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死んだ恋人に会いにいく 第10話

会遇

 時計はまだ十八時を少し過ぎたところだったが、私の心はもう今日という一日を終えたがっていた。
 ただ、昼前に菓子パンをひとつ与えられただけの体がそれを許してくれず、再び車に乗り込むと緋色に染まった西の方角へと向かう。
 行き先は市街地のスーパーマーケットで、目的は今夜の晩飯と明日の昼飯を手に入れること。
 本来はコンビニで済ませられる用事だったが、残念ながらそんな近代的な施設はこの町には存在しない。

 ひび割れたアスファルトの狭い駐車場に車をねじ込むと、閉店時間が間近に迫るスーパーに駆け足で入店する。
 かつては両親とよく買い物にきた馴染み深い店だが、こうして大人になってから利用するのは初めての体験だった。
 商業施設としては天井が異様なまでに低く、そこに取り付けられた暗い照明が照らすリノリウムの床は、よく磨き込まれてこそいるが少しだけ波打っている。
 そう広くない延床面積の建屋内に存在するパン屋や衣料品などのテナント店舗は、スーパーの閉店を待たずに本日の営業を終え、すっかり明かりが落とされていた。
 明日の墓参りに備え、店の入口近くで白と黄色の菊の花を二束確保すると、惣菜売り場で主婦客に混じり煮物や揚げ物を物色する。
 その中から半額シールの貼られた弁当を二つ、それに数種類のサラダが盛り付けられたプラスチックトレイを選びカゴの底にそっと置く。
 返す刀でビールと清涼飲料水の類を入手してから、1レーンだけ開いていたレジの列に並んだ。

 五円で購入したレジ袋Mを片手に下げ駐車場まで戻ってくると、若い女性のものと思しき下半身がミニバンの開口部から生えている光景が目に映った。
 おそらくはチャイルドシートに子を括り付けている最中なのだろう。
 今どきの女性らしく肉付きの薄い臀部が右へ左へと忙しく揺れ、そのたびにローウエストのチノパンから見え隠れするペールオレンジが目に入り、大慌てで顔を背ける。
 ただそれは悪いことに、私の車の運転席側で行われていたことだったので、別の場所へと逃げ隠れすることも叶わない。
 仕方なく自分の靴先を凝視したまま立ち尽くしていると、やがてスラドドアが閉まる『ピッピッ』というブザーの音にやや遅れて、「あ、ごめんなさい」という女性の高い声が耳に届いた。
「あ、いえ」
 手にした菊の花を横に振りながら顔を上げた私は――絶句した。
 どうやらそれは先方も同じようだった。
 女性は私と目が合った途端、雷にでも打たれたかのように身を弾ませると、切れ長な目を大きく見開きながらこう漏らしたのだった。
「……叶多?」

 ここは小さな町とはいえ、面積だけでいえば下手な市よりも広いそうだ。
 人口は減る一方ではあったが、確かまだ一万人を大きく割り込んではいない。
 そんな場所にあるスーパーの駐車場で、隣同士になった相手が人生でたった一人だけの元交際相手である確率というのは、一体どのくらいのものなのだろう。
「……叶多、久しぶり。こっち、帰ってきてたんだね」
「ああ、うん。水守さんの件で」
「あ……そか」
 地元民の彼女がそのことを知らないはずなどなかった。
「私もお通夜の前に少しだけお邪魔して会わせてもらったの」
「そうなんだ」
「彼女とは高校の三年間、委員会が一緒だったから」
「へえ」
「うん……」
 そこで会話が途切れる。

 彼女――河合かわい七菜ななと出会ったのは、高校に入学してすぐのことだった。
 そのきっかけは、私が当時やっていたバンド活動ごっこで使用させてもらっていた楽曲が、彼女が好きなグループのそれだったからという極ありがちなものだった。
「私、その曲大好きなんだ」
 金髪のロングヘアーという、高校生としてはあるまじき容貌をした初対面の人間に対し、彼女はまるで旧知の友かのように話し掛けてきたのだった。
「自宅で練習してるの? 今度見学しに行ってもいい?」
 出会って二分でこの台詞が飛び出したものだから、最初はからかわれているのかと思った。
 ところが彼女は、今度どころかその日の放課後に本当にうちまでやって来ると、その後も足繁くやってきては、たった一人のオーディエンスとして私たちバンドもどきの練習を応援をしてくれた。

 それから数か月後の、高校一年の夏休みが始まってすぐのことだった。
『おい叶多。ちょっと顔貸してくれ』
 バンドメンバーの藤田に突然呼び出されて向かった先は、帰宅部の私たちが来る必要などまったくない、夏休みの学校の体育館裏だった。
「何だよ。こんなところに呼び出して」
「俺だって好きでお前とこんなとこにいたいわけじゃねえよ」
 自分で呼び出しておいてそれはないだろう。
 相手が彼以外の誰かであれば、私はきっとそう口にしていたはずだ。
 だが生憎なことに私は、彼が常識の枠から逸脱した存在であることを知っていた。
「あいかわらず意味がわからん野郎だな。用事がないなら俺は帰るぞ」
「まてまてまて! 説明は出来んがとにかく叶多はしばらくここにいてくれ。もし帰ったら許さんからな!」
「なんだよ、それ」

 やがて五分が経ち、そして十分をわずかに過ぎた時だった。
 銀色の貯水タンクの影から突如として現れた少女は、真夏の日差しをその背に受けながらこう言った。
「ごめんね、待った?」
「え? 七菜? 藤田は?」
「え? 藤田くんから『叶多から話があるから体育館の裏まで来てくれ』って、さっき電話もらったんだけど……」
「……あいつ」

 彼女の話を聞いた私は、ものの四十秒ですべてを理解するに至った。
 要は私たちの普段の挙動から何かを察したやつが、気を利かせてお膳立てをしてくれたのだろう。
 それもすごく雑に。
 ただ、当事者たる私をして一概に彼を責める気になれなかったのも、また事実だった。
 もし自分が逆の立場であっても、あまりの焦れったさに似たようなことをしたかもしれない。
 それほどに私と彼女は『誰がどう見ても』というレベルで、明け透けとした日々を送っていた。
 若さゆえに。
 結局のところ私たちはその日のうちに交際をスタートさせ、その翌日なり私は藤田に昼飯を奢ったのだった。



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