ。忠告の中にある真意や思いやりを汲み

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論語「苗にして秀でざる者」子罕第九 21

「子曰く、苗にして秀でざる者有かな。秀でて実らざる者有るかな。」

先生がおっしゃった。
苗のまま花が咲かないものもあるし、花は咲いても実らないものもある。

始めなければいつまでたっても成長しない。
成長したとしても、努力しなければ成果を得られない。

子罕第九 21

論語「譬えば山を為るが如し」子罕第九 18

「子曰く、譬えば山を為るが如し。未だ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆すと雖も、進むは吾が往くなり。」

先生がおっしゃいました。修行というものは、たとえば山を築くようなものだ。あと一盛りを自分の意思で止めてしまうこともできる。たとえば地を平らにするようなものだ。一盛りでもそこに土を撒いたら、それは自分の意思で進めたことになる。

前に進むのも止めてしまう

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論語「逝く者は斯くのごときか」子罕第九 16

「子、川の上(ほとり)に在りて曰く、
逝く者は斯くのごときか、昼夜を舎(お)かず。」

先生が川のほとりでおっしゃった。

過ぎ去って逝くものは、この川の水のようなものだなあ。昼も夜もとどまることなく流れ去ってしまう。

子罕第九 16

論語「循循然として善く人を誘なう」子罕第九 10

「顔淵、喟然として歎じて曰く、之を仰げばいよいよ高く、之を鑚ればいよいよ堅し。之を瞻れば前に在り、忽焉として後えに在り。

夫子、循循然として善く人を誘なう。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。

罷めんと欲すれども能わず。既に吾が才を竭くす。立つ所有りて卓爾たるがごとし。之に従わんと欲すと雖も、由る末きのみ。」

顔淵がため息をつきながらいった。
先生の教えは仰げば仰ぐほど高くそして

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論語「之を見て少しと雖も」子罕第九 9

「子、斉衰の者と、冕衣裳の者と、瞽者とを見れば、之を見て少しと雖も必ず作つ。之を過ぐれば必ず趨る。」

先生は、喪服を着た人、礼服を着た人、目の不自由な人をみると、相手が若者であっても、必ず立って道をゆずり、自分がその人たちの前を通る時には、必ず足を早めた。

子罕第九 9

論語「吾少くして賤し」子罕第九 6

「吾少くして賤し。故に鄙事に多能なり。君子は多ならんや、多ならざるなり。」論語

私は若いころ貧乏で、つまらない事でもなんでもこなしながら生きてこなければならなかった。だから様々なことができるようになっただけである。大人物は多能であるべきであろうか。そうではないと思う。

子罕第九 6

論語「子、四を絶つ」子罕第九 4

「子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。」論語

先生は四つのものを断ち切っていた。自分勝手な心、無理強い、固執、我を張ることである。

人の意見をよく聞き、無理強いをせず、自分の意見に拘らず、人のためになる事を考えた。

子罕第九 4

論語「学は及ばざるがごとくするも」泰伯第八 17

「子曰く、学は及ばざるがごとくするも、猶之を失わんことを恐る。」

学問は常に十分ではないという気持ちで求め続け、同時にすでに身につけたものを失わないように注意しなければならないものである。

身につけたと思っても怠ったときから、少しずつ失われていく。毎日の積み重ねが大切。

泰伯第八 17

論語「其の位に在らざれば」泰伯第八 14

子曰く、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。

その立場にない者が、その立場の者がすることに余計な口出しをするべきではない。
その立場になってみなければ解らない事情があったりするものだ。

泰伯第八 14

論語「周公の才の美有るも」泰伯第八 11

子曰く、如し周公の才の美有るも、驕り且つ吝かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ。

かりに周公ほどの才能がそなわっていたとしても、その才能を誇って威張り、出し惜しみするような人物であるならば、それ以外にどんな長所や美徳があっても、もう見るまでもない。

泰伯第八 11