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誰かと暮らすということ

深夜創造的衝動

深夜に布団にもぐっても、何か残さなければならないと衝動的にそわそわして布団から飛び出して書きなぐったりすることがある。それが今で、何かを残さなくてはならない、創造したい欲にかられあるがままに書いている。

つながりと隔たり

日々、本当か嘘かわからない情報に触れて、疑心暗鬼になりながら目に見えないものから逃れようと、気を使いながら人と距離感を取りながら生きている。私たちは本当に特別な時代に生きているなあと思う。映画の中だけと思っていた、ディストピアに似た菌のあふれた町を避けながら、室内で世界各国、オフラインの時よりも多くの人と長い時間繋がり続ける日々。

画面に向かって部屋の中1人でいても、画面越しに言葉が飛んできて一緒に笑えることは今の至極の幸せだと思う。そのほかにも、みんなと何となく一緒に過ごすこと、一緒にご飯を食べることで本当は十分なのかもしれないと思ったりしている。

書かなくちゃいけないこと、書いた方がいいことをうまく消化できずにいる。それは、書いたものが良いものとして評価されたい気持ちとか、私はすごく見られたいみたいな見栄のようなものがこんなんじゃだめだと、自分の思っていることを勝手に評価している。

昔好きだった人を忘れられない。思い出してしまう瞬間が最近引きこもりがちになってから多くて、1人で不健康をしているのは、精神にも本当に良くないと思う。好きだなと思う人とはなして笑うのが足りなかった。ご飯をいっぱい食べるのも忘れていたし、空腹なのにお酒を飲んでしまったら、人は寂しくなると思う。ままごとハウスに住み始めてから、あまり寂しくて落ち込むことはなくなった。すごく寂しくなったのはコロナが流行り始めた初期のおうち生活が何日か続いた時だった。

寂しいことは悪いことじゃない。
寂しさがあるから日々の愛おしいことを大切にできる。
2019年の6月からままごとハウスにみんなと
住み始めて気づいたことがある。

誰かと暮らすということ

誰かと笑うこと、存在や癖を言葉にすること、失敗した時にそばにいること、何をしても肯定されること、そういったことが心と体と生き方にどれだけ影響を与えるか、を今住んでいるお家と同居人とお客さんたちは教えてくれた。

誰かと笑うと、日常が思い出になる。嫌なことが飛んでいく。何とかなる気がしてくるし、笑いの種が愛おしくてたまらなくなる。生きている実感が湧く。

存在や癖を言葉にすると、自分がここにいると実感できる。私と他者がどう違って、どこが似ているのか、わかるようになる。細部に現れる自分らしらや、その人らしさを見逃さない観察力と適した言葉を選び取るための自分の言葉の器の小ささと、つたない表現の愛おしさが生まれる。

癖といえば私とうすいさんはよく、この家のあるあるを探している。薄井さんはそれをまとめるのが上手。

https://twitter.com/hareka0x0/status/1232197777020481537?s=19

失敗した時にそばにいると、もっと強くなりたいと思う。失敗した時の気持ちはわからないけど、かっこいいところやすごいところが見えてくる。

何をしても肯定されると


正しさとは何だろうと考えさせられる。自分にとって、心の純度を下げずに自分が喜ぶことは何か考え始める。その先に誰と一緒にいたいのか、とかどんな力で救いたいのかを考える。

嫌いなものが多くて、自分のこだわりが強くて、全然食べられなかったご飯を食べられただけで、褒められると自己肯定感が上がる。パソコン触りながら、急いでご飯を食べてていたら「行儀悪いからやめなさい」と言われそうでも「かっこいい」と褒められる。褒めた母からすると、やるぞという気迫を評価されたらしい。

正解ってなんだろう。誰に評価されたいんだろう。何を守りたいんだろう。自分で全て決めて良くて、いきいきする選択肢を私は選んでいきたいと思った。違くたっていい。

そういった苦しいときや楽しいとき、道徳とかを日々の中から見つけ出して、議論して言葉にできると自分のことが少しわかるようになる。

誰かと住んで暮らしを作るということは、自分のストレッチゾーンを知ることだと思う。

他者が許せることが気になったり、自分が考えても見なかったところで嫌な気持ちになる人がいる。シェアハウスとは社会の縮図で余白が大切。

いただいたサポートで私はもっと私に優しく生きていきます。銭湯に行ったり、甘酒を作るなど、