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#70 【働くこと】私の仕事の定義|会社員⇨フリーランス|vol.1


お〜りと〜り⛱

フリーランス3年目、石垣在住のKiyomasaです。


齋藤清正についてはこちらから



プロローグ


私にとっての仕事とは『人生最大の娯楽』である。



娯楽とはアソビ。
友人と飲みに行くことだったり、パチンコだったり、ネトフリを見漁ったりetc.

「私、趣味ないんだよね〜。家帰ってから暇すぎて草」

反対に

「私、仕事バリバリしてます。毎日が最高っす!」

この地球上で生を受けてるもの全てに等しく
毎日24時間振り込まれている。

今日まで26年と6ヶ月、息をしてきたが
社会経験はちょうど8年程度。
内6年間が"会社員"残りは"フリーランス"として従事してきた。


これまでの経験を裸にすることで
なぜそのように考えているのか。
貴重な時間をくださったあなたの悩みが小さくなりますよに、と
願いを込めて執筆します。

では、改めて



私にとっての仕事とは『人生最大の娯楽』である。



会社員時代



会社員一年目,海外研修中行くぞ〜!のわたくし


工業系の高校を卒業し、愛知県にある世界にもシェアがある製鋼会社に就職した。確か、国内外グループ含めて5000人弱ほど従業員がいた(気がする)
学生時代の成績は上から数える方が早く、OB/OGの方々の功績のおかげで
数多の企業に推薦枠で入社が可能であった。

当然私もしっかり甘えて、とりあえず県外へ出れたらいいぐらいのスタンスで、求人票の中から高給な案件から選択した。

入社式。同期には約100名ぐらいいて少し驚いたが、
入社試験でも身知れた顔を合わせ、安堵した記憶は今でも覚えている。
今でも彼らとは連絡を取り合う仲である。あざす

配属された部署では、夜勤もあったため生活リズムを作るのが大変だった。
なかなか眠れない日々が続きやや憂鬱気味。新卒の壁である、上司とのコミュニケーションは初期段階で失敗したのは後に大きく響くぐらいの事案となった。
体育会系には慣れてはいるが、性には合わなかった。アウトドアは好きだが、汚い職場に居続けるのはしんどかった。福利厚生は良かったが、1人だけの空間が欲しかった(当時、寮暮らし)
そんな僕をこの会社に6年も縛れた理由は2つ。
高給だったこと、もうひとつは親の面子を守りたい。

なんやかんや言いつつも、要領は割といい方で、仕事のシステムを理解するのにもさほど時間は掛からなかった。それにあるあるだと思うけど、良い顔をしとけばいい上司っているじゃないですか(味方にしとくといい的な)
社内でのコミュニケーションのリソースはそういう人に割いた笑

そうやって社内ではのらりくらりと波風立てないように過ごそうとしていた。思っていただけで入社3年あたりまでは二日酔いで出社したり、遅刻早退をしたりとめちゃくちゃ迷惑かけてたのは内緒にしといてください笑

なぜそんな体たらくだったのかは読み進めれば分かります。


転機①



ハタチのわたくし。

24時ごろには街中が真っ暗になる田舎(地元)とは違って、ここは大都会名古屋。とにかく朝まで明るいのである。
20歳あたりに友人に誘われて行ったナイトクラブにどっぷりハマり、
酒・女・タバコという3種の神器を掲げて、昼夜問わず、お金に糸目をつけず
遅れた青春を取り戻していた。
田舎出身、芋野郎メガネヒョロガリ。得意なことテレビゲーム。
果たして誰がこんな私とまぐわりたいと思うだろうか。
肉体改造をし、心理学の本を片っ端から読み、立ち振る舞いを見直し
幾度の失敗を重ね、気づけば20歳の男のロマン(理想)を体現できるよになった。
あと、これはお酒を飲めるようになってから気づいたのだが、両親から5体満足という才能だけでなく、強すぎる肝臓というちょっと買い⇧⇧ぐらいな才能も頂いてました。み〜ふぁいゆ〜🎉
そんなこんなでたくさんの女性経験を経て、コミュニケーション能力を急速にレベ上げできました。この辺の時期は、帰省も定期的にしていて、
その度に顔変わった?とか都会に染まってら〜とか
いい意味でいじられるようにもなっていた。

根暗陰キャが根明陽キャになった20代前半のプライベートはとても充実していたと言えるだろう。


転機②



会社員5年目、23歳独身。家賃7万円1LDK。車持ち。年収約450万円。
そんな私は高校で始めたバドミントンに再熱中していた。

きっかけは単純で心が疲弊していたから。夜の街明かりが、1日に何件もくる通知音が、疎ましかったのだ。
ある程度無くしたものを取り戻したはずの私は、なぜか心ここに在らず状態になっている。全くもって意味がわからない。
だからとりあえず、可能な限り普通であろうと試みた。

400人ぐらいいたLINEのご縁はシュレッターにかけるかのように切り捨てた。家を変えた。職場寄りで駅近の家賃5万円1DK。車は70万円ほどで売れた。他には保険を見直したり、携帯は一台にしたり、いらない服を捨てたり。
いわゆる断捨離というやつだ。

そんな矢先、こんな声をいただいた。


一緒にバドミントンで仕事しようぜ


なんと???


目が点になる?寝耳に水?開いた口が塞がらない?

とにかく衝撃的だった。


〜〜〜色々端折って〜〜〜
この声を掛けてくれた不思議さんは株式会社KOKACAREの代表、竹内さんでした。
どうやらスポーツという分野で、ましてやバドミントンで飯を食えるらしい。正直イメージが湧かなかった。それはなぜかというと高校を含めて8年間、工業というジャンルで生きてきた私の中では「スポーツ×仕事=プロスポーツ選手」という解しか持っていなかったからだ。
今思うと無知すぎて草、草超えて森。我ながら恥ずかしい。

ぼんやり乾いてた私の心にはその言葉が沁みてきた。


この日を境にフリーランスとしての大いなる一歩を歩むこととなる。




to be continued…


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