雑誌の存在意義の話

なんで雑誌読むんだろう、から考えて
だんだんと雑誌は何のためにあるのか?というところをぐるぐる考えていました。
答えのような結論をひとつ見つけたので記録までに残しておこうと思います。

入り口になった出来事としてつい最近、
仕事にて雑誌への純広として掲載する原稿データを作る機会がありました。
雑誌社でもお仕事をしていたためその経験上で入稿に足るデータであることを確認しお渡ししたのですが、お渡しの後にさらに上の解像度で求められました。
このことが疑問だったので後で答えあわせをすると
誌面に使っている紙質が特殊であり鮮明な印刷をするために解像度が通常より高めで入稿する必要があると伺い。

そんな話もあったため、
雑誌不況だなんだと言われる今、新しく創刊される雑誌もあるし
それらをしっかり読んだことがない、そもそも情報はSNSばっかりだ、
実際の質感はどうなってるんだろう?
という疑問が生まれたためそのまま本屋に行き大量購入してきました。

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[↑KOYA LIFEが一番HOTと思いました。欲しい!小屋!]

僕の買う雑誌が偏っているのかもしれませんが、これら雑誌を改めてみて感じたのは以前よく読んでいた時期(3~4年前?)の雑誌と比べて、編集者の方の美意識を強く打ち出しているなぁということです。

WEBメディアは、見るときの見え方は読み手(と読み手の持つデバイスなどの環境)に一部依存する部分がありますが、紙媒体はとにかく作り手の美意識が全てにおいて反映されるなと強く感じています。
見開きの作り方、ページの校正、色のトーン、紙質、文の置き方、フォント、号数などなど。

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これはファッション誌ですが、この構成はWEBではできない表現(もしくは伝達の間に作り手の意図とは違う作為がどうあっても加わるためある程度の妥協が生じる表現)と存じます。
[*僕自身の寡聞にてWEBでも強く美意識を打ち出されているメディアもあると存じますため表現ご容赦いただけますと幸いです]
また、男性誌中心だからなのかもしれませんがまず思ったのは薄くなったと思いました。
これは広告(純広)が減ったからだと思います。

雑誌の種類にもよりますが、編集記事が多いなーと。

雑誌がメディアとして伝えたいメッセージを、ブレなく伝えるために情報を厳選していると感じました。


ここまでが雑誌を買い込んでの気づきをまとめたパート、
ここから先が雑誌に対しての所管をまとめるパートになります。


結論の前に、ひとつ参考記事を挟ませてください。
この内容と先の気づきが結びついたもので。

AIによって定量的な仕事の効率化が進んだ時に人は何の仕事をするか、に対してキャバ嬢、経営者、看護師など人と人との間の部分、定性的で情緒の面のコミュニケーションがこれから少し先の未来に人に求められることになるのでは、という。

僕はこの、人と人との間にある曖昧だけど、人同士だから通じ合う心の機微の部分こそ雑誌にあるのではとおもいました。

人に何かを伝える時に、綺麗に時系列をなぞった文章だけではなく、好きな写真やイラスト、色などを好きに配置したコラージュなどの雑多な情報の中にも情緒の情報があり、その奥にある人のことが伝わってくるのではないかと。

詩などの叙情的な文や写真の組み合わせも、言葉の奥にある何かの感情や質感を強く伝えてくれるものだと思います。

言い換えると、これは美意識なんだろうなーと。

美意識=その人を構成する言葉以外の質感/クオリアで構成される情緒の面だと思います。もっと柔らかくいうと直観という言葉がそれにあたるのではないかと。

そして、美意識を表現するのに最も適した形態が雑誌なんだとおもいました。

絵があってもいい、写真があってもいい、漫画があってもいい、紙質を選んでいい、装丁をこだわっていい、サイズを選んでいい、文を入れてもいい、文がまとまってなくてもいい、詩をいれてもいい、ルポルタージュをいれてもいい。

とにかく、何をやっても良くて、何か一つに絞って表現仕切れない何かを表現するのに最も適しているのが雑誌だと思います。

雑誌の"雑"の中のふわふわした情報の中に、先に挙げた人と人との間にある曖昧で情緒的で定性的なコミュニケーションが詰まっているのではないかなー、というのが今の結論です。


美意識を表現するために削ぎ落とす部分があり、

情緒を表現するために加える雑の部分があり、

とにかくストイックに遊んでるなぁ〜ととても素敵に感じました。

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