27歳独身女のひとりごと 痔編⑥ 術後編-当日-


術後診察


待合室で待つように言われたが、もうすでに尻穴は痛かった。
待合室の椅子にはすでに前屈みでないと座れないという有様である。
ただ、肛門科というのは素晴らしいところで、常にベストなドーナツクッションが置かれている。
この上に座り、ただひたすらに前屈みで術後診断を待つ。
恐ろしいのは、これが麻酔が切れた痛みなのか麻酔が切れきってない痛みなのか判断がつかないところである。

ただ、麻酔が切れた痛みであれば私に分があると言っても過言ではなかった。
本当に痛いのだが、女性はなにかと痛みに強い。体験したことのない痛みだが、耐えられるといえば耐えられる痛みであった。
痛みを言語化するのは非常に難しいが、尻穴が常にズキズキ・ヒリヒリしており、剣山の上に座らされているような痛みである。
なんとか尻穴に体重をかけないようにして、術後診察を待った。

「私さーん」と名前を呼ばれ、診察室に呼ばれた。
椅子から立ちあがろうとすると、立てない。
驚く。これはあまりにも痛い。
なんだか痛みが増した気がする。
あまりの痛さに戸惑いつつ時間をかけてドーナツクッションから立ち上がり、診察室に向かう。徒歩5歩くらいの診察室に1分ほどかけて向かう。私を見る看護師さんの目は優しかった。「ゆっくりでいいですからね」という憐れみに満ちた目であった。
診察室の椅子にもすでにドーナツクッションが用意されていた。座るのも凄まじい痛みである。

豊本により手術の説明があった。
私の術前・術後の尻穴写真がアップにされている。
私の手術は『肛門形成手術(肛門狭窄形成手術)』というようで、術後の尻穴はそれはそれは痛ましいものであった。この痛みも納得である。(気になる方は調べてみてほしい)
自分の尻穴を可哀想に思いつつ、突如目の前に出された患部の写真に戸惑いを隠せない。
手術に詳しくないため、細部の描写は避けるが尻穴の前後が扇状に切り開かれて剥き出し。真皮(おそらく)がコンニチハ状態。
あまりの痛々しさに見ていられない。
術前術後でわかりやすく比較された、一枚ものの写真を渡され、いるか聞かれたが丁重にお断りした。
こんなものは手元に保管しておけない。何かの拍子に誰かに見られたら色んな意味でお嫁にはいけまい。

診察終了と帰路


診察が終わり会計を済ませて、処方箋をもって薬局に向かう。
あいにくM肛門科があるところは医療ビルとなっており、他の病院からの患者もいるため、やや混雑していた。
薬を貰うにもやや時間がかかりそうなので、座って待つほかなさそうであった。
薬を待っているということは、各々様々な事情があることと察するが、皆事も無げに座って順番待ちをしている。
「座れる日常が当たり前だと思うなよ…」と心の中で恨み節を言いながら、座って(激痛)順番を待つ(激痛)。
M肛門科での診察待ちから10分と経っていないはずだが、少し痛みが増している気がする。
まだ麻酔が切れてなかったのかと今後に恐ろしさを感じつつ、ひたすらに順番を待った。
こちらも名前を呼ばれるまでは前屈みで、できるだけ患部に体重をかけないようにして過ごした。

薬をもらい、自宅に帰る。
病院から自宅まで電車で30分以上。
最寄り駅から自宅までは徒歩15分程度。
普段ならなんてことはない帰り道だが、今の私には海外旅行くらい遠い道のりである。
その間にも痛みは増しており、日帰り手術をした自分を恨み始めていた。
幸い、M肛門科の最寄駅は、始発駅に近いので帰りの電車では座ることも、立つこともできた。
立つのも座るのも地獄、散々迷った結果、座ることにした。
電車の揺れに尻穴が耐えられないと判断したためである。
よろめいてパッと足を着こうもんなら思わず声が出てしまいそうであった。
座って前屈みになり、ひたすら目的地まで耐えることにした。

『薬局でもらった痛み止めを家に帰ったらすぐに服用する』
これだけを目標に長い長い家路に着いた。

車内でもどんどん痛みは増していた。
ただ、痛みはある一定のラインで停滞するようになっており、麻酔が完全に切れたことを確信していた。
この時の痛みを母親にLINEしているのだが、「大学院2年生の時の痛み×0.9」と評していた。
大学院2年生の時の痛みは前記事の①を参照してほしい。

人生で尻穴に感じたMAXの痛み×0.9の痛みが継続的に続くのである。耐えられるが耐えられないというなんとも不思議な状態であった。

最寄駅に着き、自宅まで歩いたが徒歩15分の距離に倍かかった。
歩くと尻穴に響くため、すり足でしか歩けない。ペンギンの散歩よりも遅いスピードである。
途中、大通りがあり信号を渡らねばならないのだが、一度信号を見送って青信号尺をフルで使ったにも関わらず、青信号中に渡り切れずラスト数mは赤信号になってしまった。
それくらい歩くのが遅かった。

自宅にて


やっとの思いで自宅に着き、速攻で鎮痛剤を飲んだ。
患部に貼られていたガーゼも剥がして尻穴を刺激するものを解放した。
ガーゼは血まみれでこちらもひどい有様であった。
鎮痛剤が劇的に効くことを願いながら、とりあえず身の回りを片付けてシャワーを浴びることにした。

ただ、ここで私は新しい気づきを得る。
尻穴というのは全ての行動に繋がっている、ということである。
歩く、座るだけでなく、くしゃみ、せき、物を拾う、笑う…全てのことが尻穴に響く。
肛門というのは本当に軽んじられているのだと改めて感じた。
保健体育の授業で肛門の大切さを説くべきである。
くしゃみをしてあまりの痛さにちょっと泣き、物も拾えないことに情けなさを感じ、涙が出そうになった。

やっとの思いでシャワー浴をし、他にできることもないのでベッドに横たわってひたすら録画番組を消化していた。
うっかりバラエティーで笑ってしまった時には、笑いと共に痛みが訪れてまたちょっと泣いた。
なんだかんだ鎮痛剤も効いてきており、『大学院2年生の時の痛み×0.5〜0.6』くらいにはなっていた。
つくづく、薬というものは偉大である。
寝るなら今しかないと消灯し、就寝体勢に入った。鎮痛剤を飲んでから6時間経過していたため、念のため頓服の鎮痛剤を服用しておいた。
前日の睡眠不足が効いており、早々に寝ることができた。

「痛みは本当に人によるんだけどね、たまに夜寝られなかったわ〜って人もいるのね…まぁちょっとね、うん。痛いかもしれないですねぇ…」
という看護師さんの言葉を思い出しながら
あぁ私は夜は寝られる人なんだ、まぁあの時よりはマシな痛みだしな、と思いながら寝落ちしたことを覚えている。

そう、これは盛大なフラグである。
地獄の幕開けであった。


①の記事はこちら↓

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