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死んだ恋人に会いにいく 第13話

第二章 芝川咲希

唐突

 都会に移り住んでから七年になる。
 私の勤め先では一昨年ほどから、出社が不要な業務に関してはリモートワークが導入されていた。
 それに伴い、大学時代から住み続けていたボロアパートを引き払い、ちょっと上等なこのマンションへと移ったのが今年の春のことだ。
 職場のある都心部からは少し遠くなってしまったが、家賃据え置きで占有床面積は一気に倍になったし、何より築年数が浅いおかげで隣室や上下階に気を使わずに生活できるようになった。

 田舎から戻った私は、以前と同じように働いては寝、寝ては働いてといった退屈な日常を送っていた。
 唯一の趣味である旅行も、ここ半年くらいまともに行ってはいない。
 来年の正月にはまとまった休みが取れる予定なので、久しぶりに海外に足を伸ばしてみようか。
 ヘルシンキに住むパッカー時代の友人に会いに行くのもいいかもしれない。
 そんな妄想をすることで日々の英気を養いながら過ごしていると、気がつけば外出するのにコートが必須な季節を迎えていた。

 休出――といっても在宅だが――に勤しむ、とある土曜の午後。
 いつものように仕事終わりにレポートをまとめていた時だった。
 スマートフォンから軽快な着信メロディーが聞こえてくる。
 終業時刻はまだもう少し先なのだが、幸いにもパソコンのカメラとマイクがオフラインになっている時間帯であった。
「はい、中原です」
『あ、急にごめんね。今って大丈夫?』
 久方ぶりの会話にも関わらず、まるで自然体といったふうなのが如何にも彼女らしかった。
「絶賛仕事中。でもリモートだから大丈夫だよ」
『そっか。じゃあ手短にするね。中原くん、今日の夜って何か用事ある?』
「今晩? 特にはないけど」
『よかった! じゃあ今夜、中原くんちに泊めてもらっていい?』
「はい?」
『あ、電車きちゃった! じゃあまたあとで掛けるね!』
「あ、ちょっと芝川さん! って……切れてるし」 

 彼女から折り返しの電話を受けたのは三十分後のことだった。
 自宅の最寄り駅で合流すると、駅の正面にある雑居ビルのお好み焼き屋に揃って入店する。
「突然だったから驚いたよ」
「ごめんね。急に行ってビックリさせようと思ったの」
 その目論見が見事に成功したことは認めるが、果たしてそれはさして親しいとは言い難い相手にすることなのだろうか?
「こういうことしない人だと思ってたよ、芝川さんって」
「あはは! ホントにごめんね。迷惑だった?」
 彼女はそう言うと、銀色のコテを持ったまま顔の前で手を合わせる。
「まあいいんだけどさ。それより今日はなんでこっちに?」
「お仕事。明日の朝が少し早かったから、前乗りしたほうが楽かなって」
 だからといって私を頼ったことの意味がわからない。
「ビジホで良ければ今からでも取れるよ? 仕事の付き合いのあるところなら安く泊まれるし」
 それは親切心からというよりは保身のための提案だった。
 彼女からこういった要望を出してきたということは、現時点で交際をしているような相手はいないのだろうが、家に泊めるともなればそれ以前に色々と問題があるように思える。
「……やっぱり迷惑だった?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ」
 別に迷惑というわけではない。
 ただ、元バックパッカーが言うのもあれだが、恋人でもない妙齢の女性と一宿をともにするというのは如何なものかと、ただそう思っただけだ。
「こう言ったらあれだけど、僕らって特に仲が良かったわけでもないし」
 では仲が良かったら問題がないのかというと、それはまた別の話でもある。
 焼けた海鮮お好み焼きを半月の形に切り分けた彼女は、その半分を私のほうに寄越した。
 私もお返しに自分の豚玉を真っ二つに切り、やはり半分を彼女の眼前に置く。
「ありがと!」
 彼女は大げさに喜んで見せると、ちびちびとビールに口をつけながら鉄板の火を落とすと、上唇に泡を付けたまま上目遣いでこう言った。
「今からでもいいよね?」
「なにが?」
「中原くんと仲良しになるの」
 私が言いたかったのは、これまでの関係でありこれからのことではない。
 だが、彼女自身もそれを理解した上で発言したのだろう。
「じゃあまあ、散らかっててもいいなら」
「ぜんぜん平気! お世話になります!」

 入店前よりも僅かに体重を増やし店を出た私たちは、道すがらにあるコンビニで翌日の朝食を入手しておくことにした。
「レジ袋が一枚で済むからエコでしょ?」
 そう言うと彼女は私の買った分も合わせて会計を済ませた。
「いくらだった?」
「わかんないからいいよ。レシートもらわなかったし」
「じゃあ、これだけ取っといて。多分足りると思うから」
 財布から千円札を一枚出して渡そうとするも「今夜泊めてもらうんだから」と、彼女は頑なに受け取ってはくれない。
 そういえば夏に田舎に帰省した時にも、これとよく似たやり取りをした覚えがある。
 ついこの間と思っていたその出来事から、すでに季節がふたつも進んでいたことを知り背筋が冷える思いだった。

 閑静な住宅街の只中を、二人分の食料が入ったレジ袋をプラプラと揺らしながら自宅マンションに向かい歩いていると、半歩ほど後ろを歩いていた彼女が突然腕を組んでくる。
 少しだけぽっちゃりとしたその体型ゆえ、平均値より豊かで柔らかなものがコート越しにもはっきりと感じられた。
「芝川さん、もしかして酔ってる?」
 ちょうど頭ひとつ分だけ下にある艶やかなボブカットに話しかける。
「え? ぜんっぜん。私ってこうみえて強いから、お酒」
 酒が強いという割に少女時代の面影をうっすらと残す童顔は、よく熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。



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