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Songs for Today's Birthday 4/18 - Glen D. Hardin

Glen D. Hardin

グレン・ディー・ハーディンは、1939年4月18日、テキサス州ウェリントンに生まれました。グレンがピアノを弾き始めたのは8歳の時でした。ある日、ゴスペルピアノを弾く友人がやってきて、幼いグレンの前で演奏し、その音に深く感銘を受けたことから、ピアノ奏者を目指すようになりました。グレンは、何度かレッスンを受けましたが、ほとんど独学でした。それよりも、耳で聞いたその日のヒット曲を弾きたい一心でした。

海軍でカリフォルニア州ロングビーチに駐屯していたとき、グレンは地元で高額の報酬を得られる仕事を得て、さらにプロを目指すようになりました。アイドルはレイ・チャールズでした。1959年に海軍を退役した後、グレンは音楽活動を開始しました。グレンは、バディ・ホリーのバンド「クリケッツ」のメンバーであるドラマーのジェリー・アリソン、ベーシストのジョー・B・モールディンと共に成長していたため、ホリーの死後は、ギタリスト/ソングライターのソニー・カーティスが演奏とレコーディングを続けて、グレンはクリケッツのメンバーとして、何年も彼らと一緒に演奏していました。

グレン・ハーディンは、地元テキサスからカリフォルニアに移り住み、西海岸のカントリーアーティストにとって重要な場所であったノースハリウッドのクラブ、パラミノクラブのハウスバンドに参加することになりました。1964年から1966年にかけては、当時のロックやポップスのパフォーマーたちが出演していた人気テレビ番組「シンディグ」のバックグループ、シンディガーズのハウスキーボーディストとして活躍しました。1965年、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズが録音した"Count Me In"でソングライターとして最初の成功を収めました。

数年間セッションミュージシャンとして活躍し、マール・ハガード、マーティー・ロビンス、リッキー・ネルソン、ジョージ・ジョーンズ、エバリー・ブラザーズなど数多くのトップアーティストとレコーディングしました。

グレンは、ギタリストのジェームス・バートンの勧めで、MGMスタジオでエルヴィス・プレスリーのオーディションを受けることになりました。エルヴィスのTCBバンドでラリー・ムホベラクの後任として、彼はすぐに仕事を得ました。彼は6年間エルヴィスと共に過ごし、アレンジ、レコーディング、そしてキングのツアーに参加しました。


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