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※ネタバレ注意 すずめの戸締り考察感想 ダイジン=すずめの○○

すずめの戸締り見ました。
ネタバレ前提なので見てない人は読まないでください。

ストレートな感想

感想一言目は
「ジブリ監修かなと思ってエンドロールみたらジブリの文字がなくて大丈夫!?って思った」

感想二言目は
「頭空っぽにして見る分には面白い」


でした。

ジブリオマージュ多すぎて具合悪くなる

(封印といた)猫に懐かれる→猫の恩返し

謎の猫が捕まらない→耳をすませば

猫「すずめ、好き!」→ポニョ

扉開けると時間軸メチャクチャな空間、そうたの顔がハウル→ハウルの動く城

ルージュの伝言に乗せて猫と旅→魔女の宅急便

みみず→もののけ姫

ラストに(千尋に)会いに行くよ(ヤックルに乗って)→千と千尋、もののけ姫

君ハウルの動く城出てたよね?
別れ際これすぎない


流石にここまでされると具合悪くなる

最後のはもう考えすぎだとしてもそれ以外はみんな見ながら思っただろう!?私だけじゃないだろう!?
やりすぎが気になって内容に集中できなかった
あとこれで鈴木敏夫の名前がクレジットにないのはもうダメだろう

単調すぎる

君の名はからに始まる新海誠劇団って見せ場をかなり短いスパンで挿入してくることで、
スマホで面白コンテンツを30秒で見るとか1.5倍速で見るような現代人のペースに配慮するという手法なのですが、今回もそれです。 

ただ、今回の問題はそれが過剰に下手すぎた。

「君たち、絵的に派手で見せ場がないと寝ちゃうでしょ?積もる話もあるけどとりあえずちょいちょい扉閉めるアクション挟んで飽きさせないように頑張るわね」
というのが透けて見えるのですよ。


君の名は、はじゃあ違うのか?って?
違うよ!!!!!

君の名は、における絵的な見せ場って、バリエーション豊富なんですよね。

・四葉といれ変わって目まぐるしい映像が流れる、入れ替わりの面白さ
・おばあちゃんに祠に連れて行かれる、四葉を探しに旅に行くなどシーンが変わる、場所と時間軸の違いの面白さ


これが織り交ぜられるので毎回見せ場とか見たいシーンの経路が違うわけです。

今回のすずめの戸締りに関して言えば、
同様に旅することで土地や場所が変わるものの、
「根本的に全部廃墟&田舎で変わり映えしない(東京出てきてやっと新鮮な感覚があった」
「別の土地行く→扉閉めるがただただ単調」
という感想だった。

リズムを作ろう作ろうという努力は感じるのだが、謎を後半に持ってきすぎたことと、
各町の尺配分と流れが(村人発見→ミミズ発見→扉閉める)の心電図レベルで繰り返されるので、
もう東京来て地震来た時は「あーハイハイ」としか思えなかった。

考察: ダイジンとすずめと環さん

環おばさんが自分の人生を犠牲にして見返りもなくすずめを引き取ったことの尊さすごすぎ問題

環おばさん、今作で終始「LINEがうざいおばさん」「ヒステリックおばさん」みたいな扱いされるんですが、
自分の姪っ子引き取って婚活諦めて一緒に暮らすなんてこと並大抵の人ならできないしやらないですよ。

ヒステリックおばさん扱いされてLINE無視されるの可哀想

それに対してなんですかすずめは。
「きれいなのになんで付き合わないんだろう」みたいなこと平気で言うんですよね。言っちゃ悪いけど一部はお前のせいだからな。

その後行く先々ですずめはいろんな人の厄介になるわけですが、
必ず手伝いをしたりトレードオフの関係でいるんですよね。人の善意には善意で返すものという感性がすずめにもあるんです。

でもなぜ環さんには何も見返りがない?
環さんが自分の人生を犠牲にしてもすずめを育てたのに??

すずめはこのことに終盤気がつくのだと思いますが、正直個人的には恋愛要素に振りすぎて、
この二人の"重い"親子関係の描写が仕切れていないところが作品鑑賞後の「まぁ…なんか面白かったけどこの映画なんだったんだろう…」みたいな気持ちにつながったようにも思う。

ただ、環さんが成し遂げたことがいかに偉大だったかは、作中しっかり補完されてもいました。
それがダイジンです。


ダイジンって何なの?=環さんとすずめの擬似親子関係のif的存在

この作品の裏テーマレベルでしっかり描かれる環さんとすずめの擬似親子関係の目線から紐解くと。
ダイジンっていうのは「救われなかった世界のすずめ」なのでは?という仮説が頭をよぎる。

すずめは母親を亡くして孤独になった際に、
たまたま環さんが引き取って幸福な家庭を取り戻してくれたわけです。
じゃあ、環さんに引き取られた後、幸せになれなかったルートが何か?これがダイジンなんじゃないかなと思ったんです。

なぜダイジンはそうたに要石の役割を押し付けたのか?

それは、すずめの「うちの子になる?」という発言だったのではないか?

うちの子になるには、要石の役割があるままでは不自由でしかなく、誰かにそれを押し付けるしかなかった。

とはいえ、ダイジンからしてみればすずめの子になるためには当たり前の手段だったはずなのだが、それがすずめにとっては受け入れ難いことだった。

すずめは猫を自分の子になる?と言ったくせに、
追いかけて要石に戻れという。
長い長い孤独と寒い世界に閉じ込められていたダイジンが、やっと「うちの子になる?」と言ってもらって居場所をもらったと思ったら、またお前一人になれみたいなこと言われるんですよ。

ダイジン目線だととんだ残酷なこと言われてるんですよこれ。

見た目が良くなかった説

すずめ本人が、震災後孤独で寒い中放置されていたところを「うちの子になりなさい」と言われて環さんに拾われる。
環さん自身も「そんなこと言ったなんて覚えてない!!」と言っていたことは、皮肉にもすずめがダイジンにやっていたことなんですね。

しかも酷い話が、自分は環さんと擬似親子に戻るくせに、ダイジンには要石に戻るしか選択肢がなかったんです。これもうバッドエンドだろ


ちなみに結局ダイジンって何?①もう序盤の時点で詰んでた

ダイジンもサダイジンも土着の神のようになっているわけだけれども、
神というアイコンは「信仰心の強さが神の強さ」と表現されることが多く、これは千と千尋にも似たような話がありましたね(まーーたジブリか)

ダイジンの場合は地方で人口が少ないのと、かつ廃墟に位置して人が全くいない立地というのもあり、
すでに初期から弱っていた状態だった。

ダイジンがいたのにミミズが出ていたのは、信仰がなくなり力が弱まっていたということが原因と考えられないでしょうかね。そこですずめという信者と縁ができて、力を取り戻したのだと思われる。
(この証左に、一時すずめから拒絶されると痩せこけ、認められると力がみなぎる描写があった)

そこから先、地方を回りSNSでいろんな人の"信仰"を得たダイジンだったからこそ、
最後に再び要石となる役割を再び担うことができたという…

最後は痩せこけた姿ではなかったのですずめからの愛、誰かからの愛はあったのだろうが、
「人は愛されることで生きられる」というメッセージを体当たりでやっているような感情に襲われたのは私だけでしょうか…

ダイジンって何?②昔は人間だったし、子供だった


おじいちゃんが病院で「役目を終えられたんですね」的な発言をしていること、
宗太が実際に要石になれたことを考えると
「要石=人間」というのは当たり前に行き着く仮説だと思う。

しかし、あきらかにダイジンとサダイジンはサイズ感が違すぎる。子猫と成猫レベルですよ。
あえてこれを書き分けるのは「要石になる猫は全員子猫じゃない=年齢差がある」ということで……


要石=人間
要石には年齢差がそのまま猫の見た目に反映されるのでは


…………新海誠てめぇ!!!!やりやがったな!!!(血涙)


これもうつまり子供の人柱に

すずめが「うちの子にならない?」って適当な気持ちで声かけて

うれしい!!じゃあ要石他の人にやってもらうね!!って喜んでたら

言ったことも忘れて要石になれって追いかけてきて

挙げ句の果てに嫌いとか言い出して

最後は好きな男の方大事にするみたいなムーブされたんではいじゃあもう要石戻ります…



もうこれバッドエンドじゃん…何これ…
環さんがこれやったら大ブーイングなのにすずめがやってもなんかきれいなハッピーエンド風になるの何なんだよこれ…


まとめ: 環さん幸せになってくれ


以上です。
駄文恐縮ですがお読みいただきありがとうございました。

余談

この話の要石の運用見て

身代わり用意しないと出てこれないやつ

水曜のダウンタウン思い出したのは私だけでいい

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