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師走よりも早く、重く

最近はnoteを書こうと思って書くことが多かった。
このテーマについてまとめようだとか、そういうもの。

これとか

これとか。

今までは大体、思いや思考が言葉になりたいとうずいて、思考のまま消えていくのが惜しくて、堰を切ったようにあふれてくるものを必死につなぎとめていくような感覚で書いていた。特にタイにいた時なんかはそう。

特にこれといって、結論とかはないんだけど書くのが好き。

帰省の連続

目まぐるしく、ずっしりとしっかりと私を作った1月が終わろうとしている。年末ゆっくり過ごして、実家からシェアハウスに帰ってくるとなかなかその生活に慣れなかった。自分にとって家が拡張されたのを感じた。帰った感がある場所が増えていくのは、自分がほっとしたりするところがある、1つなくなっても、私が変わってしまっても大丈夫と思わせてくれる。

実家に帰り、普段のくらしに帰っていく、帰り続ける不思議な感覚を味わえた年始だった。

「働くを覗く」から、「どう働くか」

去年から始めたバイトも、働き始めてから半年が経って、ちょっとずつみんなを助けたりできるようになってきた。先読みをして、これをやっておこうとか、終わったから誰かを助けるとかそういった余裕ができてきた。

その場で自分が息をするように、ちょっとできることで、誰かを補完できたり、すごく喜ばれたりする感覚。存在価値を感じながら働くこと、生きることは私にとって結構大切。

日常への招待

1月には週に1回のペースで、イベントを打って、お友達をおうちに招いた。日常を誰かの日常に重ねて非日常を作ること、新しく誰かの考えに触れること。自分の日常を誰かがハマってくれること。それがすごく楽しかった。

そういった、ちょっとチャレンジしてみる、日常の中に取り込んで非日常をつくるみたいな感覚は私にとって必要な刺激なのだろうと思う。

感覚

各まとまりごとに、感覚という言葉が必ず出てきた。刺激として、日常をとらえて、暮らしを彩る、自分をフロー状態にするべく、必要な要素を一生懸命、探し出して言葉にしているみたいだ。働く、生きる、暮らす、それぞれのシーンの中で、自分にとって必要なものをその都度補充していく、そしてまた環境設定を自分でして、環境を選んで、検証して修正しながら、楽しんで生きていく。それが私の1月と、今とこれから。




いただいたサポートで私はもっと私に優しく生きていきます。銭湯に行ったり、甘酒を作るなど、