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あらゆる雑音を遮断したいとき(振り返り日記)

先日、突然、身体が機能しなくなった。

腰の痛みからくる、不安と葛藤。


痛みの原因がわからないがゆえに対処法がわからない。
考えられる腰痛に効くヨガポーズや体勢をとってみるも、効かない。

気持ちを落ち着かせるために、動画をみようも見てられない。
立ったり、しゃがんだり、顔を洗ったり。
大好きな台所に立ってみたり、布団に寝転んでみたり。

でもどれもダメだった。

結局落ち着いた先は、布団。
それも枕元とは反対側に頭を乗せて、横を向いた状態でうずくまる。
しっくりきたのはジブリの挿入歌アルバム。


この日は、どうもダメだった。

心が乱れていた。


この日を振り返ってみる

そして今振り返って思うこと。

確かに、月経というものは大きく関わっていたように思う。
だけど、それだけではないようにも思う。
前後数日間、あらゆるものが「雑音」になっていたという認識があるからだ。


いつもは観ている動画をみる体力もなく、
普段よく聞く音楽でさえ「うるさい」と感じるようになっていた。
なるべく無音で過ごしてきた。

そしてこの日は特別、天気が悪く、電気を付けて過ごす体力もなかった。
人工的な光が刺激になった。身体が痛くなった。

もちろん、パソコンもつけず、
普段は使う携帯でさえも、触りたくない日になった。


そう、全てのものが「刺激」となり「雑音」に変わっていたのだと思う。


無意識のうちの浪費

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無意識のうちに、様々なところから情報を得ている。
常に身体が聴覚的情報、視覚的情報に反応していて、知らない間にも脳をフル活動させているのだ。


そして気がつかないうちに、体力を浪費している。
そう、無駄遣い。だから浪費。


私にはそのあらゆる「雑音」を遮断したいときというのがが定期的にやってくる。

人と話すことも、音楽を聞くことも、動画を見たり、読書をしたり。
とにかく、体力を使うことができないときが周期的にやってくる。

それが今回は、たまたま月経周期と被り、さらにはどんよりとした天気と被ってしまったのだ。


その日の夜は、心の乱れもなんとか落ち着き、キャンドルを焚いて、間接照明をつけて、身体の欲するままのヨガをした。

もちろん、ヨガ動画を見ながらのヨガではない。


呼吸に意識を向け、身体が気持ちいいと思うところで姿勢を止め、全身に酸素を送る。


学び

このヨガの効果を知っていても、心が乱れていると、ヨガをすることもできないのだということを学んだ。

無意識的に疲れているのだから、意識的にあらゆる「雑音」になり得るものから離れる「デトックス」というものを計画的に行わなければならないのかもしれないと学んだ。

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今度やってみようと思う。


私のデトックスの在り方。


こちらを探っていきたい。


2020.05.14

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